神田祭のお手伝いをしました!

私たち歴文生5名は、5月14日に行われた神田祭のお手伝いをさせていただきました。
大谷津先生のご紹介で、鍛冶町一丁目神輿の高張提灯の係を担当しました。

まず、神田祭の由来について軽く説明します。
神田祭とは、二年に一度千代田区にある神田神社で行われる祭礼です。江戸時代には、祭礼の行列を城から将軍が見物したことから、千代田区にある日枝神社の祭礼、山王祭とあわせて「天下祭」と呼ばれています。
また、京都の祇園祭、大阪天満宮の天神祭と共に日本三大祭とされています。

一日の流れ

5月14日の朝9時に御酒所(山梨中央銀行東京支店様前)に集合しました。
全員集合後、祭りの衣装に着替えました。

H29 『神田祭』写真①
10時半に御酒所を出発し、近くの学校(休憩所)まで移動しました。

H29 『神田祭』写真②

休憩所に到着後、おにぎりとお茶を頂きました。そして、食べ終わった後に出発式を行いました。
12時に休憩所を出発し、靖国通り前を通り、肉の万世さん前まで移動しました。到着後13時半まで休憩しました。
13時半に肉の万世さん前を出発し、明神坂下に着くまでに、秋葉原の電気街を通りました。
電気街には観光客が多く、動画や写真撮影をしている方もいました。

H29 『神田祭』写真③

14時半に明神坂下に到着しました。ここで15時半まで休憩し、またおにぎりとお茶を頂きました。
15時半に明神坂下を出発し、神田神社に向かいました。

そして、16時半に神田神社に到着しました。
いよいよ宮入りです。神社までの通り道には様々な屋台がでており、美味しそうな香りが漂ってきていました。

H29 『神田祭』写真④       H29 『神田祭』写真⑤

宮入り終了後、朝に集合した御酒所まで戻ります。
途中休憩をはさみ、あんパンとオレンジジュースなどを頂きました。
そして、お菓子パック(何種類ものお菓子が入っているものです)も人数分頂きました。美味しかったです。

神田駅を過ぎたあたりで、なんとお神輿も担がせていただきました。

H29 『神田祭』写真⑥

21時頃御酒所に到着しました。一日があっという間に過ぎてしまいました。
到着後は鍛冶一丁目の方々と軽くですがお食事会をしました。最後まで参加していたかったですが、5人とも月曜日に授業があったので早めに帰ることになりました。
そして、帰る前に弁松のお弁当を頂きました。甘くておいしかったです。

今回私たちは神田祭のお手伝いとして神輿の先頭に立つ錫杖と高張り、弓張りのお手伝いさせていただきました。

まず、錫杖についてです。
錫杖は、『明鏡国語辞典』によると僧侶・修験者が持ち歩くつえのことをさし、頭部につけた金属製の環に数個の小環をかけ、突くとなるようにしたものだそうです。
祭りでは、左手に持ちちょっとの間引きずってから、地面をタンとついて音を鳴らすといったことを繰り返しながら歩きました。
この錫杖を持って歩く人は二人いるのですがなかなか音を鳴らすタイミングが若干ずれてしまったり色々大変でした。

H29 『神田祭』写真⑦

次に高張りについて説明します。
高張り提灯とは、長い竿の先に提灯を取り付け、高く掲げられるようにしたものです。
江戸時代には武家の照明として使用されていたそうです。現在は主に祭礼での目印として使用されているようです。
高張りは見た目通り結構重かったです。持って歩くときは、竿の一番下の部分をお腹に巻いた帯の上にうまくおいて歩くとお腹にかかる負担が少なく済むのですが1回目はなかなかうまくいきませんでしたが、2回目はうまく乗せることができスムーズに歩くことができました。

