【杉本ゼミ】ソウル大学校の訪問と学生交流

こんにちは。比較文化論ゼミ4年の松田と稲塚です。
私たちは、9月16日(火)~9月18日(木)の2泊3日で韓国・ソウルにてゼミ研修を行いました。今回の研修では、日韓の文化交流や歴史理解をテーマに、現地での体験を通して多角的に学ぶことを目的としました。

そのなかでも、今回のブログ記事では9月17日(水)に実施された、ソウル大学の学生の方々との交流会についてご紹介します。
合流会では、前半は食事をとりながら、数名ずつのグループに分かれて自由に会話を楽しみました。お互いの大学生活の違いや、韓国と日本の文化など幅広い話題で盛り上がり、言語や文化の違いを越えて打ち解くことができました。そして、初対面ながらも、和やかな雰囲気で交流を深めることができました。

後半では、「日韓関係60周年という節目に、文化交流を通して歴史を振り返る」というテーマのもと、まずは、ソウル大学の学生による発表を聴講しました。題材として取り上げられたのは、高畑勲監督によるスタジオジブリ作品『火垂るの墓』です。この作品は、発表に先立ち、私たち比較文化論ゼミの学生とソウル大学の学生がそれぞれ事前に視聴し、感じたことや疑問点を共有できるよう準備を行っていました。発表では、この作品に対する日本と韓国それぞれの受け止め方や、戦争をテーマとした作品に対する各国の視点の違いについて詳しく述べられました。
特に、歴史的背景における加害者・被害者という立場の違いが、作品の印象や解釈に大きく影響しているという点が印象的でした。発表の中で、どちらの立場が正しいのかを善悪で単純に区別することはできないという考えが示され、作品を通して見える歴史認識の多様性について深く考えさせられました。
また、「他国の歴史を完全に理解することは難しいとしても、必ずしも理解だけが目的ではなく、和解しきれない関係性を受け入れることも一つのあり方ではないか」という新たな可能性の提案に強い印象を受けました。異文化理解とは、単に共通点を見出すことだけでなく、異なる立場や考え方をそのまま尊重し、受け止める姿勢も含まれるのだと気づかされました。

さらに、同様の題材で比較文化ゼミの担当教員である杉本章吾先生に講義を行なっていただきました。講義では、『火垂るの墓』に対する日韓双方の受容の違いを踏まえ、「私たちはこの作品をどのように消費しているのか」という問いが提示されました。日本では一般的に「悲しい、切ない」といった感情や「戦争は悲惨だ」という感想に集約されるが、そうした反応で終えてしまってよいのか、という問題提起がなされました。
そこで作品内で描かれるキャラクター表象に注目が向けられました。中でも節子が「純粋無垢でかわいい存在」として描かれる一方で、栄養失調による身体の変化といった「生身の身体の露呈」が徐々に示されていく点が取り上げられ、この対照的な表現が、単なる感情的な作品消費にとどまらない、より多角的な作品理解を促していることが示されました。

今回の交流会を通じて、文化や歴史に対する見方の違いに触れ、改めて対話を重ね、それぞれの違いを受け入れることの大切さを実感しました。また、異なる視点に触れることで、自国の文化を新たな角度から見つめ直すきっかけにもなりました。そして、歴史認識や価値観が違っていても、お互いが率直に意見を交わすことで理解が深まっていくと実感しました。相手を知り、互いの違いを認め合いながら話すこと自体が、異文化交流の大切な一歩なのだと学びました。