60歳の時にそれまで登ったことのなかった富士登山を成し遂げた達成感から心ひそかに70歳ではわが故郷の立山に50年ぶりで登ろうと考えていた。とはいうものの一人で登るのは不安で昨年の高校の同窓会総会で富山にいった折に、同期で登らないかと世話役の白石さんにお願いしたら、仲間を糾合してくださった。
16日に富山に行き17日にホテルに泊まり18日に登る予定にしていたが、台風が近づいており、17,18の両日とも天気が悪く、登山は無理かとの予報。しかし「17日の朝、7時には地鉄立山駅に集合」という白石さんからのメールにこたえて6時過ぎに姉に五百石(7時までは無人駅で乗客もまばら)の駅まで送ってもらい、地鉄で立山駅に。参加者は井上和子、笹林洋子、下西久仁子、坂東眞理子、浅田謙三、石黒雅熙(リーダー)、大村啓(サブリーダー)、轡田和夫、白石哲也(連絡担当)、高畠稔夫、大村さんの奥様の雅子さん、その友人の北由美子さんは室堂散歩。笹林さん、下西さんは懇親会のみの参加。
雨がひどくやはり無理かなとも思いながらとりあえず室堂まで行こうとみんなで出発。弥陀ヶ原はガスっていたものの室堂では少し視界も開け、決行。場合によっては一の越でリタイアかと思っていたのだがみんなにストックを借りたり、リュックカバーを借りたり支えられ、井上さんに高山植物の名前を教えてもらいながら石畳の道を根気強く登って一の越に到着。標準登山時間1時間のところ90分。まあ想定通りのペース。
(一の越にて休憩)
休憩後、登り始めたが、雨風が強くなり、途中から引き返し、一ノ越の山小屋でしばらく待機。しかし、1名はもう登山を始めたらしく戻ってこない。雨風が少し弱まってきたので、残りのメンバーでまた登る.。最初はそれほど岩が多くないのだが、途中から、岩をつかみ、右に左に登山道を登る。小学生の時には軽々登ったはずなのにこんなに険しい山だったかと初めてのような感じ。
普通の山とちがいここは網目状の登山道。転倒したり、滑落に注意に注意を重ねながら、まさにマインドフルネスというか、次はどの岩に足を載せ、どこにつかまろうかだけを考えて登る。大学の同級生の堀井さんが奥多摩で転倒滑落して大けがをした轍を踏まないように。途中、2,3回休憩しているちに、雨風も弱くなってきたが、結局、山頂まで雨。
途中、先頭を行って連絡がつかなかった一人から山頂に着いたとの連絡。山頂手前で休憩している時、用事で少し遅れて出発した石黒さんが追い付いてくる。大きなリュックを背負って、2時間ぐらいは、後から来たはずなのに、ものすごい体力とスピードで追い付いてきたとはさすが大学の山岳部出身者。
これで、全員、同時に山頂到着。まずは、全員で記念撮影。その後、雄山神社の社務所内でお祓いを受ける。その後、山頂の祠へお参りし、昼食。大学1年の時、この山頂の雄山神社で巫女さんのアルバイトを1週間していたが、それ以来約50年ぶりの登山。私以外の石黒さん、白石さん、轡田さん、高畠さんも時々立山に上っているらしく、井上さんも各地の山を登っているそうで頼もしい。
雨で視界は悪かったが、自分の足で3000メートル級の山に登れたことと、同級生の皆さんの支えに大感謝、大満足。絶対一人では登れなかった。
(山頂で)
下りは、天気予報通り、雨は止んできて動きやすくなったが、事故が起きやすいので登るとき以上に心して一歩一歩下る。途中又携帯に電話。一人先頭?を行っていた人が「周りは高山植物が咲いているところに来たが、どこにいるかわからない」との連絡、しばらくすると「霧が晴れ一ノ越山荘に着いた」との連絡で一安心。道を外れて、東側の谷に迷い込んだようだが幸い霧が晴れて山小屋が見えたそうだ。
そのあとも下山の足の運び方のアドバイスを受けながら室堂へ。天気が悪いせいで、登山客は割と少なく、バスで立山高原ホテルに。このころになると台風一過で雄山の頂上まで見えるが、この悪天候の中で登頂できたことで満足感いっぱい。立山高原ホテルにはわざわざ来てくれた笹林さん、下西さん、姉などもいて無事を喜び合う。 6時から夕食。皆さんから誕生日のプレゼントまで頂戴して感謝感謝。
次の日も天気はいまいちだったが、すでに立山登頂を成し遂げていたので心に余裕をもって室堂山に登った後下山。
途中芦峅寺の雄山神社で下山報告のあと4時前に帰宅。下界は蒸し暑い。