【ヨーロッパ歴史演習】アウシュヴィッツで感じたこと

西洋史の小野寺です。
今回の研修旅行では本当にいろいろなところに行ったのですが、参加したみなさんに最も大きな印象を残したのは、やはり最初に訪問したアウシュヴィッツ・ビルケナウであったようです。以下、学生レポートのなかからいくつかを紹介します。

アウシュビッツ・ビルケナウでは、ガイドの中谷さんからいろいろなことを教えて頂き、とても勉強になりましたが、と同時に与えられているだけの状況にならないよう、少しでも当事者の人々の気持ちを想像してみたり、学んだことから考察しようと努力していました。それは、高校の歴史の授業みたいに、事実を淡々と学ぶだけになりたくなかったからです。
 話は少し違いますが、私は楽器の先生によく「お口を開けて待っているな」と言われます。それは先生からのアドバイスを待っているだけでなく、自分の音色に疑問を持ったり、吹いている音は和音のどの位置なのか、他の楽器は何をしているか、このメロディはどの様なイメージで演奏するのかを自分で考えろということです。まず関心を持つことが大切なことだとよく教えられますが、歴史にも、また普段の出来事にも当てはまることだと今回の演習を通して改めて感じました。実をいうと現場に行ったから劇的に何かがわかるわけではありませんでしたが、実際に見ることができたからこそ、感じたり考えたりすることができたことがありました。。
先ほども述べた、教科書や先生方から事実を「覚える」だけではなく、自ら考え疑問を持っていく「考察」をしていくのが歴史学の大切な部分だと実感できたので、これから学校で授業を受ける際にもそうしながら学んでいきたいと思いました(2年Kさん)。

この場所の見学の中での中谷さんの言葉に特に印象に残っているものがあります。それは「当時のSSと同じ気持ちになってはいけません」というものです。これはこの場所を観光地気分で訪れる人たちがいることに対しての言葉です。
もちろん私たちの中にそんな気分であの場所を歩いていた人はいなかったと思いますが、しばしばお酒を飲んでからここに来る人もいるとのことでした。中谷さんは、それでは当時のSSと変わらないと仰っていました(2年Mさん)。

ビルケナウはアウシュヴィッツ以上に静寂や空虚さに満ちていました。冬で雪が積もっているということもあると思いますが、なんだかこざっぱりしている印象を受けたため、その静寂さに頭の中の知識も凍ってしまったようで、最初のうちは歴史の「現場」に今立っているということが飲み込めませんでした
見張りの建物の下を潜って、当時ユダヤ人が貨車に乗せられ運ばれた線路沿いに歩いていくと右の方に縦長の何かが規則的に並んでいて、積もった雪の白とその縦長の何かの黒が映えて少し不気味さを覚えました。その縦長の何かは元々あった建物が壊され煙突だけ残ったものだということを後で知りましたが、それを知らなかった時は得体の知れない何かが間隔を開けてぽつんぽつんと立っているだけに見えたため、とても人が暮らしていた面影を感じることが出来なかったのです。
中谷さんのガイドと度々見る手向けの花や石で確かにここでたくさんの人が殺されたということに段々と実感が湧いてきましたが、やっぱりどうしても人の気配がしないし、事前に先生にお話を聞いていた死の池は実際見てみたら犠牲になった人々の灰や骨が撒かれたとは思えない美しさだし、収容所を後にする時になってまで飲み込みきれていないところがあったような気がします。
帰りのバスの中やホテルに着いてから写真を見返しつつ中谷さんのお話を反芻していくことでじわじわと実感が湧いてきて、この経験を元にいろいろと考えることが出来たのかなと思います。「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所って本当に存在して、そこでたくさんのユダヤ人が酷い目に遭っていたことは現実なんだ」ということを認識できたのは勿論、事前に知識を持ってその場に行っても、自分の知っている凄惨な記憶と現在のその場の雰囲気のギャップで実感が湧かないくらいなのだから、過去を語り継いでいくことがどれだけ大切なことなのかということも考えました(1年Yさん)

