こんにちは。西洋史の小野寺です。
大学教員の大事なお仕事の一つに、教育実習先の中学・高校を訪問するというものがあります。
だいたい、6月から9月がそのシーズンになります。
実習を受け入れてくださった学校を訪れて、担当の先生や、校長先生・教頭先生などとお話してお礼を申し上げ、学生が授業している様子を見学させていただくのですが、そうしたなかで、中学や高校の先生方がどのように学生に接してくださっているかを直にうかがったり、普段は知らなかったゼミ生の別の側面に触れたりすることができ、教員にとっても貴重な機会になっています。
9月下旬には、神奈川県のとある中学校を訪問させていただきました。
入り口にいきなり歓迎の言葉があって、びっくりしました!
学生たちが教えているのは、中学では社会科、高校だと世界史ということが多いわけですが、それでも自分の専門領域(卒論で取り上げているテーマ)をそのまま教えるということはまずありません。
そもそも、(塾講師としてバイトをしているとかでもない限り)学生たちは人に教えるという経験がほとんどないわけで、そうしたなかでそれほど詳しいわけではないことを、生徒の興味を惹きつけながら50分間話すというのは、とても大変なことだと思います(私も、大学で初めて教壇に立ったときは、レジュメやパワポのつくりかたもよくわからず、学生の目を見ることもできず、本当に大変でした。私語も多くて辛かった・・・。ちなみに別の大学ですが)。
私も後ろで見学していると、「そこだったらあの話をすればいいのに」とか、「こういう具体例を出せばいいのに」と、つい助言をしたくなってしまうのですが、それは現場の先生方もまさにそうで、ハラハラ、やきもきしながら、辛抱強くじっと授業の様子を観察しておられます。
しかしそれでも、学生たちはさまざまな工夫をこらして、なんとか生徒の興味を惹こうと奮闘しています。「つかみ」に面白い写真を提示したりとか、図像を多用したりとか、たとえ話を持ち出したりとか。
自分の経験を振り返ってもそう思うのですが、「他の人に自分の話をきちんと聞いてもらえる」というのは、とても大変なことで、しかしそれが多少なりともうまくいったときの達成感というのは、何物にも代えがたいところがあります。
十分な知識や、わかりやすい話し方、工夫をこらした見せ方、聞き手に配慮する余裕など、そのために必要な要素はいろいろあるのでしょうが、結局の所生徒は、その先にある「教師の人間性」みたいなものを見ているところがあります。
知識面や技術面でまだまだ未熟な教育実習の学生たちが、それでもそういう人柄のようなところで生徒に信頼されているのを見ると、私が今まで知らなかった学生の成熟を知った気がして、「たいしたものだなあ」と感心します。
そして、中学や高校の先生も、そういう人間性のような所をしっかり見ておられました。
学生のことをきちんと見てくださっていることにあらためて感謝の念を抱きましたし、結局の所根本はそこなのだな、ということも改めて感じました。
教師になるというのは、そう簡単な道のりではありませんが、そこから得られる見返りはかけがえのないものですし、実際本学科でも教師として活躍している先輩もいます。
人に教えてみたいという希望をもつ皆さんは、ぜひ臆せず挑戦してもらいたいと思います!