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不安との付き合い方 [2018年03月27日(火)]

西洋史の小野寺です。
突然ですが、この3月をもって本学を退任することになりました。
専任教員として5年、非常勤講師として2年、あわせて7年間歴史文化学科にはお世話になりました。

この7年間を振り返って一番強く感じるのは、学生の皆さんには本当に恵まれたということです。
コツコツ真面目に、愚直に誠実に課題に取り組む皆さんの姿勢には、ずっと感銘を受けてきました。
真面目に努力するのは人間として当たり前のことだという風潮が世間にはありますが、決してそんなことはありません。
卒業して社会に出ればそれが「当たり前」ではないということに、皆さんは遅かれ早かれ気づくことでしょう。
そして、努力できるというのは人間としてかけがえのない能力であり、財産だということも、すぐに理解することになると思います。

そして学生の皆さんから改めて教わったのは、そうやってコツコツ努力することによって、人間はものすごい成長を遂げられるのだ、ということでした。
まったく論理的な文章が書けなかった学生がみるみるうちに、素晴らしい文章が書けるようになる。全然英語が読めなかった学生が、必死に食らいついていくうちにぐんぐんと読解力を向上させていく。問いや問題意識を、素晴らしい次元にまで深めていく。
そういう幸せな現場に、私は何度も出会うことができました。

この7年間、この学科で西洋史を教えるなかで私はいろいろなことを言ってきましたが、一番言いたかったのは「過去と現在は密接に繋がっている」ということだったと思います。
過去は過去、現在は現在というふうに切断されているのではなく、過去を学ぶということは、現在生きている私たちや私たちの社会そのものを問うということなのだ、と。

私が講義でよく使ったたとえに「らせん階段」があります。
らせん階段は上からみると、ぐるぐると同じ循環運動を繰り返しているように見えるけれど、横から見ると上に向かってどんどん上昇している
歴史も似たようなもので、一見人間は同じようなことを繰り返しているようにも見えるけれど、時間が進むにつれて循環しながらもちょっとずつ前に進んでもいる(逆の言い方をすれば、時代が変わったとしても、少しずつ形を変えながら同じようなことを人間は繰り返す)

人間の可能性は無限だし、将来何が起こるかは正確にはわからない。
そしてまったく同じことが二度繰り返すということも、ほとんどあり得ない。
だから、未来を正確に予測することはできない。
しかし、人間が似たようなことを繰り返すことは確かであって、過去を学んでいれば、自分がどこから来て、今どこにいて、これからどこに向かうのかを、ある程度正確に理解できるようになる。
それが私の言いたい、「過去と現在は密接に繋がっている」の意味だったと思います。

4月からは私は新しい大学に赴任することになります。
新しい職場への期待もある一方、慣れ親しんだ歴文を離れるというのは、正直かなり不安です。
卒業生の皆さんも、そんな期待と不安とが入り交じった、落ち着かない日々を過ごしているのではないかと思います。
しかし、不安というのはとても大切で貴重な感情なのだとも思っています。
不安だからこそ新しい環境でさまざまな人びととコミュニケーションをとったり、不安だからこそ自分なりに一生懸命努力したり。
その重圧に押しつぶされることなく、前に向かうエネルギーとして不安を理解するのであれば、「仲間」とはいかなくても「伴奏者」くらいにはなれる感情なのではないかと思います。
新生活を迎えるみなさんには是非、不安という感情とうまく付き合って、前進してもらいたいと思います。

またみなさんとお会いできる日を楽しみにしています。
どうぞお元気で!!

【ヨーロッパ歴史演習】記憶の伝え方 [2018年03月26日(月)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。
ヨーロッパ歴史演習学生レポートの最終回として、(1)博物館などを通じてヨーロッパではどのように過去の記憶を残し、伝えようとしているのか、(2)それ以外に演習を通して感じたこと、の二点について、学生の皆さんの感想をご紹介したいと思います。

クラクフのシンドラー工場博物館では、強制労働の部屋やユダヤ人の隠れ家などが再現されており、また、音声を流すことで当時の現場の様子を自分が実際に見ている(体験)しているように感じる展示がされていました。例えば、隠れ家のタンスを二重構造にして裏側に銃や手榴弾など武器が隠してある様子などが表(ただのタンス)と横(隠していた武器が見える面)で違う側面が分かる展示です。

アムステルダムのレジスタンス博物館は、客に自ら関心を持たせる様な展示の仕方の工夫が上手いと思いました。物が見えるガラスの面積が狭いため、自然と中を覗き込んでしまっていました。もしかしたら、関心を持たせて疑問に思わせるのが博物館側の狙いではないかと思います(2年Kさん)。

レジスタンス博物館では、当時自分の家の教会でユダヤ人たちをかくまっていた少年だったご本人が語りべとして、私たちが訪れた時にいらしていて、実際にお話を聴くことができたのは、とても貴重な経験でした。その方は、オランダ語だけではなく、英語も話せるということで、英語で話していただけました。話していることが全部わかったわけではないけれど、実際にその当時を経験した方の言葉は、そこにある展示物やガイドさんの話よりももっと力強く、そして、歴史的な事柄というよりも、もっと身近な出来事に感じました。また、語りべの方本人が話すことにも意味があるのかなと思いました。この方は現在80歳を超えていて、日本の戦争体験者もどんどん減っています。これからどんどんこのような方々が減ってくるということは避けられないので、私たちの後の世代の人たちは、今よりもっとこのような出来事を遠く感じてしまうのかなと思い、考え込んでしまいました。

ナチ・ドキュメントセンターは、写真や図とその説明文のみというとてもシンプルなもので、来場した人が意欲的にそれらを読まないと情報を得るのは難しいと思いました。また、私のように英語やドイツ語で長文を読むのが難しい場合には情報を得るのが難しいと感じました。しかし、このドイツ式博物館には、来場者に勘違いを持たさないように詳しく解説するという意図があるということを知って、ただ体験型のようなわかりやすいものが良いというわけでもないのだということを知りました。

軍事博物館でも印象に残ったことがありました。それは、現地の中学生や高校生が先生とその博物館のナチの展示物の前に座って、ディスカッションしていたことです。日本では、博物館の地面に輪になって座ってディスカッションすることはないので、とても驚きました。ナチについて、歴史を暗記するのではなく、歴史を通して考えたりするような授業をしているのかなと、どんなことを話し合っているのか、とても興味深かったです。そのような歴史教育的な部分も今回博物館や現地の学生の様子などを見て、感じれたことも良かったなと思いました。(2年Nさん)。

ウィーンの音楽の家では、ピアノの鍵盤のように色が塗られており上ると音が鳴る階段、ダイスを振り曲を演奏してもらえるゲーム、客が指揮者の体験をできるゲームなどがありました。こうした客が体験できるコーナーは、受け身として展示を見て終わってしまう展示よりも楽しさや学びやすさの面で効果が大きそうだと感じました。歴史に限らず、何かを学ぶ際には楽しい、興味を惹かれるといったきっかけが必要だと思います。そうしたきっかけを引き出すには体験型の博物館は大きな意味をもっていると感じました(2年Aさん)。

