2016年8月

2016年8月18日古希立山登山 [2016年08月25日(木)]

60歳の時にそれまで登ったことのなかった富士登山を成し遂げた達成感から心ひそかに70歳ではわが故郷の立山に50年ぶりで登ろうと考えていた。とはいうものの一人で登るのは不安で昨年の高校の同窓会総会で富山にいった折に、同期で登らないかと世話役の白石さんにお願いしたら、仲間を糾合してくださった。
 16日に富山に行き17日にホテルに泊まり18日に登る予定にしていたが、台風が近づいており、17,18の両日とも天気が悪く、登山は無理かとの予報。しかし「17日の朝、7時には地鉄立山駅に集合」という白石さんからのメールにこたえて6時過ぎに姉に五百石(7時までは無人駅で乗客もまばら)の駅まで送ってもらい、地鉄で立山駅に。参加者は井上和子、笹林洋子、下西久仁子、坂東眞理子、浅田謙三、石黒雅熙(リーダー)、大村啓(サブリーダー)、轡田和夫、白石哲也(連絡担当)、高畠稔夫、大村さんの奥様の雅子さん、その友人の北由美子さんは室堂散歩。笹林さん、下西さんは懇親会のみの参加。

 雨がひどくやはり無理かなとも思いながらとりあえず室堂まで行こうとみんなで出発。弥陀ヶ原はガスっていたものの室堂では少し視界も開け、決行。場合によっては一の越でリタイアかと思っていたのだがみんなにストックを借りたり、リュックカバーを借りたり支えられ、井上さんに高山植物の名前を教えてもらいながら石畳の道を根気強く登って一の越に到着。標準登山時間1時間のところ90分。まあ想定通りのペース。
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(一の越にて休憩)  

  休憩後、登り始めたが、雨風が強くなり、途中から引き返し、一ノ越の山小屋でしばらく待機。しかし、1名はもう登山を始めたらしく戻ってこない。雨風が少し弱まってきたので、残りのメンバーでまた登る.。最初はそれほど岩が多くないのだが、途中から、岩をつかみ、右に左に登山道を登る。小学生の時には軽々登ったはずなのにこんなに険しい山だったかと初めてのような感じ。
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 普通の山とちがいここは網目状の登山道。転倒したり、滑落に注意に注意を重ねながら、まさにマインドフルネスというか、次はどの岩に足を載せ、どこにつかまろうかだけを考えて登る。大学の同級生の堀井さんが奥多摩で転倒滑落して大けがをした轍を踏まないように。途中、2,3回休憩しているちに、雨風も弱くなってきたが、結局、山頂まで雨。

 途中、先頭を行って連絡がつかなかった一人から山頂に着いたとの連絡。山頂手前で休憩している時、用事で少し遅れて出発した石黒さんが追い付いてくる。大きなリュックを背負って、2時間ぐらいは、後から来たはずなのに、ものすごい体力とスピードで追い付いてきたとはさすが大学の山岳部出身者。
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 これで、全員、同時に山頂到着。まずは、全員で記念撮影。その後、雄山神社の社務所内でお祓いを受ける。その後、山頂の祠へお参りし、昼食。大学1年の時、この山頂の雄山神社で巫女さんのアルバイトを1週間していたが、それ以来約50年ぶりの登山。私以外の石黒さん、白石さん、轡田さん、高畠さんも時々立山に上っているらしく、井上さんも各地の山を登っているそうで頼もしい。
  雨で視界は悪かったが、自分の足で3000メートル級の山に登れたことと、同級生の皆さんの支えに大感謝、大満足。絶対一人では登れなかった。
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(山頂で)

 下りは、天気予報通り、雨は止んできて動きやすくなったが、事故が起きやすいので登るとき以上に心して一歩一歩下る。途中又携帯に電話。一人先頭?を行っていた人が「周りは高山植物が咲いているところに来たが、どこにいるかわからない」との連絡、しばらくすると「霧が晴れ一ノ越山荘に着いた」との連絡で一安心。道を外れて、東側の谷に迷い込んだようだが幸い霧が晴れて山小屋が見えたそうだ。
 そのあとも下山の足の運び方のアドバイスを受けながら室堂へ。天気が悪いせいで、登山客は割と少なく、バスで立山高原ホテルに。このころになると台風一過で雄山の頂上まで見えるが、この悪天候の中で登頂できたことで満足感いっぱい。立山高原ホテルにはわざわざ来てくれた笹林さん、下西さん、姉などもいて無事を喜び合う。 6時から夕食。皆さんから誕生日のプレゼントまで頂戴して感謝感謝。

