2015年9月

9月27日の学長ブログ [2015年09月28日(月)]

 シルバーウィークが終わると大学の色々な会議が始まり、後期が始動しだした感じ。
 24日(木)は久しぶりに大学で学長室ミーティング。平尾前理事長、小島前副理事長から奨学金の寄付。改めて感謝。途中で常勤教員候補の方と面接。そのあと女性文化研究所の叢書編集会議に遅刻して出席。女性文化研究所と社会人メンターの協力連携は実を結びつつあるが、キャリアカレッジや現代ビジネス研究所との連携はどうするかは今後の課題。13時から1か月ぶりの大学部局長会。八代特命教授が経済教室に書いていらしたが学部長就任の手続き終了。14時30分には文部科学省の中央教育審議会担当者が説明。15時女性教養講座専門委員会。16時30分からもう一人の常勤教員候補者と面接。
 18時から非常勤講師を集めての教育懇談会。今までと趣向を変えて、前半の1時間は着席で私や教務部長、学生部長が昭和女子大学の教育方針や取り組みを説明し、後半は懇談とした。もう少し前半は短くてもよかったかもしれないがみなさんよく聞いてくださった。懇談も盛り上がっていた。出席して下る方は昭和女子大学や学生に愛着を持ってくださる方ばかりだが、もっと出席者を増やすにはどうすればよいのだろう。
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 25日(金)はアサヒグループホールディングスの報酬委員会。取締役会。改めてグローバル再編の中でどうなるか議論が盛り上がる。大学に帰りこども園の審査の方たちにごあいさつ。15時30分マガジンハウスの取材。17時テレビ収録の事前うちあわせ。18時30分学生たちがすっかりお世話になった資生堂の方と会食。
 26日(土)は日本私立大学連盟のフォーラムで基調講演のため名古屋へ。初めて中京大学に行くが、浅田真央さん等のスポーツに力を入れていられるだけでなく、大きな大学で施設も立派。他大学関係者に自分の大学の自慢をしてもよいことはないと思うがつい宣伝してしまった。そのあと地下鉄で名古屋駅に出て1本早い新幹線に乗り、大学に戻って社会人メンターの集いに少し遅れて出席。改めて多士済々と感心する。わかな達が迎えに来て家まで車で送ってくれる。
 27日(日)は秩父市で講演。片倉さんはじめ20年前埼玉県の副知事のときに出会った方たちが今も大事にしてくださるのに改めて感謝。稲葉さんも来年90歳というが本当にオシャレでお元気、夕食をご一緒して、おまんじゅうやクリなどたくさんお土産をいただいて帰る。旧暦8月15夜でススキはきれいだが中秋無月かと思っていたら、時々雲間から顔を出す。

9月23日の学長ブログ [2015年09月24日(木)]