夜にザルツブルクの市内を先生と一部の学生達と歩きました。私はザルツブルク城を楽しみにしていたのですが、先生や先輩方が「躓きの石」(上の写真)というものを見つけていました。躓きの石は、かつての犠牲者の住んでいた家の前の道に、石を埋めるという活動をしているものでした。偶然道を通り、下を見ていると、躓きの石がいくつも見つかりました。ふとした瞬間の、現代に通じたユダヤ人の名残、今のこの犠牲者を思う行動、全てが繋がっていました。日本でこういったことは見たことがありません。そういった面でも、ヨーロッパの意識、日本の意識のその違いを感じるという新たな気づきでもありました。ただ道を歩いていただけなのに、歴史というものを、ユダヤ人を身近に感じ、とても良い経験になりました(2年Tさん)

足元に注意していないと見つからないけれど、過去の記録がしっかりと町中にあるということが驚きでした。大勢の被害者としてではなく、この場所でここに建っていた家で生活していた個人として考えてしまい、過去の歴史が目の前にあることが感じられました。町の風景の中に歴史が刻まれていることは、気にしなければ通り過ぎてしまうものだとしても、あるとないでは大きな差だと思います。日本ではあまり見かけない記憶の残し方は自分の中で新たな発見でした(2年Yさん)。

ウィーンの国立歌劇場は建築物として眺めるだけでもとても美しく、細部の彫刻など、そこで目に入るもの全てに感動していました。
演目の内容はシンデレラでしたが、私たちが一般的にイメージするシンデレラとは異なり、現代版にアレンジされたものでした。
演者の方々の歌唱力も、オーケストラの演奏も非常に素晴らしいうえ、舞台セットも背景で雨が降っている表現がされていたりと、驚かされることだらけでした。雨が降っていたシーンは、私には本当に水が滴っているようにしか見えず、どのようなセットになっているのかが非常に気になりました。
そしてこのシンデレラの王子様の家には今のものではない、イタリア国旗を背景に労働を表す鎌が描かれた国旗が掲げられていたことが印象に残っていて、見ていた時私は「あれ?」と思う程度でしたが、小野寺先生のお話を鑑賞後聞くと、あの旗の意味とともに、はたしてあの王子様は本当にいい人と言えるのかという疑問が浮かぶということが分かり、歴史を勉強するとこのような演劇の鑑賞においても深く理解することができるんだと思いました。普段あまり演劇を見に行ったりすることはないのですが、このようなことに気が付けるというのはとてもおもしろいと思います(2年Mさん)。

研修旅行中に、個人的にとても良い経験をしたと思ったことがありました。ミュンヘンのロビーで友人たちとすごしていた際、同じ場所に居合わせたロマ(ジプシー)の家族に話しかけられ、長い時間対話する機会がありました。その男性は「日本と中国の差ってなんだい?」「日本にジプシーはいるのかい?」といった質問をしてきました。私はうまく答えられませんでした。質問が難しい上に、自分の英語力で伝えきれなかったというのもあります。
彼らはうまく伝えられない私たちとは違い、逆に多くのことを教えてくれました。彼らロマの言葉や家族のこと、音楽と踊りのことなど様々です。また、私たちが研修旅行でドイツを訪れたことを話すと、興味を持ってくれたので、アンネ・フランクやゾフィー・ショルについて話すと、初めて知ったと言われ驚きました。ドイツの人は全員知っていると思い込んでいたからです。もちろん彼らがそちらの方面での学問を学んでいなかっただけかもしれませんが、ロマがナチスの強制収容所に連れていかれたことは知っていたようなので不思議に思いました。
質問されたことに対してきちんと返せなかった自分の語学力の少なさに対する反省もありますが、それでも積極的にコミュニケーションを図ったことで得たものが多かったという喜びもありました(2年Yさん)。

今回はカトリック教会の教会や修道院を二箇所観ました。中は豪華絢爛で、私がもし文字が読めない貧しい農民であったら、普通にその美に圧倒され信じ込むだろうと思いました。つまり美は利用されるということです。人間が美を求めるとわかっている教会は、それを利用して信者を獲得していたのです。美は、あまりの影響力の強さからいつの時代にも利用されるものだと感じました。ですが美はときに、人の命をつなぎとめる働きをするものだと思いました。レジスタンス博物館で展示されていたように、あるオランダ系の囚人は食べ物より化粧品を選び、自らの美貌で生き残ったのです。美は使いようではどうとでもなる、恐ろしくて、しかも素晴らしいものだと思いました

人間は美しいものをたくさん歴史に残してきた。だがその反面にアウシュビッツがある。全部アウシュビッツを結びつけるのは良くないことだと思いますが、シェーンブルン宮殿をつくったのもアウシュビッツをつくったのも同じ人間だと思うと恐ろしいです(2年Oさん)。

今回の研修旅行では、狭い教室を飛び出して自分の五感と体をつかって現地でさまざまなことを体験しました。しかし、ヨーロッパに行ったからヨーロッパのことだけを学ぶのではなく、ヨーロッパを知るためには日本についての理解もなければならず、常に比較対象が存在するのだと痛感しました
また、演習で私が最も強く感じたことは、知識をもっていることは大切だが、実物を見た時のインスピレーションはもっと大切だということです。知識は本を開けば入ってきますし、いつでも得ることができます。しかし、実物を見た時の衝撃やひらめきはほんの一瞬のことであり、感じ方は毎回必ず同じとは限りません。ましてや今回のように海外に行くことはそう頻繁にできることではないので、現地で感じたことはとても貴重なものだと思います。
知識を得て実物や新しいものから新たな発見をし、途中で迷いながらもそれを繰り返し行うことが自分の研究に繋がっていくのではないかと思いました(3年Sさん)。

 

【ヨーロッパ歴史演習】アウシュヴィッツで感じたこと [2018年03月20日(火)]

西洋史の小野寺です。
今回の研修旅行では本当にいろいろなところに行ったのですが、参加したみなさんに最も大きな印象を残したのは、やはり最初に訪問したアウシュヴィッツ・ビルケナウであったようです。以下、学生レポートのなかからいくつかを紹介します。

アウシュビッツ・ビルケナウでは、ガイドの中谷さんからいろいろなことを教えて頂き、とても勉強になりましたが、と同時に与えられているだけの状況にならないよう、少しでも当事者の人々の気持ちを想像してみたり、学んだことから考察しようと努力していました。それは、高校の歴史の授業みたいに、事実を淡々と学ぶだけになりたくなかったからです。
 話は少し違いますが、私は楽器の先生によく「お口を開けて待っているな」と言われます。それは先生からのアドバイスを待っているだけでなく、自分の音色に疑問を持ったり、吹いている音は和音のどの位置なのか、他の楽器は何をしているか、このメロディはどの様なイメージで演奏するのかを自分で考えろということです。まず関心を持つことが大切なことだとよく教えられますが、歴史にも、また普段の出来事にも当てはまることだと今回の演習を通して改めて感じました。実をいうと現場に行ったから劇的に何かがわかるわけではありませんでしたが、実際に見ることができたからこそ、感じたり考えたりすることができたことがありました。。
先ほども述べた、教科書や先生方から事実を「覚える」だけではなく、自ら考え疑問を持っていく「考察」をしていくのが歴史学の大切な部分だと実感できたので、これから学校で授業を受ける際にもそうしながら学んでいきたいと思いました(2年Kさん)。