 次の日も天気はいまいちだったが、すでに立山登頂を成し遂げていたので心に余裕をもって室堂山に登った後下山。
 途中芦峅寺の雄山神社で下山報告のあと4時前に帰宅。下界は蒸し暑い。

2016年8月モンゴル訪問記 [2016年08月25日(木)]

昨年に続いて今年もモンゴル、ウランバートルを訪問した。

 21日(日)午後2時40分成田発モンゴル航空でウランバートルへ。飛行機は満席で機材は古く、本を読んで過ごす。8時過ぎに時刻通り到着し、フスレ先生、サンポさんなどに迎えていただき昨年と同じウランバートルホテルへ。珍しく雨で夕焼けは見えず。こんなに西なのにサマータイムで日本と時差はなし。昨年よりさらに高層ビルが増えており、建設ラッシュ。日曜日でホテルの食堂はすでに閉まっていて、外のビアホールで夕食。明日帰るというフフバートル先生も参加。11時すぎにホテルに帰る。
 22日(月)9時ホテルを出発し、日本文化センターの国際シンポジウム「シルクロードとティーロード」へ。私と教育大学の方と清水大使がご挨拶。
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そのあとテレビのインタビューと、新聞のインタビュー。担当の新聞記者はオーストリア、ベルリンにも駐在していたという有能な女性で話が盛り上がる。お昼からサンポさんの運転で軍の保養施設へ。車で40分ほどの郊外で、軍人が家族でくつろいでいる。昼食はゲルですべて軍人らしい男性がサービスしてくれる。雨のあとだが草原はもうそこはかとなく秋の気配。17時前にウランバートルに帰り少し散歩。夜は予定されていた大使館の招宴はなくレストランで懇親会。知人に大使への紹介を頼めば対応は違っただろうがまあいいだろう。
 23日(火)は朝8時半からモンゴル人文大学院大学、昨年は大学だったが大学院大学に変わったそうだ。昨年坂東真理子基金で寄付する約束をしたホールは未完成。地方出張授業や学士入学制度など新しい試みを重ねているのに感心。10時から国立教育大学。交流協定のMOUに署名。中教審の教育改革の話などすると興味を持ってくださった。昨日のインタビューがもう新聞に出ている。モンゴル語なのでどう書いてあるか、全く見当がつかない。
そのあと13世紀村へ。車で3時間足らず。郊外に出るとモンゴルらしい丘陵地帯で空が広い。そこは13世紀チンギス汗の盛時の武将のゲルや、汗のゲル、シャーマンの祭祀所を再現している6つの集落からなり、食事をしたり、ウマやラクダに乗ったり蒙古文字を書いてもらったりする。
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モンゴルでは社会主義体制が終わった後シャーマンに救いを求める人が多くなっているという。ロシアの正教の復活、日本の戦後の新宗教の興隆とも符合して興味深い。またモンゴルでは男の子はどんな職業にでもつけるが娘には教育が必要だと考える親が多く、大学生の4分の3は女子学生だそうだ。また韓国のハングルはモンゴルのパスパ文字の影響を受けており、遠くセム語族の表音文字が「文字ロード」を経て伝わったものだとか、一帯一路構想は海洋経済圏にたいする大陸経済圏の復権とか、専門家の話を聞くと楽しい。ウランバートルには8時半近くになって帰り、日本料理店でしゃぶしゃぶ。私は少し早めに9時30分で帰る。
 24日(水)は5時30分に起きて空港へ。朝食も7時のところを6時20分にしてもらう。
 1年に2回の国際シンポを行い、単行本を2冊出版し、研究のためのフィールドワークを行い、学生たちの中国語の特訓を行うフスレ先生のエネルギーと行動力にはただ感心。今回も毎日の睡眠時間1-3時間で獅子奮迅の活躍をされていた。
 成田空港にはほぼ予定どおりの時刻に着陸したが豪雨で成田エクスプレスはストップ。スカイライナーで帰る。行きだと大変、帰りでよかった。

