東北地方太平洋沖地震

 3月11日(金)午後2時46分、あれ地震かなと軽く思っていたら、揺れが数分間も続き、ただ事ではない。私は揺れが収まった後、予定通り、センチュリー財団から美術品を寄贈されるのに対して感謝状を差し上げてから外へ出たが、学生、教職員もみな外に避難している。授業はない時期だったが学内に500人近くの学生、教職員がいたがみな無事でほっとする。ナースリー、子育て広場、一時保育もみな無事。世田谷キャンパスの建物は渡り廊下が損傷した程度だったが、本が落ち、カップがひっくり返り、ガラスが割れた。

 テレビは大津波の状況が刻々放送する。携帯電話も固定電話も通じなくて不安だが、東京は震度5強でそれほどの被害はなかったが、交通機関がすべてストップする。帰宅できない学生は緑声舎(学生寮)に67人、一号館2階会議室に46人泊まりこむ。学生たちには毛布や食事も出し、相当の対応ができた。246は徒歩で帰宅する人たちでラッシュ状態、車も渋滞で徒歩より遅い。公的機関や都立高校、いくつかの私立大学は避難休息の場所と指定されているが、疲れた人はそんなことは知らない。今後は災害時に学外者にどう対応するかも考えなければならない。私は予定の会合に出れず、徒歩で帰宅。せっかくの記念パーティだったのに主催者の無念を思いやる。
 12日(土)は3月期入試、交通機関の乱れに対応して1時間遅らし、21日(月)にも試験を行うことを知らせた。やってきた受験者は申込者の約3分の1。全学生の状態はUPSHOWAで安否登録を呼びかけているがまだ把握できていない。