2016年10月

「学父の岩」と「学母の岩」 [2016年10月28日(金)]

 「校訓の巌」と呼ばれる創立者記念講堂の横にある青色の油石と同時期に運びこまれたのが、大学5号館の入り口右手に置かれている、「学父の岩」です。
 
(学父の岩)
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 そしてその右隣には、30トンの緑色の石があります。これは、学母人見緑先生の生まれ故郷、四国愛媛県産で、伊豫青石とも呼ばれている石です。

(学母の岩)
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 名前の通り晴れた日には緑色に、そして、雨に濡れると青色に輝き、模様も複雑に変化するように見えます。伊豫青石の産地には昔から有名なお寺も多く、きっと弘法大師や空海も、2億年近く前からさまざまな自然の力を受けて形成されたこの石の岩山を歩いて四国を巡ったのではないでしょうか。紀伊国屋門左衛門の屋敷を岩崎弥太郎が買い取って今は都立「清澄庭園」として開放されている回遊式林泉庭園には、全国から集めた伊豫青石等の名石が数多く配置されているそうで、この伊豫の石は数々の名庭にも景石として使われています。
 
 「学父の岩」と「学母の岩」のそばには、春を告げる梅の花も咲きます。また、二つの岩の前には、サツキが二株植えられていますが、これらはもともと校祖が鉢植えを購入して植えられたものだそうで、35年以上たった今ではしっかりと根をおろし、5月の声を聞くと、可愛いらしい花を咲かせます。サツキは「皐月躑躅(サツキツツジ)」とも呼ばれ、ツツジ科。旧暦の5月(皐月)に咲くことからその名がつき、俳句では「夏」の季語です。ツツジよりやや遅く咲き、6月の終わり頃まで、紅色、ピンク、絞りなどの少し小さめの花をつけます。
 
 学園のいろいろな場所に石や岩が配置されています。7人の妖精を探すのも楽しいことですが、さまざまな謂れのある石や岩を探して歩くのも楽しいのではないでしょうか。
 
(「学父の岩」と「学母の岩」の傍らに咲く梅)
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校訓の巌 [2016年10月21日(金)]

 創立者人見記念講堂の入り口右手に、大きな岩(巌)が置かれているのをご存じですか。キャンパスには何か所かに大きな石が置かれていますが、その中でこの石はもっとも巨大です。45トンもあります。45000キロですから、45キロの体重の人が1000人集まった重さですね。
 
(講堂前の校訓の巌)
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 これは学園創立60周年にあたる昭和55(1980)年に北海道日高山中から運ばれた青色の石です。北海道を代表する名石の一つで、神居古潭石(かむいこたんいし)が正式な呼び名のようです。庭石として全国的に名高いのは、大変に硬く、「油石」とも呼ばれ磨かなくても滑らかな光沢に富んでいる石だそうです。北海道、日高の変成岩層が石狩川の急流と交差することでこのような特別な石が形成されるとか。神居古潭石自体の色はさまざまのようですが、本学にあるのはスクール・カラーの青色で、特に雨に濡れた時のみずみずしい色は、素晴らしいものです。
 
 創立者人見圓吉先生が、記念講堂の前にいつも笑顔で、物静かにどっしりと座っていてくださる、そんな風情のある青い石。ここを通る時には、校祖の学園への祈りを思い出したいものです。

先哲の碑 [2016年10月14日(金)]

 本学が「昭和女子大学」となったのが、世田谷区太子堂のこの地に移転してから4年後の、昭和24(1949)年4月のことでした。その年の9月に校内に「先哲の碑」が建立され、さらにその後、昭和59(1984)年に創立者人見記念講堂とグリーンホールの間の場所に移したのが、現在の「先哲の碑」です。先哲の碑は、碑文にもあるように、創立以来、本学園の研究・教育・運営に尊い命をそそぎ、現在の学園の繁栄を築いてくださった方々の業績を顕彰し、感謝の気持ちを捧げるために建てられたものです。
 