8月22日の理事長ブログ [2016年08月22日(月)]

8月になってもう3週間以上過ぎて日本では「逝く夏」だがモンゴル、ウランバートルは「涼秋八月 蕭關の道」ではないが秋の気配。
 8月1日(月)は午前中に来客や打ち合わせなど。15時から「育休MBA」プログラムについて聞く。大学の社会貢献になると思うが、それだけのマンパワーを割けるかなど課題も。そのあと広報の打ち合わせ。夜は「ピースボート100日の旅」を終えて帰国した久常さんを歓迎するため辻さんなど旧厚生省、看護協会の人と会食。山口さんが亡くなっているのが寂しい。
 8月2日(火)は朝8時からエシカル朝食会での講演のため学士会館へ。経済と倫理はもっと議論を深めなければならない。三井住友銀行の北山禎介さんや消費者庁長官の板東久美子さんなどが出席してくださり、コメント。大学に戻り大学ミーティング。13時30分清流インタビュー。16時来客。夕食は太子堂。
 3日(水)は午前中アサヒグループホールディングス。14時平田さんとリベラル社の山浦さん。平田さんは新しい仕事を始められたというので感心。16時クリニック、17時30分から世田谷区と打ち合わせ。
 4日(木)は6日~15日まで大学は一斉休暇となるのに加え、私は5日に富山へ講演に行くので当日中に済ませるべきことが多い。10時40分大学ミーティング、13時知人が提案したキャンパス整備案の検討。専門家からは厳しい評価。15時ジョーンズさん。昔公務員時代に何げなく協力したことを感謝していると言ってくださってうれしい。何か社会貢献したいと願っている方たちのエネルギーはどうしたら活用できるのだろうか。
 5日(金)10時前に家を出て全国公立学校事務長会富山大会で講演。そのまま東京に帰り、19時過ぎから渋谷で会食。
 6日(土)から夏休み。6日は若菜の手伝い。ジムに行き夕食はみんなと。
 7,8,9日は猛暑だったこともあり冷房した部屋にこもって原稿執筆。本当は掃除や片づけをするべきなのだが原稿を書いているほうが楽しくはかどる。夕食は若菜の家で。
 10日(水)は内幸町で会議。昼は出版社の人と打ち合わせ。いったん帰宅した後新宿で埼玉県庁時代の人と会食。
 11日(木)の山の日は、若菜の上の女の子たちは滋賀へ。若菜は産業医の講習会初日で19時30分ごろまで下の子のベビーシッター。みんなで夕食。
 12日(金)も原稿執筆、夕方ナーサリーにお迎え。若菜は19時過ぎに帰り夕食。上の二人がいないととても静か。その分滋賀は大変だろう。
 13日(土)10時 6年ぶりで脳ドック。1時間半ほどで結果も出る。幸い萎縮も梗塞もないとお墨付きをもらうが問題は機能。そのあと17時30分まで下の子のベビーシッター。英毅さんの誕生日なので、3人は外食。
 14日(日)午後ベビーシッターとジムのほかは原稿執筆。
15日(月)1日原稿執筆の至福の時間。
16日(火)久しぶりで大学へ。まだ夏休み気分だが、いろいろ事務処理。15時30分ごろに出て富山に。晶子姉が迎えに来てくれる。
17日(水)私の誕生日。立山に登頂。顛末は別途掲載する。
18日(木)下山し16時前に帰宅。夕食に北岡姉夫婦、由里子、由美子も来てにぎやか。家庭菜園の新鮮な野菜がおいしい。
19日(金)朝お墓参り。昼は趣のある民家を利用した家でゆっくり会食。夕食は中小企業同友会の方と、北日本新聞社の方とダブルヘッダー。それぞれ富山の海の幸を堪能。
20日(土)午前中に高平さんの弔問。同い年で議員現職の盛りの時に惜しまれて亡くなる。由里子さんが昨年長男と結婚したばかりのお嫁さんと来訪。結婚式のビデオや写真を見る。13時30分から北日本新聞社の平成広徳塾で講演。そのあと富山駅で晶子姉、稲垣さんなどと会食してから新幹線で帰京。
21日(日)午後モンゴル、ウランバートルへ。20時過ぎに着いたが珍しく雨。