初等部3年生への出前授業を行いました!

初等部の社会科・富永剛先生のご尽力により、女性文化研究所の遠藤由紀子研究員(歴史文化学科所属)は、916日、初等部3年生へ出前授業を行いました。

昭和女子大学附属昭和小学校(以下、初等部)の3年生は、社会科の授業で「学園の歴史」を学んでいます。
授業は「学園をささえた先生方の思いや考えを知ろう!-桜井女塾の合併と第二次世界大戦の英語教育-」と題し、明治大正期に活躍した女子教育者・桜井ちかが創立した「桜井女塾」が、昭和16年に日本女子高等学院(昭和女子大学の前身)の英文科に合併された経緯を紹介、児童は、80年前の学園の歴史に理解を深めました。

幕臣の娘であった桜井ちか(生没年18551928)は、明治9年「桜井女学校」を創立、日本人による初めてのキリスト教主義の学校で、明治13年には附属幼稚園(日本初の私立幼稚園)が併設されました。のちに、桜井女学校は新栄女学校と合併し、女子学院と改称、現在も女子学院中学・高等学校として多くの生徒が学んでいます。
ちかは、桜井女学校を友人の矢島楫子に託した後、日本各地を遊歴、計4年間のアメリカ留学を経て、明治31年に「桜井女塾」を創立します。所在地は東京本郷、英語専門ですが、音楽(ピアノ、オルガン)や西洋家庭料理の授業もありました。明治33年に創立した女子英学塾(現津田塾大学)と並んで「女子の英語は津田か桜井か」といわれる名門校となります。ちかが亡くなった後、2代校長には娘の倉辻ふきが就任、英語教員免許取得の学科開設などの改革を進めていきました。

昭和14年、第二次世界大戦が勃発します。「敵国語を学んではいけない」という世の風潮が高まると、桜井女塾の経営状況は悪化してきます。そのような状況下、昭和16年に昭和女子大学の前身である「日本女子高等学院」の英文科が、桜井女塾の先生と生徒を受け入れる形で(合併)、女子教育・英語教育の存続を叶えました。戦時中の教職員(松平俊子校長、英文科金子健二教授、国文科人見圓吉教授など)は「百年の大計」を考えていました。

出前授業では、昭和女子大学図書館・女性文庫にある100年前の女性雑誌のレシピや80年前の本学の広報誌『光葉』などをスライドで紹介、当時の古い資料を児童は真剣にみていました。また桜井ちかのひ孫の方は、初等部の卒業生(6期生)であることも紹介しました。

80年前に学園を支えていた先生方が、英語教育が排撃される世の中でも英語教育・英語研究に理解があったこと、当時も女性が活躍する場所を守り、困っている人を助け、建学の精神「世の光となろう」を実践していたことが伺えました。これらは、現在の学園全体で推し進める「グローバル教育」につながる歴史です。

女性文化研究所の研究成果が学園に学ぶ児童・生徒・学生の自信・誇りとなり、今後の学園の実りある学びにつながることを祈っています。                            (遠藤由紀子)

※遠藤研究員の桜井ちかに関する研究成果は、2020年度の『女性文化研究所紀要』48『学苑』965に掲載されています。