江戸幕府は、将軍などの肖像を錦絵にすることを禁じていましたが、明治政府は天皇や皇后を題材にすることを推奨したため、沢山の宮中の錦絵が出版されました。これは明治天皇の皇后を描いたものです。美子(はるこ)皇后は和歌に堪能であり、『昭憲皇太后御集』などの歌集が伝わりますが、華族女学校(現学習院女子中等科・高等科)のために作詞もされました。この絵の左上に歌詞が書かれていますが、冒頭の「金剛石」「水はうつは(器)」が曲名となり、絵のタイトルにあるように(文部省)唱歌としてもひろまりました。
この錦絵は明治20年(1887)のものですが、皇后が洋服を着用されていることに注目してみて下さい。皇后が十二単や小袿の和装から洋装になったのは、前年の明治19年(1886)からで、明治20年1月には「婦女服制の思召書」が出されて、女性の洋装が奨励されました。華族女学校では、同年6月から洋服着用の規程が制定され、皇后を囲む女生徒たちも洋装です。制服ではなく、思い思いの服を着ていますが、初期の女学生の様子を知るに良い材料といえるでしょう。(C.S)
参考文献
若桑みどり著『皇后の肖像:昭憲皇太后の表象と女性の国民化』(4F開架室 女21/Wak )
女子學習院編『女子學習院五十年史』(B1書庫 女32/Jos)