歴史は何の役にたつのだろう

「パパ、歴史は何の役にたつの、さあ、僕に説明してちょうだい」
これは、フランスの歴史家マルク・ブロックが書いた『歴史のための弁明』という本の冒頭に出てくる、少年の問いです。

歴史を学んで、いったい何の役に立つのか?
個人的には、あまり好きな質問ではありません。
ひとつひとつのことについて、「何の役にたつの?(役に立たないんだったら、意味ないじゃん)」という質問(というか詰問ですね)をつきつける社会というのは、余裕を失った息苦しい社会だと思うからです。
マルク・ブロックがこの本を執筆していたのは、1941年5月。
フランスがナチス・ドイツによって占領されていた時期です。
ユダヤ系であったブロックはフランスからの脱出を試みましたが、失敗。
結局ブロックは、ドイツ軍占領下で抵抗運動に参加し、最終的には逮捕され銃殺されてしまいます。
ブロックがこの問いと向き合っていたのは、そんな切実な状況のもとででした。

役に立とうと立つまいと、とにかく私は歴史が好きなんだから、それで十分じゃないか!

という答えを堂々と言える社会がいちばんいいな、と個人的には思っています。
学問を根っこのところで支えているのは、役に立つとか立たないとか、そういう「つまらないこと」を超越した、自分の研究対象への強い愛情だと思います。
強い愛情がなければ、自分の人生をかけてなにかひとつの学問をきわめようなどという情熱が生まれるはずもありません。
ですが、21世紀の今の社会、ブロックの時代とはまた違った意味で、社会から余裕が失われているような気がします。
いい意味での「ムダ」というものが、だんだん存在を認められなくなりつつあるというか。
何の役にたつかわからないことは、お金や時間の無駄。存在意義が説明できないんだったら、もう面倒見ないよ。そんな雰囲気です。
「好きなんだからそれでいいじゃないか!」と言っているだけではなかなか通用しない、そんな厳しい時代になりつつあります。
ですから今回のブログでは、たいへん気の進まない話ではありますが、 歴史を学ぶことは何の役に立つのかについて、私なりの考えを述べたいと思います。
あ、すいません、自己紹介が遅れました。西洋史担当の小野寺拓也です。

それでは、私の答えをずばり申し上げましょう。
歴史学を学ぶと、ものごとをフェアに見ることができるようになる」。

歴史を学んでよくよくわかることは、「人間や社会はとても複雑なものだ」ということです。
そんなこと当たり前だろう、と思うかもしれません。歴史学を学ばなくても、そんなこと常識だろう、と。
たしかにそれはその通りで、人間や社会が複雑だということをわたしたちはよく知っていますし、だからこそ、ああでもないこうでもないと、いろいろな理論や枠組みを作って、なんとかしてそれを説明しようとするのです。
素晴らしい理論や枠組みを勉強すると、それで世の中のいろんなことが説明できた気になって、すっきりした気分になります。

しかし歴史学をきちんと学ぶと、ここで1つの「嗅覚」が働くようになります。
本当にそうなのかなあ ・・・。その理論、理屈は正しいかもしれないけれど、なんかしっくりこないなあ・・・という感覚です。

歴史学を学ぶとなぜそうした嗅覚が働くようになるのか。
それは、歴史学という学問が、(まずは)地を這うような泥臭い学問だからです。

ジャンボジェットに乗って、上空一万メートルから、まるで神様のような視点で地上を眺めるのではなく、そこに生きている人びと、そこに息づいている文化や習慣、その社会を動かしている制度や仕組み、そういったものに「アリの視点」から地面を這って具体的に触れる。
この「具体的に触れる」というところが、とても重要なところです。
大きな理論とか枠組みとかはひとまず置いておいて、過去に生きた具体的な人びとに、史料やモノを通じて触れる。
そうすることで、人間や社会というのは一筋縄ではいかない、とても複雑で理解するのが大変なものなのだ、ということがよくわかります(複雑でわかりにくいからこそ、とても面白いのでもありますが)。

ですから、「わかりやすい」説明や理論が出てきても、具体的にいろいろなことを知っているからこそ、「確かにあの理論であの点は説明できるかもしれないけれど、この点は説明できないよな」とか、「この理論はちょっと言い過ぎだな」とか、「もっといろいろな観点を見ていかないと」といった違和感を感じられるようになるのです。
一言で言えば、「わかりやすさ」に騙されにくくなるのです。


そういう意味では、歴史学というのは、世の中で「成功」を収めたい人には向いていない学問かもしれません。
世の中で「成功」を収めるのは、往々にして、人をあっと言わせたり感動を与えるような「わかりやすさ」だったりするからです。
ですが、 「失敗」をできるだけ回避するためには、とても「役に立つ」学問だとも思っています。
人間が致命的な失敗をする時というのはえてして、「これでいける!」とか、「この方法しかない!」といったように、視野がものすごく狭くなり、他のことが見えなくなっていることが多いように思います。
しかし、歴史学を通じて「できる限りフェアなものの見方をする」という態度を身につけることで、「本当にそうなのかな」と、冷静にものを考えることができるようになります(ですから、私がここに書いていることも、「本当にそうなのか?」と疑わなくてはなりません!)。
世の中には「こうすれば大丈夫」、「これが成功の秘訣」といったたぐいの言葉があふれていますが、そうした情報の荒波をかいぐって現代社会を生きていくみなさんにとって、歴史学というのはとても大事なことを教えてくれる学問であると、私は思っています。

しかし繰り返しになりますが、一番大事なことは、その学問が好きだということです。
これだけ面倒くさいことを書いておいて最後にそれかよと思うかもしれませんが、歴史が好きなみなさん、ぜひ歴史文化学科へ!後悔はさせませんよ