この場所の見学の中での中谷さんの言葉に特に印象に残っているものがあります。それは「当時のSSと同じ気持ちになってはいけません」というものです。これはこの場所を観光地気分で訪れる人たちがいることに対しての言葉です。
もちろん私たちの中にそんな気分であの場所を歩いていた人はいなかったと思いますが、しばしばお酒を飲んでからここに来る人もいるとのことでした。中谷さんは、それでは当時のSSと変わらないと仰っていました(2年Mさん)。

ビルケナウはアウシュヴィッツ以上に静寂や空虚さに満ちていました。冬で雪が積もっているということもあると思いますが、なんだかこざっぱりしている印象を受けたため、その静寂さに頭の中の知識も凍ってしまったようで、最初のうちは歴史の「現場」に今立っているということが飲み込めませんでした
見張りの建物の下を潜って、当時ユダヤ人が貨車に乗せられ運ばれた線路沿いに歩いていくと右の方に縦長の何かが規則的に並んでいて、積もった雪の白とその縦長の何かの黒が映えて少し不気味さを覚えました。その縦長の何かは元々あった建物が壊され煙突だけ残ったものだということを後で知りましたが、それを知らなかった時は得体の知れない何かが間隔を開けてぽつんぽつんと立っているだけに見えたため、とても人が暮らしていた面影を感じることが出来なかったのです。
中谷さんのガイドと度々見る手向けの花や石で確かにここでたくさんの人が殺されたということに段々と実感が湧いてきましたが、やっぱりどうしても人の気配がしないし、事前に先生にお話を聞いていた死の池は実際見てみたら犠牲になった人々の灰や骨が撒かれたとは思えない美しさだし、収容所を後にする時になってまで飲み込みきれていないところがあったような気がします。
帰りのバスの中やホテルに着いてから写真を見返しつつ中谷さんのお話を反芻していくことでじわじわと実感が湧いてきて、この経験を元にいろいろと考えることが出来たのかなと思います。「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所って本当に存在して、そこでたくさんのユダヤ人が酷い目に遭っていたことは現実なんだ」ということを認識できたのは勿論、事前に知識を持ってその場に行っても、自分の知っている凄惨な記憶と現在のその場の雰囲気のギャップで実感が湧かないくらいなのだから、過去を語り継いでいくことがどれだけ大切なことなのかということも考えました(1年Yさん)

私はアウシュヴィッツのような存在が負の遺産として遺されることで、戦争の時代を生きていない私達でもかつてあった出来事を知ることができ、様々なことを考えることができるのだから、遺す方が良いと思っていました。しかし、被害者の方やその家族の方のことを考えると、残すべきだとは一概には言えないと思いました。ガス室跡などについては最低限の保存をするにしても、頭髪などは年月が経つにつれて自然の損傷を受けるわけで、これからもずっと続いていく議論なのではないでしょうか。負の遺産として遺していくことで、このような出来事をもう起こさないようにしていくことができると思っていましたが、それを忘れたがっている人がいることを忘れてはいけないとも思いました(1年Kさん)。

アウシュヴィッツでは「負の遺産」との向き合い方を学ぶ事ができました。アウシュヴィッツは殺された多くの犠牲者と遺族に配慮し、建造物の修繕は最小限に抑えています。壊れた多くの建物が雨ざらしになっており、今後どんどん風化していってしまいます。しかし、それが遺族の意志であり、歴史的建造物として後世に残すということと同等に大切にしていかなくてはいけないことだと感じました(1年Kさん)

ビルケナウで、当時の跡を保存する際に手を加えすぎるとユダヤ人の方々から反対されるという話をされた際には、歴史的遺産を遺していくことの大変さを感じました。物が自然に存在するのを妨げ過度に手を加えると反発されることや、見せ物としてあるのではないという意見があることを知りました。
ホロコーストという出来事は歴史的にも非常に重要なのはいうまでもなく、関連する遺産は多くの人々に見てもらうべきです。しかし、犠牲者の子孫や関係者の過度な心理的負担のうえに成り立つべきではありません。彼らが納得でき、かつ多くの人に知ってもらえる遺し方や展示の方法とは何なのだろうかと感じました。
また、こうした遺産の守り方について、日本では仏像が課題となっていると考古文化財についての授業で学んだことを思い出しました。像を塗り直すか、それまで像がたどってきた歴史を重視した修復をするかが問題となっていました。歴史的遺産を保存していくには、単に修復をするということでは解決にならないという事例は日本だけでなく世界にもあることを感じました。また、ビルケナウの場合はユダヤ教の考えにもとづいて過度な修復をしておらず、こうした宗教的な考えを重視した取り組みは、普段熱く信仰する宗教をもたない日本人の私には新しいものとして映りました(2年Aさん)。

この場所で痛感したのは『データと実際』の受け取り方の違いです。「原典講読」の授業で収容所の数字のデータ・文書が扱われたときには、どこか鈍くしか反応できなかった自分がいたのですが、実際に大量に展示された毒ガスの殺虫剤の缶の山、髪の山、取り上げられた日常に使うものを見たとき、すこし気分が悪くなるほどに反応している自分がいました。
数字では簡単に流した、流せてしまったものが、実際にあったことなのだということを嫌でも理解させられました。写真などを見ただけではすぐにはわからない、ナチスであった人たちの「感覚の麻痺」を逆の形で味わったように思います


その他に相違を感じた場所があります。ビルケナウにある「死の池」は、焼却されたユダヤの人たちの灰を投げ込んだ場所ですが、そんなことはまるでなかったかのように、透き通るように凍っていてとてもきれいでした。何も痕跡がないからなのかもしれません。でもとても深く静かにそこに在るのです。そして修学旅行で広島に行った時に「大久野島」という島に泊まったことを思い出しました。うさぎがたくさんいるだけのとてものどかな島。しかし、実際は日本で戦争時に地図に載らなかった、日本で唯一毒ガスを製造していた島で、現在そこかしこにいるウサギは実験動物の子孫でした。何も知らないでみていたら実際に起こったことを想像できないものはこのほかにもたくさんあるだろうし、自分から探っていかないと今回のような少し奇妙な、そして恐ろしい感覚は味わえないとも思いました(2年Sさん)。

 

【ヨーロッパ歴史演習】「現場」で実物を見るということ(4年・Iさん) [2018年03月14日(水)]

