【ヨーロッパ歴史演習】アウシュヴィッツと「いま」(3年Iさん) [2018年03月13日(火)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。
これから、数回にかけて学生レポートを掲載していきます。
今回ご紹介するのは、西洋史演習で20世紀ドイツ(ナチを含む)の環境政策について勉強し、将来は教員を志望しているIさんのものです。

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アウシュヴィッツ強制収容所では、ガイドの中谷剛さんが時間をかけて詳しくお話をしてくださいました。文化水準の高かったドイツでなぜホロコーストが起きてしまったのか、日本人がアウシュビッツを訪れることによって何を学ばなければならないのかについて聞くことができました。「人種」「グローバル」など多くのテーマで話をしていただきましたが、私は以下の3点がとくに柱となっていたように感じました。

・民主主義について
ヒトラーは独裁者ではあるけれど、選挙によって選ばれた政治家でもあります。アウシュヴィッツにヒトラーの写真はほぼありません。それはホロコーストの責任が彼ひとりのみにあるわけではないということ、ホロコーストはヒトラーだけではできなかったということを表わしているということでした。
私が目指している教師の仕事のひとつに「主権者教育」があります。いまの地歴・公民教育では、教える教員によっては民主主義はただの多数決、投票を促すことが主権者教育だという理解があるように感じます。教育においてホロコーストは、民主主義に対する教訓として扱うことができると思いました。小野寺先生が「歴史を考えるのではなく、歴史『で』考える」とお話されていたように、私はホロコーストという歴史を通して民主主義についても考えていきたいです。

・現代の難民を見る目と、当時のユダヤ人を見る目の比較
当時の民主主義について踏まえた上で考えるべきことは、私たちもいま民主主義のなかで生きているという現実です。いま私たちは、ホロコーストまでのどの時点にいるのでしょうか。日本でも社会的弱者や海外に対するヘイトスピーチは起きています。中谷さんは、生活や社会に対して「いらいら」が募っていると仰いました。なぜ「いらいら」するのかを知って軌道修正しなければいけません。それが歴史で見るということだと言われたことが強く印象に残っています。
研修中、いくつかの場面で、ヨーロッパが感じている「いらいら」を実感する機会がありました。たとえばドイツのアウトバーンでオーストリアからの国境を越える際、通常ならシェンゲン協定によって何事もなく通れるはずなのに、検問が行われていました。

クラクフのホテルで見たニュースでは、難民と思われる子どもがキャリーケースに入って移動しようとしていたことが見つかった、という事件が報道されていました。ほかにもヨーロッパの空港のセキュリティチェックの細かさから、難民問題に関して緊張した状態であることが実感できました。

・ポピュリズム
これについてもイギリスなど多くの例が取り上げられましたが、最も印象に残ったのは相模原殺傷事件についてです。この事件は私自身、事件が起きた当初からずっと関心を持ち続けており、中谷さんがどのように考えているのか聞くことができて嬉しかったです。
「わたしは健常者」だと言い、比較することによって障害者を生み出している側面があるということでした。実際、障害というのは白黒がはっきりするものではなく、得手不得手の問題で済むものもありグレーな話です。私はこの研修に行く前、別の授業の関係で、障害者についてこの事件をきっかけに勉強しました。中谷さんが仰っていたのはまさに障害が医療的な問題では無く社会的に承認されたもので、現在でも「障害者」本人を含む多くの人が捉えている理解でした。健常者との比較は現代ではそれが個人のアイデンティティとして肯定的に考えられているものも多いけれど、一部では劣った存在として認識されています。この現実も「いま日本がホロコーストのどの時点にあるか」を考える重要な要素であると感じました。

今回私が痛感したことは、当然のことではあるのですが、「どんなに熱心に研究しても自分は当事者ではない」ということでした。「共感」とか「同情」といった感覚は、日本で勉強して、深く理解していなかったとしても簡単に浮かんできます。アンネのことをかわいそうに思ったり、現場に行きたいと思った気持ちは良いことだと思うし、軽い気持ちや同情というわけではありません。しかしホロコーストの犠牲者や遺族がそれをどう感じるのか、現在のヨーロッパの人々がどう感じるのかは全く別のものだと思いました。また歴史への感覚の違いにおいても、壁を感じる点がありました。日本人の感覚とヨーロッパ人の感覚に差があることや、自分はまだ研究が仕切れていないことは理解して、学んで行ったつもりだったけれど、それでも「体験」と「研究」の違いの大きさを強く感じました(下の写真は、ビルケナウのクレマトリウム<ガス室と焼却炉を含む複合施設>)。

アウシュヴィッツでは、写真の撮影が「歴史を伝えるため」という目的の範囲内では許可されています。しかし数カ所は撮影が禁止されていました。そのひとつが、「髪の毛」です。髪の毛は鞄や靴等とは違って、保存のために手を加えることをしていません。ユダヤ教の「死人に手を加えない」という考えに基づき、また遺族の意志を尊重するためだそうです。遺族や生き残った人にとって強制収容所は祈りを捧げる場であり、ガス室などもできるだけそのまま残すことを希望しているのです。しかし、歴史を残す、という観点からすれば、保存のために修復作業をしたり身体障害のある人も来ることができるような整備をしたりするほうが良い判断であるように感じました。実際にユダヤ人が残した鞄や植樹などは保存のための手が加えられています。戦争後、時が経つにつれてその必要性は高くなっていきます。中谷さんは「歴史を知る場所である前に墓地」だと仰ったけれど、将来的にもアウシュヴィッツが墓地であれるようにするためにも、遺族の意志を尊重するだけではいけないのかもしれません。この感覚は私が当事者ではないからこそのものなのでしょうか。

アウシュヴィッツにあった上の絵は、収容されていた経験を伝えるために当事者によって描かれたものです。ユダヤ人同士の争いがあったことや、収容所での経験を思い起こすことの苦しさと、歴史を残そうという葛藤があったといいます。また、アウシュヴィツで出会った「被害者」と「加害者」の和解の話もあり、負の歴史が生になる場としても役割を担っていました。ホロコーストの歴史をどのように扱うか、アウシュビッツをこの先どのような場所にするのか、少しずつ変化するのではないかと思いました。

上の写真は、アンネ・フランクの隠れ家にあるものです。ホロコーストの写真は数え切れないほどありますが、この写真からは歴史が「そのとき」だけではないということを強く認識させられます。歴史に登場する「もの」や「こと」は、あるとき突然現れるのではなく、前後と連続しているのだということは理解していましたが、「想い」も同じように戦後も続いていくものだと思います。この写真からは隠れ家の「思い出」(過去のもの、1945年までのこと)だけでなくオットーの「寂しさ」や「後悔」(戦後のもの)を想像します。私にとって第二次世界大戦は1945年で終戦します。しかし当時の人々にとって戦争は1945年で終わるものではないのかもしれません。

私が今回の研修に期待していたのは「卒業論文の資料」や「ヨーロッパの体験」でした。それを踏まえてドイツにおける環境保護の連続性を取り扱い、研究していきます。感情的なことは論文の文章の中には必要ないかもしれません。しかし自分が感情を揺さぶられたものや、歴史を学びたいと思ったきっかけに再び出会えたことも、今回の研修の大きな収穫となりました。