(今年の先哲の慰霊祭の様子)
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 全学園参加で開催していた時代の体育祭で、学父人見圓吉先生が両手を大きく広げて児童・生徒・学生に応えているお写真がありますが、そのお姿にちなんで、ここで学ぶ者たちを両手で大きく抱いてくださるような形に作られています。先生の故郷である岡山県の赤御影石が使われています。今年も10月4日に全学園の代表者が碑の前に集まり、過去1年間に亡くなられた恩師の慰霊祭を行い、先哲をしのび、感謝の気持ちを新たにしました。そして、本学園のさらなる発展を誓いました。この行事は、毎年秋に行われ(今年は11月9日)、世田谷区若林にある松陰神社での恩師・同窓の墓への合祀慰霊祭の1か月ほど前に行われることになっています。
 
(創立50周年記念体育祭での学父 人見圓吉)
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International Campus Boston [2016年10月07日(金)]

 先日、本箱の整理をしていて、「Showa Campus Life in Boston」と題した冊子を見つけました。ボストン校が開学されたのは1988年。まだ「ボストン昭和女子大学」独自では留学ビザが出せない初期の時代、セント・マイケルズ・カレッジからビザを発行していただき、学生達も同大学で1週間寮生活をして学んでいた時代に作られた冊子です。セント・マイケルズ・カレッジは、カナダとの国境に近いバーモント州のウィヌスキーにあります。カトリック系の大学で、多くの外国人留学生を受け入れています。

 冊子の最後の数ページに、ボストン研修を経験し日本に戻った学生が書いた手記が掲載されていした。「(ボストンでの)一番の収穫は、限られた時間を悔いの無いようにすごし、その中で自分の可能性を見出し、新しい世界の中で真の自分を発見したことであった」という感慨は、その後にボストンで研修を受けたすべての学生や生徒にも共有され続けているのではないでしょうか。
 
(昭和ボストン全景)
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Moss Hill Dedication

Standing on this rise, Moss Hill, we have a view of the wide world.
On this hill, we will learn about this land, America.
On this hill, we will strive for the future of Japan.
On this hill, we will use our human potential to join East and West, Japan and the world.
Become women who dedicate yourselves gladly to the progress of humankind.

モス・ヒル宣言
モス・ヒルという名のこの丘の上に立って、広い世界を見渡し、
この丘でアメリカをまなび、
この丘で日本の未来を探り、
この丘で東洋と西洋、日本と世界の新しい融合点を発見するような人材となり
進んで人類の向上発展に貢献する女性となりなさい。

 これは、玄関ロビーを入って右手前に掲げられているボストン校開学の宣言です。ボストン校を訪れたことのある方は、きっと目にされたことがあるでしょう。

 ボストンは、アメリカ東海岸の北緯42度、日本の函館と同じくらいのイ緯度にあり、人口は約65万人ほど。東京には1,400万人近く住んでいることと比較すると、随分ゆったりとしていますね。時差はマイナス14時間(サマータイムはマイナス13時間)、日本からは往路13時間、復路15時間程度かかります。

 1920年に昭和女子大学の前身である日本女子高等学院が、教師5名と学生8名で創設されてから66年経った1986年にモス・ヒルの丘にボストン昭和女子大学を設立することが決定しました。1987年には、マサチューセッツ州知事からボストン昭和女子大学設立の認可を受け、1988年に開学。これまで約14,000名を超える、昭和学園の児童、生徒、学生、そして、他大学の学生も、ボストン昭和で学んでいます。

 呼び名も、開学当初のボストン昭和女子大学 (Showa Women’s Institute Boston)から昭和ボストン(Showa Boston Institute for Language and Culture)と変わり、現在は、インターナショナル・キャンパス・ボストン(International Campus Boston)と呼ぶまでに発展しています。なぜ、International Campusかと言うと、もちろん中心となるのはShowa Boston Institute for Language and Cultureですが、キャンパスにはその他にブリティシュスクール(British School of Boston)、ボストン日本協会(The Japan Society of Boston)、荒木バーカス日本文化センター(Araki-Barcus Japanese Culture Center)が置かれ、地域活動や文化活動が盛んに行われ、日本とボストンの交流の基点となっているからです。

 2008年、昭和ボストンは創立20周年を迎え、募金をつのって八重桜など100本に近い桜の苗がキャンパスに植えられました。若い桜の木は、少しずつ花を咲かせるようになりました。桜の名所として、地域の皆さんと共に春の始まりを楽しむことができるといいですね。

(昭和ボストンの学生寮前に咲く八重桜)
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