今回ご紹介するのは、日本服飾史を勉強しながら、西洋史の授業にも関心を持っていろいろと参加してくれていた、4年生のIさんのレポートです。

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本研修を通して私が気付いたこと、学んだことは、3つあります。一つは「実際の場所に行く」意義、二つ目は現物を見る事、そして三つ目が実験の大切さです。

今回、実際に歴史的事件が起こった場所に行ったことで、何故その場所に行くべきと考えられているのか、その理由を再確認することができました。また、これまで平面的だったものが、立体的になったと強く感じました。
特に実感させられたのは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所です。
ここには、収容された人々から奪われた衣服や靴、食器などが残され、うず高く積み上げられている展示がありました。中でも、髪の毛の展示を見たとき、背筋が寒くなるような、内臓が締め付けられるような感覚を覚えました。
それまで、文書としてのみ認識していたものが、実体を持ち眼前に現れたことで、明らかな「事実」であると脳内に焼き付いた瞬間だったと思います。文書で知ることの限界と、実際に見ることで分かる、感じることの多さに驚きました。


一方、アンネの隠れ家を訪れた時は、強制収容所とは異なり、当時のものが殆どありませんでした。文字や音声ガイドで語られる当時の状況を、壁に残された生活の痕跡から想像する、という印象が強く残っています。
音声ガイドは、隠れ家の中ではありません。当時の様子を再現した写真共に、壁にある地図や写真、書き込みから、『アンネの日記』に描かれた内容を思い描きます。「実際の様子を見る」のではなく、「実際の様子を感じる」博物館だと思いました。
家財や人形がなくとも、室内の大きさや階段の傾斜などから隠れ家生活を実感することは難しいことではありません。当時の様子を実際に見ることも大切でしょう。しかし、視覚的なものだけでなく、感覚的なものも実際に行くことでしかわからないことだと思います。
「実際の場所に行く」ということは、その場所の性質によって、理解できることと感じることは違うでしょう。しかし、共通することは、「実際の場所に行くことで立体的に実感できる」ことだと思いました。
文字情報でのみの知識では、得られるものに限界があり、また平面的なものになりやすいでしょう。そこで現地に赴き、その地域の人々が感じていること、実際の様子を知ることでより深い理解を得られるのだと実感できました。

次に、アムステルダム国立美術館で、オランダの襟を実際に見ることができました。日本でも、年に一度文化学園服飾博物館で「ヨーロピアン・モード展」と題し、女性服飾を実際に見ることができます。しかし、日本国内では17世紀の服飾はなかなか見られるものではありません。
また、アムステルダム国立博物館には、17世紀の人々を描いた作品が展示されており、絵画と実物をほぼ同時に見ることができます。時間をそれほど置かずに描かれていない襟の裏側を見られるため、服飾の表面的な部分だけでなく構造まで理解できると感じました。
これまでどのようにして製作されていたのか考えが及ばなかった袖の部分を、今回実際に目にすることができました。現存する服飾がどれくらいあるのかはわかりません。
しかし、実際に見なければわからないことは多く、表面的なものだけでなく構造を知るためには、現物があるならばそれを見る必要があるのだと再確認できました。服飾という日常に直結したものであっても、歴史的に重要なものと同様、実際に見ることが重要なのだと強く思いました。今後も出来得る限り現物を見に行こうと思います。

最後は、実験をすることの大切さです。
オランダのレジスタンス博物館を訪れた時、“Junior”と題された展示の内、Henk少年の部屋を見ていた時、手作りのラジオを見つけました。このラジオを見た時、私はとても驚きました。何故なら、これよりも大きく、コードはピンと張られていましたが、このアンテナは私の実家にあったからです。
私が中学生の頃、父がこのアンテナを自作し、ラジオを試していたことがありました。これを作っている父の姿を見た時、「いったい何をしているのだろう」「何故作っているのだろう」と思いました。しかし、今回レジスタンス博物館でこのアンテナを見つけた際、父が実験を行っていたのではないかと思いました。
実際にこのアンテナが作られる場面にいなければ、これが一体何なのか、何故手作りしなければならなかったのかわからないと感じました。また、アンテナだとわかっても本当に使えるのか、半信半疑になっていたと思います。どんなに細かなものでも実験をすることで、新たな気付きを得られるのだと実感しました。

今回の演習を通して、実物を見る、知ることの重要性を再確認することができました。また、ナチス・ドイツに対する考え方も国や地域によって異なるのだと気付きました。
現地に行き、展示方法や内容をみることで、理解し更に新たな疑問に気付くことが出来るのでしょう。学び、調べ、考えることはどのようなものにも使用できる基本的なことなのだと実感しました。今後も出来る限り実物を見て理解を深めていきたいと思いました。

【ヨーロッパ歴史演習】アウシュヴィッツと「いま」(3年Iさん) [2018年03月13日(火)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。
これから、数回にかけて学生レポートを掲載していきます。
今回ご紹介するのは、西洋史演習で20世紀ドイツ(ナチを含む)の環境政策について勉強し、将来は教員を志望しているIさんのものです。

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アウシュヴィッツ強制収容所では、ガイドの中谷剛さんが時間をかけて詳しくお話をしてくださいました。文化水準の高かったドイツでなぜホロコーストが起きてしまったのか、日本人がアウシュビッツを訪れることによって何を学ばなければならないのかについて聞くことができました。「人種」「グローバル」など多くのテーマで話をしていただきましたが、私は以下の3点がとくに柱となっていたように感じました。

・民主主義について
ヒトラーは独裁者ではあるけれど、選挙によって選ばれた政治家でもあります。アウシュヴィッツにヒトラーの写真はほぼありません。それはホロコーストの責任が彼ひとりのみにあるわけではないということ、ホロコーストはヒトラーだけではできなかったということを表わしているということでした。
私が目指している教師の仕事のひとつに「主権者教育」があります。いまの地歴・公民教育では、教える教員によっては民主主義はただの多数決、投票を促すことが主権者教育だという理解があるように感じます。教育においてホロコーストは、民主主義に対する教訓として扱うことができると思いました。小野寺先生が「歴史を考えるのではなく、歴史『で』考える」とお話されていたように、私はホロコーストという歴史を通して民主主義についても考えていきたいです。

・現代の難民を見る目と、当時のユダヤ人を見る目の比較
当時の民主主義について踏まえた上で考えるべきことは、私たちもいま民主主義のなかで生きているという現実です。いま私たちは、ホロコーストまでのどの時点にいるのでしょうか。日本でも社会的弱者や海外に対するヘイトスピーチは起きています。中谷さんは、生活や社会に対して「いらいら」が募っていると仰いました。なぜ「いらいら」するのかを知って軌道修正しなければいけません。それが歴史で見るということだと言われたことが強く印象に残っています。
研修中、いくつかの場面で、ヨーロッパが感じている「いらいら」を実感する機会がありました。たとえばドイツのアウトバーンでオーストリアからの国境を越える際、通常ならシェンゲン協定によって何事もなく通れるはずなのに、検問が行われていました。

