8月31日にモンゴルから帰国し、しばらく東京でいつもの生活をしたあと9月4日からボストンに来て10日に日本に着く。日本は秋雨ですっかり涼しくなったのにボストンは連日晴天で華氏90度以上の日が続いた。今回はルーシーがback painの手術直後でケープコッドで静養中、スーザンファーとも日程が合わず、メアリーはいないので会う人の少ないボストン滞在だった。
9月1日(火)は10時初等教育学科の斉藤学科長、10時30分ビジネスデザイン学科新任の山田教授、13時から国土交通省、そのあと大学に戻って打ち合わせなど。野田聖子さんのパーティは申し訳ないが欠席。
2日(水)は10時熊平学院長、武藤部長などとキャリアカレッジの今後の体制づくりの打ち合わせ、11時来客、12時過ぎに大学を出てNHKへ。写真を撮るので長袖ということだったが暑く、スカーフなどで調節。しかしとても雰囲気づくりのうまいカメラマンで出来上がりが楽しみ。録音が少し長引いたので経済同友会の知日派の会合は遅れていく。しかしとても面白いスピーチだった。日本の組織は高い能力を持っている人を認めず報わず、みんな一緒に扱うのでみんなで一緒に没落していくという指摘。30年前は私も同じように思っていたが、今はあきらめの境地。能力に応じ「公正」に評価するのはむつかしいから「公平」に逃げているのではないかと自省。少し遅れて帰るが久しぶりに滋賀から帰ったわかな、いろは、アンナに会う。
3日(木)は10時30分世田谷警察署長が新任あいさつ。11時日経BPの伊藤さん。13時来客、14時からこども園の在り方について江口常務理事、小泉幼稚部園長、越川昭和ナースリー園長、郷田幼稚部副園長などに。せっかく新しい立派な立派な施設ができたのに保育内容が旧態依然では困るとお話ししたが、どこまで共感していただけたか。PIBなど具体的な提案が必要。15時常勤役員会の打ち合わせ。18時から目黒で会合。会場、料理もよかったが出席者もレベルが高く 斎藤さんのお話も日本の企業や経済に対する憂国の情があふれていた。
4日(金)朝わかなからリクエストが入りアンナちゃんをナーサリーに連れていったので動きを変更。10時から文部科学省の中央教育審議会、その後帰宅し、ボストン行きの荷物をもって大学へ。13時30分総務省の岩佐さん。国勢調査もいよいよ本番。本省の課長は一番仕事が面白い時期。良い仕事ができてよかった。ポスター、どら焼きなど広報グッズをもらう。いろいろ事務処理をして15時30分に大学を出て渋谷から成田エクスプレス。キャシーからの電話がゆっくり話せなくて残念。いつもの通り日本航空の008便でボストンに。ケンブリッジによって22時前ボストンキャンパスに。
5日(土)は11時光葉同窓会の方たちと交流会。ボストン在住の卒業生も出席。夕食も皆さんとTOP OF THE HUBで。よく晴れていて日没から夜景までとてもきれい。同窓会の皆さんは元気な方しか参加していないからだろうが、とてもお元気。学生たちが案内してボストンを見てもらってよかった。
6日(日)はのんびり。夜はいつもごちそうになっているボストン総領事ご夫妻をご招待。FDで来ている本学の教員の方たちがNY旅行から帰っているので1時間ほどおしゃべり。同窓会の方たちはフィラデルフィアにご出発。
7日(月)は12時すぎ西本絵里子さん、14時30分我喜屋さん。二人ともグローバルに活躍しているエネルギッシュな女性。「そうだ行動しなければ」と奮い立つ。夕方はいく子さんのお宅で夕食会。本当によくお世話してくださると頭が下がる。ゴードンご夫妻もまだ日本から送った荷物が届いていないそうだ。
8日(火)は朝留学コンサルタントの女性たちと話す。もっとボストンからアメリカの大学に留学してほしいのにまだ少ないが東京女子大学や日本女子大学が英語圏への留学者0が続いていると聞くと昭和は頑張っている方かとも思う。そのあと昭和ボストンのアビューザさんの運転でフレミングハム州立大学へ。ルート9で50分ほど。アメリカの典型的な大規模州立大学。国際交流部長に学内を案内してもらい学長、副学長などに会う。直接出向くといろんなプログラムの可能性が開ける。昭和ボストンの教員であるJohn McCarthyの父上が24年間この大学の学長をされていたというのでマッカーシーホールもある。行きは本屋で、帰りはスーパーでお買い物。いつもお土産を買う時間がないが今回はばっちり。17時30分から昭和ボストンの理事会。川平理事はシカゴが雷雨で少し遅刻。終了後みんなで夕食。我喜屋さんからメールが入る。
9日(水)9時我喜屋さんがカタリーナと来訪。とても表現力のある女性。いきなり授業導入は無理でもボストンで語学以外の最先端のITに触れるのは良いのではないかと思う。10時30分にタクシーで空港へ。
10日(木)成田空港は豪雨で滑走路が一つしかつかえなく、帰国が遅れた。
9月10日の学長ブログ
- 2015年9月11日
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