 シルバーウィークが終わり、長い大学の夏休みもそろそろ終わる。猛暑にも長雨にも負けず我が家の金木犀も香り始めた。
 11日(金)は久しぶりで大学へ。午後は常勤役員会。終了後理事会の打ち合わせ。夕食はわかな達。時差はアメリカ東海岸へ行くときより、帰りのほうが楽。豪雨被害のニュースでもちきり。
 12日(土)はアークヒルズでグローバルサミットオブウィメンのアイリーン・ナジビットを囲む会に出席。男性も5人ほど見えて総勢40人近く。彼女は相変わらず自信に満ちて、出席者も日本大会を招致しようと盛り上がる。しかしボランティアベースで行うというビジネスモデルは日本ではなじむか心配。夕方久しぶりでスポーツジムでボディパンプ。
 13日(日)は14時東京駅のそばでピンクリボンのシンポジウムでパネルディスカッション。キャリアカレッジ第1期生の藤森さんも乳がんからのサバイバーとして登場。たくさんの聴衆の方から元気が出たとポジティブな反応を受けてうれしい。
 14日(月)は10時に世田谷区の方、11時に五十嵐さん、13時30分に海竜社、14時30分にKADOKAWA、16時に篠田様と来客が続き、その合間に事務処理とメール返事、講演レジメ作りなど。夕方ナーサリーにお迎え。
 15日(火)は10時中央教育審議会大学分科会、NHKの収録が13時30分から開始なので昼食を松本理化学研究所理事長と。日経の「私の履歴書」で受けたイメージ通り、立派なリーダー。収録の後17時来客とのアポがあるので、一旦大学に帰りそのあと広尾で会食。昨日今日と様々な活動をしている女性が多いことに感心。
 16日(水)は朝、銀行に寄ってから大学へ。10時30分読売新聞社と講演の事前打ち合わせ、11時来客。14時小川さん、14時30分「清流」インタビュー、16時キャリアカレッジ打ち合わせ。18時帝国ホテルで会食に道路が混んで少し遅刻。国会周辺は安保反対の人の渦。
 17日(木)9時30分と10時学内打ち合わせ。11時30分来客。13時から16時過ぎまで理事会。少し時間はかかったが重要案件の説明に大方賛成を得ることができた。そのあとマガジンハウスとの打ち合わせ。
 18日(金)朝から明治記念館。15時のインタビューは考えがうまくまとまらず。
 19日(土)は久しぶりに書類整理。ジムなど。インゲンやブドウ、新米をいただく。読むべき資料は多いのにAmazonで注文した本が届き、時間の無駄と思いながらつい読みふけってしまう。先週のブログで触れた留学人数について訂正。他の女子大の英語圏への留学はゼロではないがとても少ない。それにくらべれば昭和女子大は経年的に増えている。もちろんボストン校があるからだが日本の大学生の英語レベルを上げる努力はもっと必要。
 20日(日)はわかなが中学時代の友人の結婚式に出席するので2人の子供のベビーシッター。14時30分ごろから八芳園に連れていき庭で遊ばせたあと英毅さんの車で帰る。
 21日(月)も慶應の友人の結婚式、わかなは披露宴から、家族は2次会から出席。私は携帯電話のiPhoneを新機種に変える。結構手間と時間がかかったが、代理店の方が丁寧に対応してくれた。
 22日(火)はかぐみの誕生日。昨日から大学時代の友人とテニス合宿に行っているので、山梨の宿で落ち合う。14時出発で2時間ほどで着いたが、反対車線の上りの中央道は大渋滞。大人5人と子供4人でにぎやか。生まれたのはついこの間のように思うのだが、時間が経つのは早い。
 23日(水)は宿を9時過ぎに出て石山園でブドウ狩り。一年に1回だがもう20年近く通っているので歓迎してくださる。研究熱心だったご主人は亡くなられたが、奥さんや親類の人たちが守っておられてうれしい。子供たちも全員自分で収穫してご機嫌。渋滞にあまりひっかからず神戸屋で昼食を取り、帰宅。夕食も2家族とも下北沢にきてケーキを食べる。

9月10日の学長ブログ [2015年09月11日(金)]

