学会とは ―なぜ登壇者は犯人なのか―

〈日文便り〉

医学系や刑事物のドラマを見ていると、「学会」の場面がしばしば登場します。
スーツを身にまとい、眼鏡をかけた男女がスライドを使いながら説明し、質疑応答を鮮やかに裁いていく、そしてなぜかその人物が悪者、犯人であることが多い……。どうして?

「学会」とは何でしょうか。『日本国語大辞典』には「1学術機関。アカデミー。 2互いに学習するための組織や会合。研修会。 3学術研究の推進、学者相互の連絡などのために組織された、専門研究者の団体。または、その会合」とあります。この場合「3」ですが、この短い説明の中に悪者登場の鍵があります。「学術研究の推進」です。そして、この鍵は、実は大学の学びとも深い関係があります。

高校までは学習指導要領に沿った事柄を教育します。教育ですからあやふやなことは教えられません。根拠のある事実として皆が認める事柄を、共通認識として教えます。つまり枠の範囲内を学ぶことになります。
一方、大学の学びは「まだ明らかになっていないこと」「誰もまだ気がついていないこと」「新資料にもとづき、固定していた内容の再検討が必要なこと」など、枠の外のことを研究します。

学会はそうした新たな知見を報告する場、つまり「学術研究の推進」の場です。
新しい知見は先を争いますし、それが莫大な利益につながることがあるため、悪者の活躍ぶりを描くシーンとして学会が選ばれるのでしょう。しかし……。

9月21日に私が所属する、遠藤周作学会の全国大会が県立神奈川近代文学館で行われました。遠藤周作という一人の作家の思想や文学活動、作品解釈を巡って研究発表やシンポジウムがあり、新たな発見や知見が報告・提示され、質疑応答がかわされました。その場では収まらず、休憩時間や懇親会でも人が集まり、コメントし合っていました。
大会運営委員の一人として、そうした熱い人間のドラマを見ていて、「ああ準備の苦労が報われたな」としみじみ思いましたし、私自身も懇親会でいろいろな先生たちと言葉を交わす中で、今後の研究に活きるヒントをたくさん得て来ました。今は大会の事後処理に追われていますが、早く次のテーマで論文を書きたいと、わくわくしています。

学会は、枠の中を豊かにすると共に、枠の外がどこまでも広がっていることを教えてくれる場です。
―決して悪者の活躍の舞台ではありません。

 

(笛木美佳)