<日文便り>
好きな諺の一つに「見つめる鍋は煮えない」があります。教えとか戒めとか、そうした深い意味で好きというのではなく、ただただ「本当にそうだなぁ」と思うことがよくあるからです。生来のんびり屋なので、鍋が煮えるのを待つのは苦ではないのですが、ずっと見ていた鍋がふと目を離したその一瞬に吹きこぼれたりするのですから、実に言い得て妙です。
暑い季節には素麺を食べる機会が増えますが、2分ほどしか茹で時間がない素麺の調理は、麺を茹で、茹だった麺を掬い、水で締め、食べやすい量にまとめながら皿に盛り、その間に再沸騰した鍋に新しい麺を投入して……と、殊の外慌ただしいものです。
さて、あと数日で七夕です。七夕には素麺を食べるという人もいるのではないでしょうか。平安時代に編纂された『延喜式』には、七夕に中国伝来の菓子「索餅(さくべい)」が供えられた記録があり、この索餅が素麺の元だと言われ、七夕に素麺を食べる由来とされています。その他にも、素麺を「天の川」や織姫の糸に見立てたという説もあります。
古典文学において「月」は頻繁に和歌に詠まれますが、「星」の歌はあまり多くありません。その中で「天の川」は比較的多く詠まれ、『万葉集』などに見ることができます。
天の川を挟んで位置する牽牛星(彦星)と織女星(織姫)の二星が、7月7日、一年一度の逢瀬を許されるという七夕伝説は、早くから中国から日本に伝わっていたようです。
因みに、天体の実態に照らすと、わし座の1等星・アルタイル(彦星)と、こと座の1等星・ベガ(織姫)の間は14.4光年ほどで、二星が光の速さで移動したとしても、一年に一度会うことは不可能なのだとか。
二星の逢瀬を「星合ひ」とも言います。『源氏物語』幻巻では「七月七日も、例に変りたること多く、御遊びなどもしたまはで、つれづれにながめ暮らしたまひて、星逢ひ見る人もなし」と、亡くなった紫の上を偲び、「七夕の星の逢瀬を眺める女人もない」と嘆く光源氏の姿が描かれます。もはや一年一度の逢瀬すら叶わぬ悲しみを二星の別れに託し、源氏は歌を詠みます。
七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見てわかれの庭に露ぞおきそふ
(七夕の逢瀬の喜びは雲の上の別世界のことと思われ、この地上では二星の別れを惜しむ涙の露の
おく庭に、わたしの悲しみの涙がさらに降りそそいでいる)
再会を待ち望む時間は長く、逢瀬は瞬く間に過ぎてしまうもの。待つ時間も大事だというのも「見つめる鍋」さながらです。今年の七夕は天上の二星を思いながら過ごしてみてはいかがでしょうか。
参考:『歌枕歌ことば辞典増訂版』(笠間書院)
『歌ことば歌枕大辞典』(角川書店)
新編日本古典文学全集『源氏物語』(小学館)
国立天文台 https://www.nao.ac.jp/faq/a0309.html (2023.07.03閲覧)
(鵜飼祐江)