日文先生インタビュー~山本歩先生・前編~

〈日文便り〉

こんにちは。日文ブログスタッフのA.Nです。
今年のオープンキャンパスにお越しくださった皆様、ありがとうございました♪

今回は、7月21日に行われたオープンキャンパスで模擬授業をしてくださった山本歩先生にインタビューをしました。
前編・後編に分けてお届けします!
まずは前編をどうぞ!

 

近現代文学担当 山本歩先生

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Q.山本先生はこの春から昭和女子大学で教鞭をとられています。そこで、昭和女子大学への赴任が決まった際の心境を聞かせてください!

――――率直に嬉しかったです。実は以前、九州にいたときから、昭和女子大学の近代文庫を利用させていただくことがあったんです。近代文庫にしかない資料も多く、出張という形で時々調べに訪れることがありました。遥々九州から通っていた場所で、研究者・教職員として勤められるのは嬉しいことでした。

 

Q.実際、昭和女子にいらしてみて思った日文生の印象を教えてください!

――――そうですね。僕が今授業で主に接しているのは、1年生ですので日文生の全容はわかってはいません。ですが、前回同行した2年生の学寮研修を通じて、結構自主的に動くことができる学生が多いんだなと感じています。ほかの先生方も仰っているかもしれませんが、日文の学生は、物静かでおとなしいように見える学生が多いんだけれども、課題を与えてみると積極的に主体的に動ける学生が多いです。「能ある鷹は爪を隠す」ではないですが、表に出さないだけで、内に秘めているものはあるのかなという印象です。

 

Q.先生は現在2年B組でCA(クラスアドバイザー)をされていますが、こちらはいかがですか?

――――8年ほど前に、高校で1年間教員をしていて、担任を持っていたことがあるのですが、その時のことを思い出しましたね。普段のHRなどでの、学生たちの反応なども含めて、懐かしくなりました。

 

Q.昭和女子は他大学と比べて珍しく、学科での宿泊を伴う研修・学寮研修があります。山本先生は、2年生にご同行されましたが、実際にいかがでしたか?

――――学寮研修のような合宿行事は、他の大学にはないものというよりも、他の大学ではすでになくなってしまったものですね。僕が前に勤めていた女子大でも、かつては行われていたようですが、時代の流れの中でなくなっていって、それを昭和女子はまだ持っているということだと思います。
東明学林に行って一番驚いたことは、学校が山一つを所有していて、それを卒業生が自ら切り開いていくという、ものすごく独自の文化圏が築かれていることです。これには、とにかく圧倒されるものがありました。引率では、当初こちらが覚悟していたほどの何かが起こることはなく、皆さん自主的に動いてくれたので良かったです。


Q.山本先生の専門分野である「近代文学」の魅力や、この分野を専攻したきっかけを教えてください!

――――うーん、そうですね。魅力というか、もともと小説は好きでよく読んでいました。大学へ進学するときも、何かしら文学をやりたいという気持ちはあって、なんとなく古典語が得意ではなかったから、近現代の方に行ったんですね。ただその中でも、明治や大正という時代を選んだのは、単純に昔の人って面白いなって思ったからです。
特に明治時代の人は、自分たちで言葉やジャンルというものをあらためて構築していかなきゃいけなかったんです。当時の人たちは、文学というものを思想とか哲学の一種とみなしていて、いわばそれが自分たちの生活や人生を大きく変えてくれるものだととらえていました。そこが現代の人たちと違って面白いところです。
良くも悪くも私たちは、文学にそこまで期待とか、価値とかを見出していないんだよね。現代の私たちにとってはそれが普通だし、それでいいんだと思うのだけれど、そういうことを生真面目に考えていた近代人というのは、僕にとっては面白く感じました。

 

Q,実際に先生の授業の「日本文学史D」を受けて、授業の冒頭には、その回に扱う作家の生涯の説明や、エピソードの紹介から入ることが多いなと感じています。この導入のおかげで、作品の読解の解像度も上がります。先生が文学の授業を行う際に、何か意識していることがあれば教えてください。
 *「日本文学史D」は、近代から現代に至るまでの詩歌を通じて、文学のあり方を把握していく授業です。
  授業内では、時代を考察する上で有効だと思われる作家作品を中心に取り上げます。

――――「日本文学史D」に関しては、僕も詩とか韻文を教えたことがあまりなかったので、半分くらい自分の勉強のためにやっているところはあって(笑)。作家の生涯まとめるのとかも、授業のために勉強して、確認のために書いてるところはあります。でもやっぱり、今、解像度が上がるっておっしゃったんだけれども、近代文学って100年とかそれ以上前の作品だし、何とか身近に思ってもらわないと始まらないなというところがありますね。

特に、文学史で面白いって思ってもらえるのって、作家についての話だと思うんです。文学史の授業では、とても沢山の小説を取り上げるんだけれど、そのほとんどは学生は読んできたことのないものばかり。
僕が授業で面白さを語ることはできても、やっぱり作品の面白さは読んでみないとわからないと思うから、僕の話には限界があります。とすれば、学生の記憶に残る話は、作家についての話で、そこをしっかり教えるようにはしているかな。
作家が100年前の人とはいえ、現在の学生たちと同じような心を持ったり、同じようなことを考えたり、同じような愚かしさを持っている人間だっていうことを、ちゃんと伝えないといけないとは思っていますね。なるべく作家を神聖視はしてほしくなくて、同じように限界を持ってる愚かしい人間なんだというところから入らないと、作品の批判的な読み方もできないと思いますし。

作品は褒める読み方と、同時に批判していく読み方と2つあるべきで。ちゃんと、作家にも限界を持っている人間なんだという風に読んでいかないと、全肯定か全否定しかできなくなってしまうので、そういうところに気を付けてはいますね。

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前編は授業を中心にインタビューをしました。

後編もお楽しみに😊♪

(A・N)