H29 『神田祭』写真⑧

最後に弓張りの説明をします。
弓張りとは「弓張り提灯」の略称で円筒形の細長い形の提灯のことです。
腰に差すこともできるデザインになっており、形は球形と円筒形のものがあるそうですが、いずれも竹弓の弾力を利用して火袋を上下に張って安定させたもので、敏速な行動にもぶらついたり、火が消えたりしないような仕組みになっているそうです。
初めは武士によって利用されたが火消不足、御用聞などにも使用するようになったそうです。
今日では、提灯行列や祝賀装飾などに用いられており海外にも輸出されているそうです。

H29 『神田祭』写真⑨

最後に参加者5人の感想の感想をのせたいと思います。

W.E
日本で有名で大きな祭りに参加する事が出来てとても光栄でした。
私は、高張り提灯や弓張りを持つ事になり、持ち方や歩き方が決められていて難しそうであるなと思いましたが、神輿を先導する重要な役割であったため、しっかりと胸を張って歩かねばという気持ちで気を引き締めて臨みました。
参加していた方の殆どが年上の方でしたが、見物していた人は若者や外国人が多く、写真を撮っている姿が目立ちました。
東京オリンピックが控えているので、日本の伝統行事を活性化させるという意味でも、SNS等を通して多くの方にこの祭りの存在を知ってもらいたい、参加を考えていただけたら嬉しいなと思います。
次回は2年後の開催という事ですが、私ももしまた出来るようであればもう一度参加したいと思います。

H.A
今回、日本三大祭りとも呼ばれるこの祭りに参加し、神輿の先導をさせていただきました。歩き方にも特徴があり大変でもありましたが、しっかり前を見て歩くことができました。
お祭りを行っている最中は道路を封鎖している場所では多くの見物客が集まり、また外国人の方が神輿に興味を持っていたり、この祭りがいかに盛大であり、多くの観客を楽しませていることが分かりました。
またメディア展開も年々おおきく広げているので今後国や地域関係なく更に多くの人が集まりを楽しんでいただけたら幸いであると考えました。

S.T
地元ではこういった大きな祭がほとんど行われておらず普段から縁のないものだということもありますが、三大祭りの1つである神田祭りに参加させていただいたことは本当に貴重な経験をさせていただいたと思います。
提灯、錫杖だけでなく神輿まで担がせていただきましたが神輿はとても重く、これが神の重みなのかなと感じ、人がいるからこそできるものだと思いました。
2年に1度ということもあり、とても盛大に行われていたと思います。また、道中では日本人に限らず外国人も立ち止まって見たり写真撮影をしたりと沢山の方に祭りに興味を持っていいただけたのではないかと思います。
様々な情報が飛び交う現地に行かずとも知ることができる世の中だと思いますが、実際に見聞きする方が良いものだと改めて思いました。参加する側だけでなく、見る側も楽しめるのが祭りであると思います。
今後も機会があれば積極的に参加、見物していきたいと思います。

Y.A
神田祭では地元の人間でもないのに祭りに参加させていただき、また神輿を先導していく役目を手伝わさせていただき本当に貴重な体験をさせていただいたと思いまいます。
また、私は幸運なことに今回手伝わせていただいた錫杖、高張り、弓張り、全てをやらせていただきました。神輿を先導する大事な役目ということもあり、お祭りなのに顔がこわばってしまってあまり楽しそうにできていなかったかもしれないとのが心残りとなってしまいましたが、普段は絶対できないようなことに挑戦することができとても勉強になりました。
お祭りの手伝いではなかなか大変なこともありましたが、2年に1度というお祭りの手伝いができてとてもよかったと思います。

M.K
歴史文化学科に所属していますが、初めてお祭りに観客ではない形で参加しました。
朝から夜まで移動し続けるということだったので、最後までやり切れるか心配でした。
しかし、鍛冶一丁目の方々から「こうするといいよ」や「頑張ってね」など声を掛けていただき安心してお祭りを楽しむことができました。
次回の神田祭は2年後ですが、貴重な体験ができる機会なので次回につながっていけばと思っています。
大谷津先生、鍛冶一丁目の方々、お世話になりました。