クラクフのホテルで見たニュースでは、難民と思われる子どもがキャリーケースに入って移動しようとしていたことが見つかった、という事件が報道されていました。ほかにもヨーロッパの空港のセキュリティチェックの細かさから、難民問題に関して緊張した状態であることが実感できました。

・ポピュリズム
これについてもイギリスなど多くの例が取り上げられましたが、最も印象に残ったのは相模原殺傷事件についてです。この事件は私自身、事件が起きた当初からずっと関心を持ち続けており、中谷さんがどのように考えているのか聞くことができて嬉しかったです。
「わたしは健常者」だと言い、比較することによって障害者を生み出している側面があるということでした。実際、障害というのは白黒がはっきりするものではなく、得手不得手の問題で済むものもありグレーな話です。私はこの研修に行く前、別の授業の関係で、障害者についてこの事件をきっかけに勉強しました。中谷さんが仰っていたのはまさに障害が医療的な問題では無く社会的に承認されたもので、現在でも「障害者」本人を含む多くの人が捉えている理解でした。健常者との比較は現代ではそれが個人のアイデンティティとして肯定的に考えられているものも多いけれど、一部では劣った存在として認識されています。この現実も「いま日本がホロコーストのどの時点にあるか」を考える重要な要素であると感じました。

今回私が痛感したことは、当然のことではあるのですが、「どんなに熱心に研究しても自分は当事者ではない」ということでした。「共感」とか「同情」といった感覚は、日本で勉強して、深く理解していなかったとしても簡単に浮かんできます。アンネのことをかわいそうに思ったり、現場に行きたいと思った気持ちは良いことだと思うし、軽い気持ちや同情というわけではありません。しかしホロコーストの犠牲者や遺族がそれをどう感じるのか、現在のヨーロッパの人々がどう感じるのかは全く別のものだと思いました。また歴史への感覚の違いにおいても、壁を感じる点がありました。日本人の感覚とヨーロッパ人の感覚に差があることや、自分はまだ研究が仕切れていないことは理解して、学んで行ったつもりだったけれど、それでも「体験」と「研究」の違いの大きさを強く感じました(下の写真は、ビルケナウのクレマトリウム<ガス室と焼却炉を含む複合施設>)。

アウシュヴィッツでは、写真の撮影が「歴史を伝えるため」という目的の範囲内では許可されています。しかし数カ所は撮影が禁止されていました。そのひとつが、「髪の毛」です。髪の毛は鞄や靴等とは違って、保存のために手を加えることをしていません。ユダヤ教の「死人に手を加えない」という考えに基づき、また遺族の意志を尊重するためだそうです。遺族や生き残った人にとって強制収容所は祈りを捧げる場であり、ガス室などもできるだけそのまま残すことを希望しているのです。しかし、歴史を残す、という観点からすれば、保存のために修復作業をしたり身体障害のある人も来ることができるような整備をしたりするほうが良い判断であるように感じました。実際にユダヤ人が残した鞄や植樹などは保存のための手が加えられています。戦争後、時が経つにつれてその必要性は高くなっていきます。中谷さんは「歴史を知る場所である前に墓地」だと仰ったけれど、将来的にもアウシュヴィッツが墓地であれるようにするためにも、遺族の意志を尊重するだけではいけないのかもしれません。この感覚は私が当事者ではないからこそのものなのでしょうか。

アウシュヴィッツにあった上の絵は、収容されていた経験を伝えるために当事者によって描かれたものです。ユダヤ人同士の争いがあったことや、収容所での経験を思い起こすことの苦しさと、歴史を残そうという葛藤があったといいます。また、アウシュヴィツで出会った「被害者」と「加害者」の和解の話もあり、負の歴史が生になる場としても役割を担っていました。ホロコーストの歴史をどのように扱うか、アウシュビッツをこの先どのような場所にするのか、少しずつ変化するのではないかと思いました。

上の写真は、アンネ・フランクの隠れ家にあるものです。ホロコーストの写真は数え切れないほどありますが、この写真からは歴史が「そのとき」だけではないということを強く認識させられます。歴史に登場する「もの」や「こと」は、あるとき突然現れるのではなく、前後と連続しているのだということは理解していましたが、「想い」も同じように戦後も続いていくものだと思います。この写真からは隠れ家の「思い出」(過去のもの、1945年までのこと)だけでなくオットーの「寂しさ」や「後悔」(戦後のもの)を想像します。私にとって第二次世界大戦は1945年で終戦します。しかし当時の人々にとって戦争は1945年で終わるものではないのかもしれません。

私が今回の研修に期待していたのは「卒業論文の資料」や「ヨーロッパの体験」でした。それを踏まえてドイツにおける環境保護の連続性を取り扱い、研究していきます。感情的なことは論文の文章の中には必要ないかもしれません。しかし自分が感情を揺さぶられたものや、歴史を学びたいと思ったきっかけに再び出会えたことも、今回の研修の大きな収穫となりました。

 

ヨーロッパ歴史演習に行ってきました! [2018年03月08日(木)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。

2月19日から3月2日まで、29名の歴文学生を引率して「ヨーロッパ歴史演習」の研修旅行に行ってきました。

今回のテーマは、「ヒトラー・ナチ体制の『負の遺産』を訪ねる」。
ヒトラーが青少年を過ごしたウィーン、ナチ党が急成長を遂げた本拠地ミュンヘン、ナチ運動の「魅力」が演出されたニュルンベルク、アムステルダムにあるアンネ・フランクの隠れ家、そしてユダヤ人迫害の究極の到達点アウシュヴィッツなどをめぐる研修旅行です(上の写真は、アンネ・フランクの家)。

この演習には三つの軸がありました。
一つめは、歴史の「現場」を訪れるということ。アンネ・フランクの家はもちろんですが、アウシュヴィッツ強制収容所とビルケナウ絶滅収容所、ゾフィー・ショルなど「白バラ」運動がナチ体制への抵抗を呼びかけたミュンヘン大学(上の写真)、ミュンヘン一揆で警官隊との衝突が起こったオデオン広場、ヒトラーがしばしば演説を行ったホーフブロイハウス、ナチ党大会が開かれたニュルンベルクの大会跡地(下の写真は、ツェッペリン広場)、ニュルンベルク裁判が行われた法廷などなど。

こうした跡地にはだいたい博物館が併設されているので、そこでの説明を見ればその「現場」で何が起こったのかを知ることは一応できるのですが、その「現場」自体は基本的には「からっぽ」な場所です。
たとえばニュルンベルク党大会の跡地であるツェッペリン広場は、今ではサーキット場やサッカー場などに生まれ変わっていて、当時の面影の一部しか残っていません。
ニュルンベルク裁判の法廷も、当時とはかなり内装や構造が変わってしまっています(下の写真)。
その場に行けば、自動的に当時のことがありありと目に浮かんでくる、というわけではありません。