 8月31日にモンゴルから帰国し、しばらく東京でいつもの生活をしたあと9月4日からボストンに来て10日に日本に着く。日本は秋雨ですっかり涼しくなったのにボストンは連日晴天で華氏90度以上の日が続いた。今回はルーシーがback painの手術直後でケープコッドで静養中、スーザンファーとも日程が合わず、メアリーはいないので会う人の少ないボストン滞在だった。
 9月1日(火)は10時初等教育学科の斉藤学科長、10時30分ビジネスデザイン学科新任の山田教授、13時から国土交通省、そのあと大学に戻って打ち合わせなど。野田聖子さんのパーティは申し訳ないが欠席。
 2日(水)は10時熊平学院長、武藤部長などとキャリアカレッジの今後の体制づくりの打ち合わせ、11時来客、12時過ぎに大学を出てNHKへ。写真を撮るので長袖ということだったが暑く、スカーフなどで調節。しかしとても雰囲気づくりのうまいカメラマンで出来上がりが楽しみ。録音が少し長引いたので経済同友会の知日派の会合は遅れていく。しかしとても面白いスピーチだった。日本の組織は高い能力を持っている人を認めず報わず、みんな一緒に扱うのでみんなで一緒に没落していくという指摘。30年前は私も同じように思っていたが、今はあきらめの境地。能力に応じ「公正」に評価するのはむつかしいから「公平」に逃げているのではないかと自省。少し遅れて帰るが久しぶりに滋賀から帰ったわかな、いろは、アンナに会う。
 3日(木)は10時30分世田谷警察署長が新任あいさつ。11時日経BPの伊藤さん。13時来客、14時からこども園の在り方について江口常務理事、小泉幼稚部園長、越川昭和ナースリー園長、郷田幼稚部副園長などに。せっかく新しい立派な立派な施設ができたのに保育内容が旧態依然では困るとお話ししたが、どこまで共感していただけたか。PIBなど具体的な提案が必要。15時常勤役員会の打ち合わせ。18時から目黒で会合。会場、料理もよかったが出席者もレベルが高く 斎藤さんのお話も日本の企業や経済に対する憂国の情があふれていた。
 4日(金)朝わかなからリクエストが入りアンナちゃんをナーサリーに連れていったので動きを変更。10時から文部科学省の中央教育審議会、その後帰宅し、ボストン行きの荷物をもって大学へ。13時30分総務省の岩佐さん。国勢調査もいよいよ本番。本省の課長は一番仕事が面白い時期。良い仕事ができてよかった。ポスター、どら焼きなど広報グッズをもらう。いろいろ事務処理をして15時30分に大学を出て渋谷から成田エクスプレス。キャシーからの電話がゆっくり話せなくて残念。いつもの通り日本航空の008便でボストンに。ケンブリッジによって22時前ボストンキャンパスに。
 5日(土)は11時光葉同窓会の方たちと交流会。ボストン在住の卒業生も出席。夕食も皆さんとTOP OF THE HUBで。よく晴れていて日没から夜景までとてもきれい。同窓会の皆さんは元気な方しか参加していないからだろうが、とてもお元気。学生たちが案内してボストンを見てもらってよかった。
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 6日(日)はのんびり。夜はいつもごちそうになっているボストン総領事ご夫妻をご招待。FDで来ている本学の教員の方たちがNY旅行から帰っているので1時間ほどおしゃべり。同窓会の方たちはフィラデルフィアにご出発。
 7日(月)は12時すぎ西本絵里子さん、14時30分我喜屋さん。二人ともグローバルに活躍しているエネルギッシュな女性。「そうだ行動しなければ」と奮い立つ。夕方はいく子さんのお宅で夕食会。本当によくお世話してくださると頭が下がる。ゴードンご夫妻もまだ日本から送った荷物が届いていないそうだ。
 8日(火)は朝留学コンサルタントの女性たちと話す。もっとボストンからアメリカの大学に留学してほしいのにまだ少ないが東京女子大学や日本女子大学が英語圏への留学者0が続いていると聞くと昭和は頑張っている方かとも思う。そのあと昭和ボストンのアビューザさんの運転でフレミングハム州立大学へ。ルート9で50分ほど。アメリカの典型的な大規模州立大学。国際交流部長に学内を案内してもらい学長、副学長などに会う。直接出向くといろんなプログラムの可能性が開ける。昭和ボストンの教員であるJohn McCarthyの父上が24年間この大学の学長をされていたというのでマッカーシーホールもある。行きは本屋で、帰りはスーパーでお買い物。いつもお土産を買う時間がないが今回はばっちり。17時30分から昭和ボストンの理事会。川平理事はシカゴが雷雨で少し遅刻。終了後みんなで夕食。我喜屋さんからメールが入る。
 9日(水)9時我喜屋さんがカタリーナと来訪。とても表現力のある女性。いきなり授業導入は無理でもボストンで語学以外の最先端のITに触れるのは良いのではないかと思う。10時30分にタクシーで空港へ。
 10日(木)成田空港は豪雨で滑走路が一つしかつかえなく、帰国が遅れた。

