ヨーロッパ歴史演習に行ってきました! [2018年03月08日(木)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。

2月19日から3月2日まで、29名の歴文学生を引率して「ヨーロッパ歴史演習」の研修旅行に行ってきました。

今回のテーマは、「ヒトラー・ナチ体制の『負の遺産』を訪ねる」。
ヒトラーが青少年を過ごしたウィーン、ナチ党が急成長を遂げた本拠地ミュンヘン、ナチ運動の「魅力」が演出されたニュルンベルク、アムステルダムにあるアンネ・フランクの隠れ家、そしてユダヤ人迫害の究極の到達点アウシュヴィッツなどをめぐる研修旅行です(上の写真は、アンネ・フランクの家)。

この演習には三つの軸がありました。
一つめは、歴史の「現場」を訪れるということ。アンネ・フランクの家はもちろんですが、アウシュヴィッツ強制収容所とビルケナウ絶滅収容所、ゾフィー・ショルなど「白バラ」運動がナチ体制への抵抗を呼びかけたミュンヘン大学(上の写真)、ミュンヘン一揆で警官隊との衝突が起こったオデオン広場、ヒトラーがしばしば演説を行ったホーフブロイハウス、ナチ党大会が開かれたニュルンベルクの大会跡地(下の写真は、ツェッペリン広場)、ニュルンベルク裁判が行われた法廷などなど。

こうした跡地にはだいたい博物館が併設されているので、そこでの説明を見ればその「現場」で何が起こったのかを知ることは一応できるのですが、その「現場」自体は基本的には「からっぽ」な場所です。
たとえばニュルンベルク党大会の跡地であるツェッペリン広場は、今ではサーキット場やサッカー場などに生まれ変わっていて、当時の面影の一部しか残っていません。
ニュルンベルク裁判の法廷も、当時とはかなり内装や構造が変わってしまっています(下の写真)。
その場に行けば、自動的に当時のことがありありと目に浮かんでくる、というわけではありません。

こうした「からっぽ」な「歴史の現場」に身を置くことは、自分自身の知識や認識が問われるということでもあります。
その歴史についてどれだけのことを知っているのか、そこからどれくらい想像力を豊かにすることができるのか、そういうことが一人一人に問われるのです。
大学の授業や講演のように、「さあそちらが説明して!私は聞いているから」という訳にはいきません。
自分からその「現場」に語りかけない限り、現場は何も語ってくれません
重大な現場にいるのに何も感じることができないという可能性も含めて、ある意味でシビアな経験もしてほしかったというのが、私の意図でもありました。
下の写真にあるビルケナウ絶滅収容所という場所は、まさにそういうことが極限まで問われているところでした。

二つ目は、博物館の見せ方というものを、各国の博物館展示の比較を通じて学ぶということでした。
今回訪れた国々の博物館は、大きく「ドイツ型」と「非ドイツ型」の二つに分けることができます。

「ドイツ型」の博物館の特徴は、とにかく文字によって説明するということ
もちろん写真や絵、風刺画なども数多く展示はされていますが、中心はあくまで文字。
基本的にはドイツ語と英語による説明なので、外国語が苦手な人には苦痛と感じられたかもしれません。
しかし、ミュンヘンのナチ・ドキュメントセンターの学芸員の方もおっしゃっていましたが、大事なことは「文脈を示す」ということ。
意味ありげな写真、面白そうなアイテムを唐突に置いて来場者の興味を引くのではなく、その写真やアイテムが一体どのような文脈で成立し、利用され、理解されたのかということを、誤解の余地なく説明するということです。できる限り来場者の理性に訴え、冷静・客観的に歴史を幅広く見る視点を身につけてほしい。そういう意図が、ドイツの博物館には徹底していると思います。

ただし、こうしたやり方に難点があるのも事実です。
まず、どうしても大学生や大人が対象となり、中高生やそれ以下の人たちに訴えかける力が乏しいということ。
そして、どうしても歴史が「客観的に理解する対象」となってしまいやすいので、(博物館側もいろいろ努力しているとはいえ)「当時自分だったらどうしただろう」「現代でも同じような問題は起こりうるか」といった、身近な問題として歴史を理解するということが難しくなってしまうことが挙げられます。

今回も、ドイツ以外の博物館のいくつかでは、興味深い展示が見られました。
たとえばクラクフのシンドラー工場博物館。
ここは基本的にナチ体制下のクラクフについての展示が中心なのですが、(とくに展示上の必然性がなくとも)ナチの旗が経路に吊られていたり、強制労働の部屋では地面が石で敷き詰められていたり、ゲットーの部屋では天井の装飾まで壁模様になっていたり(下の写真)。
ある意味で、さきほど説明した「ドイツ型」とは正反対の展示と言えると思います。

また、この博物館には、当時ユダヤ人が隠れていた隠れ家の様子がそのまま再現されていて、その場に自由に立ち入ることができます。
ウィーンの軍事史博物館には、第一次世界大戦時の兵士が身にまとっていたフル装備30キロや背嚢12キロを体験してもらうコーナーがありました。

一番素晴らしいのは、アムステルダムのレジスタンス博物館です。
ここには一番奥に子ども向けの体験コーナーがあり、当時さまざまな立場に置かれていた4人の子どもの追体験ができるブースが4つ置かれています。
たとえばユダヤ人で隠れ家に入らざるを得なかった少女の部屋に入ると、来場者たちによる即席の「家族会議」が体験できます。
自分の置かれた状況のもと、隠れ家に入るか入らないか。
来場者たちが議論をしながら、押しボタンによって投票で「家族」の意志を決定していくのです。

また博物館ではありませんが、ドイツを中心にヨーロッパでは「躓きの石」という市民ベースの運動があります。
これは、ユダヤ人などかつてナチ体制の犠牲者が住んでいた家の前の道路に、金属製の「石」を埋め込んでいくというものです。
学生と一緒に夜のザルツブルク市街を歩いたのですが、1時間ほどで15枚近くの「躓きの石」を発見することができました。

亡くなった人の氏名、出生年、逮捕された年月日、移送された強制収容所の名前、死因などが記されています。
犠牲者にも一人一人の「顔」があったのだという当たり前のことを、日常のなかではっと思い出させる仕組みになっています。

そして最後の軸が、ヨーロッパの文化遺産、景観、町並み、建築物に触れるということ。
今回の研修旅行では、クラクフのヴァヴェル城と旧市街、ウィーンのシェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿、ヴァッハウ渓谷のメルク修道院(下の写真)、ニュルンベルクのカイザーブルク城、アムステルダムの国立美術館などを訪れました。

ベルヴェデーレ宮殿では、クリムトの「抱擁」やダヴィッドの「ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」が見られて圧倒されましたし、メルク修道院の教会は本当に豪華で、これまた圧倒されました。
アムステルダム国立美術館には、これでもかとフェルメールの絵画があり、レンブラントの「夜警」も含めて、あまりにも豪華すぎるラインナップに目が眩むようでした。

しかしもっとも素晴らしかったのは、なんと言ってもウィーン国立歌劇場でのオペラ鑑賞!
スピノジ指揮による、ロッシーニ「チェネレントラ」を聴いたのですが、楽しさと美しさと皮肉が絶妙に融合した、本当に幸せな時間でした。

とまあそんな研修旅行でしたが、私の感想はこんなところにして、今月中旬から学生の皆さんの感想をこのブログに掲載する予定ですので、どうぞお楽しみに!