私はアウシュヴィッツのような存在が負の遺産として遺されることで、戦争の時代を生きていない私達でもかつてあった出来事を知ることができ、様々なことを考えることができるのだから、遺す方が良いと思っていました。しかし、被害者の方やその家族の方のことを考えると、残すべきだとは一概には言えないと思いました。ガス室跡などについては最低限の保存をするにしても、頭髪などは年月が経つにつれて自然の損傷を受けるわけで、これからもずっと続いていく議論なのではないでしょうか。負の遺産として遺していくことで、このような出来事をもう起こさないようにしていくことができると思っていましたが、それを忘れたがっている人がいることを忘れてはいけないとも思いました(1年Kさん)。

アウシュヴィッツでは「負の遺産」との向き合い方を学ぶ事ができました。アウシュヴィッツは殺された多くの犠牲者と遺族に配慮し、建造物の修繕は最小限に抑えています。壊れた多くの建物が雨ざらしになっており、今後どんどん風化していってしまいます。しかし、それが遺族の意志であり、歴史的建造物として後世に残すということと同等に大切にしていかなくてはいけないことだと感じました(1年Kさん)

ビルケナウで、当時の跡を保存する際に手を加えすぎるとユダヤ人の方々から反対されるという話をされた際には、歴史的遺産を遺していくことの大変さを感じました。物が自然に存在するのを妨げ過度に手を加えると反発されることや、見せ物としてあるのではないという意見があることを知りました。
ホロコーストという出来事は歴史的にも非常に重要なのはいうまでもなく、関連する遺産は多くの人々に見てもらうべきです。しかし、犠牲者の子孫や関係者の過度な心理的負担のうえに成り立つべきではありません。彼らが納得でき、かつ多くの人に知ってもらえる遺し方や展示の方法とは何なのだろうかと感じました。
また、こうした遺産の守り方について、日本では仏像が課題となっていると考古文化財についての授業で学んだことを思い出しました。像を塗り直すか、それまで像がたどってきた歴史を重視した修復をするかが問題となっていました。歴史的遺産を保存していくには、単に修復をするということでは解決にならないという事例は日本だけでなく世界にもあることを感じました。また、ビルケナウの場合はユダヤ教の考えにもとづいて過度な修復をしておらず、こうした宗教的な考えを重視した取り組みは、普段熱く信仰する宗教をもたない日本人の私には新しいものとして映りました(2年Aさん)。

この場所で痛感したのは『データと実際』の受け取り方の違いです。「原典講読」の授業で収容所の数字のデータ・文書が扱われたときには、どこか鈍くしか反応できなかった自分がいたのですが、実際に大量に展示された毒ガスの殺虫剤の缶の山、髪の山、取り上げられた日常に使うものを見たとき、すこし気分が悪くなるほどに反応している自分がいました。
数字では簡単に流した、流せてしまったものが、実際にあったことなのだということを嫌でも理解させられました。写真などを見ただけではすぐにはわからない、ナチスであった人たちの「感覚の麻痺」を逆の形で味わったように思います


その他に相違を感じた場所があります。ビルケナウにある「死の池」は、焼却されたユダヤの人たちの灰を投げ込んだ場所ですが、そんなことはまるでなかったかのように、透き通るように凍っていてとてもきれいでした。何も痕跡がないからなのかもしれません。でもとても深く静かにそこに在るのです。そして修学旅行で広島に行った時に「大久野島」という島に泊まったことを思い出しました。うさぎがたくさんいるだけのとてものどかな島。しかし、実際は日本で戦争時に地図に載らなかった、日本で唯一毒ガスを製造していた島で、現在そこかしこにいるウサギは実験動物の子孫でした。何も知らないでみていたら実際に起こったことを想像できないものはこのほかにもたくさんあるだろうし、自分から探っていかないと今回のような少し奇妙な、そして恐ろしい感覚は味わえないとも思いました(2年Sさん)。