日本美術史担当の植松勇介です。専門はもちろん日本美術史ですが、もう少し細かく分ければ……前回(’11/11/23)書きましたね。
数日前、岡山県で銅鏡の調査を行いましたので、今回はその報告です。
まず訪れたのは岡山市埋蔵文化財センター。川入・中撫川遺跡で出土した海獣葡萄鏡を見せていただきました。直弧文のレリーフが印象的な建物です。
海獣葡萄鏡は7世紀末から8世紀初めに唐で流行した鏡です。奈良時代の日本にも舶載され、それを原型としたコピーがかなり作られました。
川入・中撫川遺跡出土の海獣葡萄鏡は直径6センチほど。鋳上がりはあまり良くありませんが、これと同じ文様の鏡が日本各地に40面ほどあり、国内における海獣葡萄鏡の広がりを考える上で重要な遺品です。
続いて笠岡市立郷土館へ。笠岡市立郷土館では大飛島遺跡出土の唐花六花鏡を熟覧しました。同文様の鏡が正倉院に伝わり、東大寺大仏殿の地下からも発掘されています。正倉院や東大寺のものに比べると、やや模糊としていますが、今でも銀色に輝いていて出来は悪くありません。重要なのはこの鏡が大飛島という瀬戸内海の小島で出土したということ。翌日、現地に行ってみました。
笠岡港から連絡船に乗ること一時間、大飛島(おおびしま)と小飛島(こびしま)が見えてきます。目的地の大飛島は周囲は約5.5キロで、二時間もあれば一周できる大きさです。
昭和37年、大飛島小学校の片隅にある巨石の下から唐花六花鏡など銅鏡や銅銭、三彩陶器が出土しました。この巨石の周辺では奈良時代から平安時代にかけて祭祀が行われていたようです。かつては干潮時に巨石前の海岸から小飛島へと伸びる砂州が現れたとか。現在は潮流の変化によって砂州は消失してしまいましたが、古代の人々がここを神聖視した気持ちもわかる気がします。
大飛島の祭祀遺跡は発掘が完了しており、遺物も本土に運ばれています。しかし、そこに立ってこそ得られる何かがきっとあるはず。皆さんも積極的に”現場”へ出かけてください。「手で考え、足で見る」が歴史文化学科のモットーなのですから。