光葉同窓会大分支部出張&宇佐散歩

こんにちは、松田忍(日本近現代史担当)です。

2019年6月20日に光葉同窓会大分支部に出張してまいりました。

本学は、地方出身の学生たちを数多く受け入れて教育し、社会の要望に応えてきた長い歴史があります。その結果、昭和女子大学の同窓会である光葉同窓会の会員のみなさんは全国各地にいらっしゃり、今回訪問した大分支部でも幅広い年齢層のOGのみなさんが旧交を温めていらっしゃいました。アドミッション部から派遣された私は、本学の近年の活躍やニュースをお伝えして、地方にお住まいの受験生の皆さんに、さらに多く本学を受験していただくようお願いしてまいりました。

さてこうした出張の機会も生かして各地の歴史を訪ね歩くのが歴文スピリッツであります。今回は遠方であったため前日入りしたわけですが、空いた時間に宇佐を散歩してまいりました。歴史好きの皆さんならご存じの宇佐八幡神託事件で有名な宇佐です。

もちろん宇佐神宮も訪問しましたが、宇佐で私がみたかったのが掩体壕です。宇佐にかつて存在した飛行場には、航空母艦から発着して敵艦船を攻撃・爆撃する飛行機の搭乗員を養成する宇佐海軍航空隊が置かれていました。

歴史学概論の授業にて、歴文1年生たちと一緒に読んでいる戦時期の日記にも掩体壕が登場するため、是非その写真を撮ってきたいと思っていました。掩体壕は飛行基地の近くに置かれるものでありまして、敵の空襲から航空機を守るためのコンクリート製の壕であります。

下の写真が「城井1号掩体壕」の写真です。

全国各地に残る他の掩体壕はコンクリートむき出しになっていることが多いのですが、城井1号掩体壕は草でおおわれており、擬装されていた往時の姿が再現されていました。

宇佐海軍航空隊の遺構は掩体壕のみかと思っていたのですが、地元のみなさまのご努力によって、多数の戦史遺跡が残されていることには驚きました。

戦史遺跡をめぐるサイクリングコースも整備(私は徒歩で回りましたが)

爆弾池。ちょっと見づらいですが、中央にある直径10メートルのくぼみは空襲の際にできたものとのことです。のちほど資料館でみた航空写真では飛行場一帯に無数のこうした穴ができており、最大のものは直径30メートルに達したそうですが、ほとんどが圃場整備によって埋め立てられたそうです。ただここのくぼみだけは戦争の記憶を残したいとの所有者の意向があり、現在まで残っているそうです。

戦時期にはコンクリートで舗装されていた滑走路は現在も一直線の道路として、その痕跡をとどめています。

水田の真ん中にあるこんもりとした緑のふくらみ。これとて戦争遺跡です。正面に回ってみましょう。

半地下構造のコンクリート遺稿ですね。通信室として使われていたと考えられているそうです。

他にも用途不明とされているコンクリート遺稿がありました。こちらが正面なのですが、裏に回ると……

コンクリート側面に残された機銃掃射のあとが多数。コンクリートが欠けている部分は銃痕です。ただ表面に傷を付けるに留まっており、非常に強固に建築された建物であることがわかりますね。

宇佐海軍飛行隊で訓練を受けて各部隊に配属され戦死した人々は多数いらっしゃいます。1945年に飛行隊関連の人々の霊をなぐさめるために建てられたのが下の忠魂碑です。こうした碑は空襲によって埋もれてしまい行方がわからなくなったものもあります。宇佐のこの忠魂碑もまた地中に埋もれていたものを地元の方が掘りおこし、のちに神社へと移転されて祀られているものです。

宇佐海軍飛行隊の門標もまた横倒しになった形で地中に埋もれていました。それを掘りおこして引き起こしたものを現在みることができます(下の写真はレプリカです。実物は写真奥に写っている建物「宇佐空(うさくう)の郷」に保管されており、実際にみることもできます。「宇佐空の郷」の所在地は「宇佐市大字江須賀字正門」となっているそうでして、今もなお「正門」の地名に、飛行場の名残が残っているのは面白いですね。

今回は大分県立歴史博物館は閉館中だったのですが、宇佐八幡、歴史博物館、戦史遺跡と半日~1日くらいで回れるかなと思います。北九州に旅行する皆さんは是非宇佐も訪問地に加えてみて下さい。見どころたっぷりですよ!