閻魔大王の御判

先日、大阪平野の長宝寺にお参りしました。坂上田村麻呂の娘で、桓武天皇の妃だった春子姫が開基したお寺で、今に至るまで尼僧寺院として存続していることで知られています。
この長宝寺について本学出身で講師をしてくださっている阿部美香先生が新資料を発見し、学界やマスコミで評判になりした。
長宝寺には「閻魔大王の御判」が伝わっています。その由来を大阪弁ふうに記してみます。

平野の長宝寺になぁ、地獄で閻魔さんに会ってきた尼さんの話があるやんで。
それはな、室町時代の永享11年(1439)のことや。慶心という尼さんが急に亡くなったんやが、間もなく息をふき返したんや。そら、みいんなびっくりしたで。
そんでな、尼さんのおでこを見ると、なんやら判が押してある。聞いてみると、慶心さんがいうには、「閻魔さまの王宮まで行って、地獄の様子を見学してきました。閻魔さまが、『この世で善いことをたくさんしておかないと、永久に八大地獄の苦しみを受けねばならん。お前はここで見たままのことを世の人に伝えよ』とおっしゃつて、ここへ来た証拠にと、閻魔さまがわたしのおでこに御判を押されました」と答えたんや。ところが古い時代なのに誰も信用しよらん
そうしているうちに、3年目にまた慶心さんの息がとまってしもた。それと同時に近くの熊野権現の神主の田村さんが妙なことを口ばしったんや。「わしは閻魔王じゃ。せっかく慶心をあの世まで呼んだのに、嘘だという者が多い。だからもう一度呼び戻したから、よみがえったら注意せよ」とな。しばらくして、また生き返った慶心さん、手を開くと青い光を放つお釈迦さまのお舎利と、手のひらには閻魔さんの御判が押してあったのや。「この御判をもとに版木を作り、みんなとの縁を深めよ」と仰せられたということや。
あくる年、10日間かかってお経を読んでいると、8日目に見知らぬ坊さんがやってきて、「この寺には閻魔さんのお像がない、私が作ってやろう」というて、たった1日で刻んだ。これが長宝寺に祀られてる閻魔さんや。
この話、長宝寺の『よみがえり草紙』というのに書かれてるんやが、毎年5月の18日の御開帳に、この閻魔さんを拝んでデコチンに御判を頂いたら、極楽へ行くのん間違いなしや。ぼんも行きなはれ。

というので、わたしも、「閻魔大王の御判」をいただいてきました。極楽に行けるかな?