久下研究室だより

<日文便り>

昭和女子大学紀要『学苑』1月号には拙論「大納言道綱女豊子について―『紫式部日記』成立裏面史―」が掲載されています。当該『日記』に最も登場回数が多い紫式部の同僚女房の「宰相の君」が道綱女豊子なのですが、彼女の存在、役割が他の女房と異なるから、登場回数が多いことになり、作者紫式部は何の意図をもって彼女を取り上げ描いているのでしょうか。従来の研究とは全く異なる結論が導かれていきます。

また2月8日(水)は定例の日本文学研究会が催され、「ある日の彰子の怒り」というタイトルで口頭発表しました。『四条宮下野集』には天喜4(1056)年4月30日皇后寛子春秋歌合の提出歌として下野の歌3首が選ばれたことに対し、彰子から圧力がかかり自分のサロンの伊勢大輔の歌2首と差し替えられるという事件が記録されています。

 

たんなる権力行使のいやがらせだとしたら、彰子の品性を一変させる汚点となるような事件となりますが、既に女院として皇室の一員となっていた彰子と実弟でありながら実娘寛子を後援する藤原摂関家の頼通との間に亀裂を感じさせる極めて政治色の濃い事件であろうとする認識を示しました。

(久下裕利)