こうした「からっぽ」な「歴史の現場」に身を置くことは、自分自身の知識や認識が問われるということでもあります。
その歴史についてどれだけのことを知っているのか、そこからどれくらい想像力を豊かにすることができるのか、そういうことが一人一人に問われるのです。
大学の授業や講演のように、「さあそちらが説明して!私は聞いているから」という訳にはいきません。
自分からその「現場」に語りかけない限り、現場は何も語ってくれません
重大な現場にいるのに何も感じることができないという可能性も含めて、ある意味でシビアな経験もしてほしかったというのが、私の意図でもありました。
下の写真にあるビルケナウ絶滅収容所という場所は、まさにそういうことが極限まで問われているところでした。

二つ目は、博物館の見せ方というものを、各国の博物館展示の比較を通じて学ぶということでした。
今回訪れた国々の博物館は、大きく「ドイツ型」と「非ドイツ型」の二つに分けることができます。

「ドイツ型」の博物館の特徴は、とにかく文字によって説明するということ
もちろん写真や絵、風刺画なども数多く展示はされていますが、中心はあくまで文字。
基本的にはドイツ語と英語による説明なので、外国語が苦手な人には苦痛と感じられたかもしれません。
しかし、ミュンヘンのナチ・ドキュメントセンターの学芸員の方もおっしゃっていましたが、大事なことは「文脈を示す」ということ。
意味ありげな写真、面白そうなアイテムを唐突に置いて来場者の興味を引くのではなく、その写真やアイテムが一体どのような文脈で成立し、利用され、理解されたのかということを、誤解の余地なく説明するということです。できる限り来場者の理性に訴え、冷静・客観的に歴史を幅広く見る視点を身につけてほしい。そういう意図が、ドイツの博物館には徹底していると思います。

ただし、こうしたやり方に難点があるのも事実です。
まず、どうしても大学生や大人が対象となり、中高生やそれ以下の人たちに訴えかける力が乏しいということ。
そして、どうしても歴史が「客観的に理解する対象」となってしまいやすいので、(博物館側もいろいろ努力しているとはいえ)「当時自分だったらどうしただろう」「現代でも同じような問題は起こりうるか」といった、身近な問題として歴史を理解するということが難しくなってしまうことが挙げられます。

今回も、ドイツ以外の博物館のいくつかでは、興味深い展示が見られました。
たとえばクラクフのシンドラー工場博物館。
ここは基本的にナチ体制下のクラクフについての展示が中心なのですが、(とくに展示上の必然性がなくとも)ナチの旗が経路に吊られていたり、強制労働の部屋では地面が石で敷き詰められていたり、ゲットーの部屋では天井の装飾まで壁模様になっていたり(下の写真)。
ある意味で、さきほど説明した「ドイツ型」とは正反対の展示と言えると思います。

また、この博物館には、当時ユダヤ人が隠れていた隠れ家の様子がそのまま再現されていて、その場に自由に立ち入ることができます。
ウィーンの軍事史博物館には、第一次世界大戦時の兵士が身にまとっていたフル装備30キロや背嚢12キロを体験してもらうコーナーがありました。

一番素晴らしいのは、アムステルダムのレジスタンス博物館です。
ここには一番奥に子ども向けの体験コーナーがあり、当時さまざまな立場に置かれていた4人の子どもの追体験ができるブースが4つ置かれています。
たとえばユダヤ人で隠れ家に入らざるを得なかった少女の部屋に入ると、来場者たちによる即席の「家族会議」が体験できます。
自分の置かれた状況のもと、隠れ家に入るか入らないか。
来場者たちが議論をしながら、押しボタンによって投票で「家族」の意志を決定していくのです。

また博物館ではありませんが、ドイツを中心にヨーロッパでは「躓きの石」という市民ベースの運動があります。
これは、ユダヤ人などかつてナチ体制の犠牲者が住んでいた家の前の道路に、金属製の「石」を埋め込んでいくというものです。
学生と一緒に夜のザルツブルク市街を歩いたのですが、1時間ほどで15枚近くの「躓きの石」を発見することができました。

亡くなった人の氏名、出生年、逮捕された年月日、移送された強制収容所の名前、死因などが記されています。
犠牲者にも一人一人の「顔」があったのだという当たり前のことを、日常のなかではっと思い出させる仕組みになっています。

そして最後の軸が、ヨーロッパの文化遺産、景観、町並み、建築物に触れるということ。
今回の研修旅行では、クラクフのヴァヴェル城と旧市街、ウィーンのシェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿、ヴァッハウ渓谷のメルク修道院(下の写真)、ニュルンベルクのカイザーブルク城、アムステルダムの国立美術館などを訪れました。

ベルヴェデーレ宮殿では、クリムトの「抱擁」やダヴィッドの「ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」が見られて圧倒されましたし、メルク修道院の教会は本当に豪華で、これまた圧倒されました。
アムステルダム国立美術館には、これでもかとフェルメールの絵画があり、レンブラントの「夜警」も含めて、あまりにも豪華すぎるラインナップに目が眩むようでした。

しかしもっとも素晴らしかったのは、なんと言ってもウィーン国立歌劇場でのオペラ鑑賞!
スピノジ指揮による、ロッシーニ「チェネレントラ」を聴いたのですが、楽しさと美しさと皮肉が絶妙に融合した、本当に幸せな時間でした。

とまあそんな研修旅行でしたが、私の感想はこんなところにして、今月中旬から学生の皆さんの感想をこのブログに掲載する予定ですので、どうぞお楽しみに!

【三大学共同ゼミ】ヴァーチャル・ミュージアム [2017年12月18日(月)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。
共立女子大学、立正大学とともに実施している三大学共同ゼミも、4年目になります。
今年は新しい試みとして、「ヴァーチャル・ミュージアム」という企画を、共立女子大学において行いました。
今回は、その様子をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァーチャル・ミュージアム」とは、一言で言えば、仮想の博物館を企画してみよう!というもの。
今回のテーマは、「日本の中高生を対象とした、難民博物館を企画する」。
展示の内容やコンセプト、デザイン、配置、建物のイメージなど、ありとあらゆることを考慮しながら、中高生にもわかりやすく、難民の歴史と現状の両方を説明する博物館を考えてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

わが昭和女子大チームは、博物館のなかに難民キャンプのような6つのブースをつくり、それぞれのブースで、受け入れ国の現状、国際機関による取り組み、具体的な難民の足跡、日本と難民といったテーマについてわかりやすく説明していくというスタイルを取りました。そして、その真ん中に視聴覚ルームを設置して、難民映画祭関連の企画など、映像を見てもらうという趣旨。

 

 

 

 

 

 

 

 

第二キャンプでは「ハーシム」さんという一人の難民に焦点をあて、さらに彼がリュックサックに入れていた持ち物を展示することで、難民の現状や苦難をわかりやすく理解してもらう工夫がされていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

学生たちが今回とくに重視したのが、

1.体感型であること
2.デザインを親しみやすくしたこと
3.中高生にもわかりやすい言葉遣いをしたこと
4.現状の解説だけではなく、メッセージ性をもつ内容にしたこと
5.視覚効果を重視したこと

の五点でした。
学生たちは、パワーポイントでの発表に加えて来場者に配布するパンフレットも作成し、難民の定義、「移民と難民の違いは?」「国民国家とは?」といったわかりにくい問題について、丁寧な解説もしていました。

 

 

 

 

 

 

様々な課題がいろいろな授業で課されているなか、学生たちは本当によく頑張ってくれたと思います。
今回ゼミ生には学芸員課程を取っている学生は一人もいなかったのですが、教職課程の学生が何人かおり、「どうやったらわかりやすく伝えられるか」という点について、そこで得た知見が活用できたようです。

他大学の学生からも、
・ハンガリー国境の実物大フェンスを展示する
・難民が乗っていたゴムボートの実物を展示する
・トルコで売っている救命胴衣(偽物も多い)を展示する
・難民問題に関して来場者が意見を記す意見交換ノートを設置する
・「難民映画祭」とタイアップして、映画の上映会を行う
・難民についての最新ニュースをツイッターのように画面上で流す
といった、さまざまな工夫が提案されました。

なかには、独自の映像を作成した班もあり、これにはびっくり!