モンゴル訪問記 [2015年09月01日(火)]

 一度は行ってみたいと思っていたモンゴルに8月28日から31日まで訪問することができた。成田発の直行便で5時間半だが、2年前サハ共和国へ行った時より機材もサービスもまずまずだったが、日本海から中国東北部は厚い雲に覆われ地上は見えず。夜20時過ぎに空港に着くがまだ明るい。普段は北京標準時だが夏の間だけサマータイムで1時間早く、東京と時差がない。(それにしても広大な中国が北京標準時で統一され、韓国もベトナムもそれを採用しているのは考えさせられる。) 
 空港に本学のフスレ准教授がレクサスのランドクルーザーでモンゴル国立大学研究所長のバテイレドイ氏と迎えに来て、村田東大教授、市川国士舘教授と一緒にホテルに。途中遊牧民のゲルもみかけるが、高層アパートやビルがどんどん建設されている。モンゴル全国の人口が300万に対して150万人がウランバートルに集まっているそうだ。1970年代は30万だったというからその伸び率は大きい。
 モンゴル抑留者の研究をされているフスレ准教授によれば、ウランバートル中心街の政府機関のビルの多くは抑留者が建設したものだそうだ。ウランバートルホテルは共産党時代に中国の協力で建設された古い建築でがっちりしているがWi-Fiは使える。部屋に悪臭があるとフスレ准教授がホテルと交渉して変更。そのあと4人でおしゃべり。かねがね北帰後の元はどうなったか、清王朝時代の蒙古はどうだったのか、長年の疑問を専門家に聞けて楽しかった。フスレ准教授もテムジンの家系につながる名門ボルジギン氏で、北京大学に内モンゴルから合格した大秀才と知る。考えてみると元だけでなく隋唐も鮮卑族の流れだし、漢民族の明や南宋は文化は見るべきものがあったが王朝は弱体化していたのに対し、女真族の清の皇帝は勤勉で盛時を作り出した。元も少ない人口で、あれだけの大帝国を作り出したのはまさしくダイバーシテイを重んじ、他民族でも有能な色目人等どんどん登用からだ。残酷なだけでなかったから世界帝国を作り上げたはずだが、歴史は漢民族やヨーロッパの側から書かれていたのでnegative情報が多い。
 29日(土)朝9時にでて国立モンゴル大学日本文化センターで「日本とモンゴル、過去と現在未来―21世紀アジア新秩序の中でー」シンポジウム開会式、オヨーン議員も出席。清水在モンゴル日本大使の挨拶もいうべきことを言いさすがモンゴル専門家。
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 午前中のインタビューの予定が相手の都合で変更になり、皆さんの発表を聞く。モンゴル国立教育大学の学長とお昼。羊を石焼にしたモンゴル料理。そのあと昭和女子大学に研究員で来ていらしたミャグマルサムボーさんご夫妻と一緒に郊外の草原に。ゲルの中のレストランで馬乳酒を飲む。モンゴルはモンゴル族唯一の国として蒙古文字の復活やモンゴル語教育に力を入れているらしい。蒙古文字の軸をいただく。大草原はオーストラリアも共通だが、”草原の道”は歴史の回路。
 夜はシンポジウムの出席者の方たちと懇親夕食会。ウランバートルは大都会で星空は楽しめないが、皎々たる満月。
 30日(日)朝はモンゴル日報など3紙のインタビュー。まったくモンゴル語が分からないので、ちゃんと伝わったかどうかわからないので不安。11時過ぎにでてオヨーン議員のご招待で日本料理屋でお寿司、枝豆など。暗殺された兄上のことなどを聞く。終了後抑留者の慰霊塔へ。昭和女子大学の学生が昨年植えた木も何とか頑張っている。日本から多くのボランティアが植林を行っているが、その多くは枯れてしまっているそうだ。私もサジの木を3本植える。
 慰霊塔の周りは「異国の丘」の歌が思い出される丘陵地帯。政府要人もたくさん訪問されており谷内正太郎さんの花も。
 そのあと草原の道をチンギスハンリゾートへ。ずいぶん韓国の企業が進出しており、景観は変わっている。途中道端でワシとの記念写真。大きなスチール製のチンギスハンのある公園で、中には匈奴時代の青銅器の展示も。スキタイの動物文様と通じる意匠でとても精巧。生活系の機器より、矢じりや刀などがよくできている。
 帰りは日曜日の夕方で大渋滞が予想されたが無事18時半前にホテルに帰り、モンゴル人文大学院から名誉博士号を授与される。日本の女性の地位の向上ということで授与されたが、モンゴルの女性と協力して社会の進歩と発展に貢献できる女性を育成したいとごあいさつ。ガウンと帽子もモンゴルの宮廷服を思わせる。
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 大きなゲルのレストランに日曜の夜だというのに20人くらいの関係者が集まってくださる。モンゴルも社会変動の最中で家庭、社会保障などいろんな問題があるらしい。食事のボリュームが大きすぎてとても食べきれない。
 21時半にホテルに帰り荷づくり。
 31日(月)は6時半に朝食をとり、朝日とともにホテルを出て空港へ。帰りは5時間で成田に着く。

