AEQUABILITER ET DILIGENTERとFIAT LUX

 図書館のある8号館の正門側入口の左側の外壁にAEQUABILITER ET DILIGENTERと、FIAT LUXという言葉が掲げられています。

(8号館の正門側入口)

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 はじめのAEQUABILITER ET DILIGENTERは、キケロの「兄弟クゥイーントゥス宛の手紙Ⅰ」の中にあるもので、「着実にして勤勉」という意味であることが、本学の図書館のサイトhttps://swu.ac.jp/fac/lib/use/u_facility/u_collectionにあります。イギリスの詩人、ジョン・ミットフォード(1782-1831)の詩句に由来があることも『昭和女子大学90年史』に記述されています。現在の6号館にあった旧図書館の入り口に掲げられていたものをここに移転しました。本学創立者人見圓吉先生が、図書館に相応しい言葉を探すように、当時本学でご指導をいただいていた国語学者の吉田澄夫教授に依頼して、この言葉に巡り合ったようです。

 もう一つのFIAT LUXは、旧約聖書の創世記第1章にある、次のようなことばからの引用で、「光あれ」という意味です。昭和女子大学図書館報の名前にもなっています。

   In principio creavit Deus caelum et terram. 創めに神が天と地を造った。

  Dixitque Deus: “Fiat lux!” Et facta est lux. 神は云った。「光あれ」。すると光ができた。

 宗教的な意味で「光あれ」がどのような意味を持つかは別として、混沌とした闇の世界に光明をもたらす光は、「開講の詞」にある、「陰惨な雲」に覆われた世界に差し込む「一道の光明」であり、「文化の道を歩み出すべく、互いに研き合わなければならない」という意味が込められたことばと解釈できるのではないでしょうか。

 この句は、その昔、今の学園本部館の近くにあった近代文庫の入り口に掲げられていました。

 これら二つのことばは、共にラテン語ですが、全く出典も違い、初めに刻まれていた建物も違いますから、一続きのものでないことだけは誤解の無いように。

 創立者の人見圓吉先生は、晩年になられても、毎晩遅くまで、近代文庫や図書館で研究を続けられていたと伺っています。図書館は静かにものを考え、研究に打ち込める場所だったのですね。現在では、自宅や学外のどこからでも、PCがあれば本学の教職員や学生は、図書館の情報を見ることができます。また、図書館で調べなくても、様々な情報源を活用して情報をとり出すことも簡単に即座にできるようになりました。しかし、そうした知識は、その場だけの単なる情報として終わってしまうことが多く、本をじっくりと考えながら読んで得た知識とは、違うように思いませんか。