今年が初めての企画ということもあり、うまくいくかどうか教員一同かなり心配していましたが、予想をはるかに上回る出来の発表ばかりで、嬉しい驚きの連続でした。
すでに夏合宿で、移民問題についてのプレゼン・ディベートを行っていたからだとは思いますが、学生が話し合いを重ねる中で、こちらが思いつかないようなアイディアを次々と盛り込んでいく様子はスリリングそのもので、学生の成長を随所で感じることが出来ました。

共立女子大学の西山先生もおっしゃっていましたが、どこかで資金をいただいて、今回の学生発表のいいとこ取りをした「三大学共同・難民博物館」がつくれたらいいなあ・・・。

今年も三大学共同ゼミで合宿を行いました! [2017年09月29日(金)]

お久しぶりです。
西洋史の小野寺です。

ちょっと前のことになりますが、8月8日から9日にかけて、静岡・御殿場の国立中央青少年交流の家で三大学共同ゼミの合宿を行いました。

詳しくは、共立女子大学の西山先生が詳細に紹介されていますので、こちらをご覧ください。

というわけで、私からは写真のいくつかを。
横着ですみません・・・。

歴史の学び方の「グローバル化」 [2017年07月07日(金)]

こんにちは。西洋史の小野寺です。
久々の更新になります。

いつもはゼミの様子や自分の研究活動の一端について書いているのですが、今回は趣向を変えて、自分がやっている授業についてお伝えしようと思います。
今回ご紹介するのは、金曜に開講している「原典講読」です。

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この授業を受講するのは2年生が多く、3年から始まる演習に備えた「プレゼミ」のような意味合いがあります。
小野寺ゼミを取るとどんな様子になるのか、その雰囲気を知ってもらうということも、この授業の一つの目的かもしれません。

ですが最大の目標はもちろん、英語を正確に読めるようになる、ということです。
私は西洋史を担当していますので、外国語文献、とくに英語文献がきちんと読めるかどうかということが、自分にとって満足のいく卒業論文を書けるかどうかの大きな分岐点になります。
日本語文献を数多く読み込むことももちろん重要ですが、残念ながらそれだけでは情報量が圧倒的に不足しています。
自分が疑問に感じたことについて本当に知りたいと思うならば、やはり外国語文献は欠かせません。

構文を正確に理解すること。
正確な訳語を充てること。
自分の持っている背景知識と適切に結びつけること。

いずれも、2年生の間に身につけておくべき重要なことばかりです。

ですが、それが重要だということが頭ではわかっていても、英文をひたすら読み進めていくということばかりやっていると、次第にモチベーションが減退してくるのも事実。
英語が読めるようになったその先に、いったいどのような世界が待ち受けているのか。
それが実感できないと、なかなかやる気になれないという人は多いと思います。

そこでこの原典講読では、英語を読むだけでなく、「考える」という要素を大切にしています。
具体的に言うと、前期には『アンネの日記』をまずは(日本語で)読んだ上で、アメリカの小中学校用指導書『アンネ・フランクの日記を教える』(もちろん英語)を皆で読み進めながら、いったいどのようにアメリカでは『アンネの日記』を生徒たちに教えているのか、どのような課題を生徒に与えて考えさせているのかを、学生のみなさんと実際に体験するという形式で進めています。

そして後期には、まずは日本語で『ドイツ・フランス共通歴史教科書』を読み進めたあとに、アメリカではどのように世界史を教えているのか、一緒にアメリカの世界史教科書を(もちろん英語で)読み、そこで提示されている課題について一緒に考えています
今回はこの後期のアメリカの世界史教科書について、ご紹介したいと思います。

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この教科書の特徴として、各章の冒頭に「当時生きていたら、自分だったらどうしていただろう?」という問いかけが置かれているということがあります。
たとえば、フランス革命だとこんな感じです。

不正な政府を、あなただったらどのように変革しますか?

あなたは18世紀の終わり頃のフランスで暮らしています。あなたの両親は商人で、暮らしぶりはよいほうです。しかし税金を取られてしまうと、ほとんどお金は残りません。ほかの人々、とりわけ地方の農民の暮らしがあなたよりも悪いことを、あなたは知っています。一方貴族はぜいたくな暮らしをしていて、事実上税金をまったく払っていない状況です。

フランスの多くの人々は変化を熱望しています。しかし、どのようにすれば変革がもたらされるのか、よくわかりません。国民の代表が公平な税制と公平な法律を要求すべきだと考える人もいます。一方、暴力的な革命を支持する人々もいます。パリでは革命がいまにも勃発しそうです。怒った群衆がバスティーユ監獄を襲撃し、奪取しました。次に何が起こるのだろうと、あなたはあれこれ考えをめぐらせています。

設問1:あなたは「不正な政府」をどのように定義しますか?
設問2:もし暴力的革命に参加するとしたら、その条件は何ですか?

歴史を、過去におこった今とは関係のないものと考えるのではなく、今にも繋がっているもの、現代社会や自分の生き方のヒントを考えるためのものと捉える姿勢が、ここには見て取れます。次の設問も、そのようなものの一つです。

設問:立法議会(1791年)における政治党派と、今日のアメリカ政治におけるそれの共通点・相違点は何でしょう?

また、当時の人々の立場に立つことで、より生き生きと歴史について考えることができます。次の課題も、そうした趣旨のものです。

設問:第三身分の一員になったつもりで、なぜフランスの政治体制は変革する必要があるのか、短いスピーチ原稿を書きなさい。

また、歴史上の出来事は避けられないことだったのか、別の選択肢があったのかということを考えさせる設問もあります。

設問:フランスにおける政府の交替は避けられないことだったとあなたは思いますか?

