2月23日の学長ブログ


 先週末に降った雪が消え残り、梅が満開で私が大好きな季節なのに、今週は2回も東京を離れた。

 16日(日)午後、成田を出てハノイへ。5時間足らずの飛行なのでボストンなどアメリカに行くのに比べとても楽。午後10時半とかなり遅い到着だったが、向後さん、安藤さんと一緒だったので安心してホテルに到着。クラシックで広くていい部屋。
 翌朝、友田教授など関係の方と会い、ドンラン村へ。かなり道がよくなっており1時間余りで着く。小雨もやみ、ドンラン村を見学。傾いた廟を立て直すなど修復の技術援助にユネスコがアジア太平洋賞をくださったのだが、予想以上にいろいろな史跡や個人の古い住宅などが残っており、世界遺産に指定される可能性が高い村ではないかと思った。特に中国からの独立に挺身した王様や、将軍などのゆかりの地であるというのも有力候補になりうる。向後さんが指導した食もしっかり根ついている。夜は、ハノイでハイファイリンさんとご両親、JICAハノイ事務所長、ベトナム文化スポーツ省の局次長などと会食。客員研究員で半年昭和女子大学に来ていた人や、大学院卒業生も。

 18日(火)は文化スポーツ観光省でユネスコの授賞式。ドンラン村の人たちも多数参加。住民の方たちがとても喜んでいるのが印象的。ユネスコ事務所長も副大臣も女性。私も短いスピーチ。お昼は省主催の昼食会。副大臣も最後まで。午後少しハノイの町を見学。経済発展が始まった街の勢いは1992年、はじめて北京を訪れた時を彷彿とさせる。いたるところオートバイと建築現場。夜は関係者と夕食。埼玉県にいた時の知り合いと会ってびっくり。
 夜12時にハノイ発で朝6時半成田着。時差の関係で実質4時間。近すぎて眠る時間が取れない。いったん家に荷物を置いて大学へ。アドミッション部長から説明を聞いた後、お昼に入学試験委員会。留学生の入学判定なのだがグローバル化を目指すという方針が学科によっては他人事と思っているのではないかと危機感。そのあと打ち合わせが2件。機構教授会。睡眠不足で頭がもうろうとしたので少し仮眠。19時から日比谷図書館コンベンションホールで古川さんたちが立ち上げた彩志義塾の発足記念講演。聴衆は200人余り。中学の同級生の佐伯さんも。いろんな方ともっとご挨拶すべきなのだがさすがに疲れて講演だけで帰る。
 20日(水)は10時から大学院委員会。そのあといろいろなうち合わせや決裁。13時から16時過ぎまで理事会。16時半明治書院の方たちが新しい本の企画。17時半歯医者。先日のインプラントがうまくいっていないというのでやり直し。そのあとアメリカンクラブで伊原アジア太平洋州局長の話を聞く。とても良い話だった。慰安婦問題は村山談話、アジア女性基金など関係者の苦労を身近に知っているだけに複雑。
 21日(金)は朝からJ-WINの企業審査会。石井雇用均等局長とも久しぶりに会う。13時半に失礼して大分へ。16時半近くに大分空港に着き車で会場へ。大分駅前の昨年できたばかりの素晴らしい施設。講演前に光葉同窓会の方々、湯布院の溝口さん、小野さん、日銀大分支店の方々、大分市の方がご挨拶。聴衆は1100人ほど。小野さんと夕食をご一緒し宿に着いたのは11時過ぎ。土曜日午前中は香りの博物館など別府観光。1時15分の飛行機で帰京。次女たちが家に来て夕食。
 23日(日)は11時半光葉同窓会世田谷支部の発足記念パーティに。やっと発足して同窓会の方々は喜んでおられる。