8月30日の学長ブログ [2015年09月01日(火)]

 さしもの猛暑もすっかり衰えて、秋が一足早く来たように感じる。
 24日(月)は久しぶりに学長室のミーティング。ひさしぶりなので案件が多く13時までかかる。少し教養教育の在り方でも検討しようと思っていたが時間切れ。14時クリニック。早めに終わり、公文に寄って子ども二人を連れて帰るがいろはは機嫌が悪い。
 25日(火)、いろはに熱が出てわかなが休む。アンナちゃんをナースリーに預けて大学へ。10時半佐渡アンさんとGlobal summit of women の関係の人たち。アイリーンは強気だが日本とかなりやり方が違うので、実行委員会の性格をどうするか、要検討。私はお金集めが不得手なのでできることで協力するよりほかない。13時からCD講話集の収録。16時過ぎに終わる。いろはが点滴を受けているというので、大橋病院によってアンナちゃんをわかなに預けて予定の会食へ。わかなもご一緒にと言ってくださったのだが無理。専門学校経営者の方の考え方は戦略的。
 26日(水)まだいろはは微熱があり、私は面談の予定を11時に繰り下げてもらい、夫にバトンタッチしてから出勤。とても東京ロータリークラブの昼食会に出る気分でなかったのだが、くよくよしていても始まらないので誕生日会に出席。増田寛也さんの話は標題の「東京の高齢者介護」までいかず、人口減社会の深刻さの指摘だけ。14時30分バリアフリー協会の貝谷さん。障碍者だけのコンサートを企画して頑張っておられるので少しでも応援できるといいのだが。16時昭和信用金庫の神保理事長とFM世田谷の収録。17時前に終わり帰宅し、いろはの世話。わかなが帰宅したのにバトンタッチして、四谷の会食へ。鈴木寛さんの話に感動。「情報社会のイノベーション」というテーマのゼミの卒業生が2,000人近くいろんな分野で活躍しているそうだ。まさに「天下の秀才を集めてこれを教育する」現代の松下村塾だなと感心。忙しそうだが生き生きしておられる。国会議員ではなくとも社会に貢献されている。
 27日(木)10時は国土交通省の方が原案の説明。11時太田教授と保坂広報部長。魅力的なプロジェクトが動き出しそう。14時経済同友会の事務局の方。15時日経BP の大塚さん。16時マガジンハウスの取材。27日久しぶりにわかなと夕食。かぐみたちがオーストラリアから帰国。
 28日(金)朝アサヒホールディングスの指名委員会、報酬委員会、取締役会を終わってから、スカイライナーで成田へ。モンゴル航空でウランバートルへ。
 とても充実した訪問だったのでブログ特別版としてモンゴル訪問記を書くことにする。
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