もちろんここでは、「避けられた」「避けられなかった」という結論を言うだけではだめで、その根拠をしっかりと、歴史的事実に基づいて提示する必要があります。次の設問も、そうした歴史的事実に基づいた論理構成を求める、たいへんよい設問です。

設問:ナポレオンが時代を創ったのか、時代がナポレオンを創ったのか、あなたの意見を述べなさい。

あえて挑発的な議論を生徒に吹っかけることで、より深い思考を促す設問もあります。

設問:ナポレオンにはロシアに侵攻する以外の選択肢はなかった、という意見にあなたは同意しますか?同意するならなぜ、しないならなぜ同意しないのですか?

 

長々と、アメリカの世界史教科書の設問を紹介してきましたが、言いたかったことは、日本でやられている世界史教育とはかなり違うタイプの教育がアメリカでは行われているらしい、ということです。
アメリカの歴史に関する「ナショナル・スタンダード」は、次のように述べています。

「本当に歴史を理解するためには、学生が自分の手で歴史を語り、これを議論できるような機会を持つことが必要である。そのような語りや議論は、エッセーやディベート、論説といったさまざまなかたちをとりうる。さまざまな方法によって行うことができる。しかし学生が自分で過去もしくは現在の問題から刺激を受け、歴史的な記録を自ら読み進め、その問題の分析に健全な歴史的視点を持ち込むこと以上に、歴史的思考を強力に促す方法は存在しない」

近年、こうした教育方法を日本でも採用しようという動きが強まっています。
ですから、数年後には日本の世界史教育のあり方も、かなり異なったものになっていることが予想されます。

ですが重要なことは、グローバル化とは、知識を外国から学んだり、日本から外国へと情報発信することだけを意味しているのではない、ということです。

こういう教育を受けてきた人たちと、私たちはどのようにして交流し、渡り合っていくのか。
それに対して、私たちはどのような教育を進めていくべきなのか。
日本の歴史教育の長所と短所は何なのか(知識偏重の教育は本当にダメなのか)。

つまり問題となっているのは、考え方や意識のグローバル化です。
その点も含めてグローバル化すべきなのかすべきでないのかはさておき、そこまで考えなければいけない時代が来ていることは、間違いありません。

西洋史ゼミ・『ヒトラーの忘れもの』試写会&ディスカッション [2016年12月10日(土)]

 

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昨日(12月9日)、西洋史ゼミの3&4年生と、私の授業を複数とっている2年生、あわせて17人が集まり、今月17日に全国公開される映画『ヒトラーの忘れもの』の試写会とディスカッションを行いました!(映画の公式サイトはこちら

いや~、この企画は本当に楽しかった!!!
うちの学生はこんなに素晴らしかったのか!と今更気づかされるような、私にとっても貴重な機会となりました。
配給会社の方々も、「作品をすでに何回も見ている自分たちも気づかなかったようなことまで指摘してもらえて、本当に感動した」とおっしゃっていましたが、学生のみなさんの繊細な感性、細部の表現への鋭い着眼、登場人物への深い感情移入、よく考えられた洞察など、私もいたるところで感心させられました。
明けて一晩経ってもまだ興奮が冷めやらない状態ですが、映画のネタバレにならない範囲で、当日の様子をお伝えしたいと思います!

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そもそもこの企画は、「女子学生の感性に直接触れてみたい」ということで、配給会社キノフィルムズの方にオファーをいただいて実現しました。
私としても、物事を深く考える入り口として、メディアに対する批判的なまなざしを訓練する手段として、そして(とくに教職を取っている学生には)歴史を社会に広く伝えていくためのツールとして、歴史に関する映画を題材として扱うことには、以前から強い関心がありました。

ですので、一も二もなくオファーをお受けしたのですが、一つだけ不安な点もありました。
素直、真摯、真面目にテーマに取り組むことにかけては、歴文の学生は本当に素晴らしいのですが、映画を見終わった直後に発言するという「瞬発力」に関してはかねがね心配していることもあり(そのため歴文では、さまざまな機会をとらえてKJ法やディベートといったグループワークに取り組んでいるのですが)、活発な意見が出るのかなと、試写会の前は心配していました。

しかしそれは、まったくの杞憂だったのです!
こちらも感心させられるような意見が、次から次へと出ること出ること!

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以下、ネタバレにならない範囲で主な感想をご紹介しますと、

・ドイツ人への憎しみという怒りの矛先を、どこに向けるべきなのかということを考えさせられた。誰が責任を取るべきなのか。

・憎しみという感情は、戦争が終わったとしてもそう簡単には取り除けないということを実感した。

相手をドイツ人としてみるか、一人の人間として見るかということが問われていると思った。

直にふれあうことで、人の感情は動くのだと思う

・人間というのは直接関わらないと、本当のところは結局分からない。人間の想像力とは非常に乏しいものなのだと思った

・人々がドイツ人を憎んでいたのは当然のことだと思うが、目の前のドイツ人とふれあって「かわいそう」という気持ちを持つことも当然のことであって、感情には正解がないというふうに感じた

人を憎み続けることも難しいが、信頼し続けることもまた難しいのだと思った

戦争を直に経験しなかったがゆえに憎しみを全く知らない世代というものに、希望があるのかもしれないと思った

といった感想が、ありました。

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また、少年兵たちが昆虫やネズミたちまでペットとして飼ったり名前をつけていたりしているシーンに注目を寄せた学生もいました。「人間は、愛を与える存在が必要なのだと思った」という鋭い感想も。

また、主人公の軍曹が一人でいるときとみんなでいるときの様子の違いに着目し、その孤独さや葛藤に着目した学生もいれば、登場人物の双子を自分と弟の関係に重ね合わせ、その心情を鋭く読み解いた学生もいました。

 

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このような鋭い意見が出てくるものですから、私も楽しくて楽しくてしょうがなかったんですが、中にはさらに、映画の中での青空と雲が持つ意味、砂がストーリー展開において与える効果、虫に対する少年兵たちの態度といったものを丁寧に読み解く学生もおり、本当に驚かされました。

そして最後には、ドイツ人を被害者として描くということの意味についても、様々な意見が出されました。
ナチス・ドイツというと、加害の側面ばかりが知られているけれど、ホロコーストにおいて対独協力した国々が少なくなかったことが分かっている現在、こうした側面についても人々が知る必要がある、そのためには映画はとてもよい手段である、デンマークにもこうした薄暗い過去があることを知って衝撃だった、などなど。

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この貴重な機会を通じて、私も改めて学生の皆さんから教えてもらったことがあります。
それは、社会の様々なことについて数多くの知識を持つことは大事だし、必要だけれども、しかし目の前の対象に対しては、そういう前提知識はいったんおしゃかにして、まっさらな気持ちで向かい合う必要がある、ということです。
知識は時として、対象そのものと向かい合うことを邪魔することがあります。
手持ちの知識の枠組みの中に対象をはめ込んでしまい、対象それ自体をきちんと理解できなくなることがあるのです。
しかし今回、学生の皆さんはまずは映画にまっすぐに向かい合い、そこから何を学べるのかを一生懸命考えてくれました。
そうすることで、映画を何度も観た配給会社の方ですら気づかなかったような視点や論点を得ることができたわけです。

このような機会を与えていただいたキノフィルムズには、改めて深く感謝申し上げます。