「Haiku for Peace」を経て思う、文学の力

去る11月1日、今年度で4回目となる句会「Haiku for Peace」が開かれました。
本学の客員教授であり俳人の黛まどか先生をお招きし、昭和女子大学とTUJの学生で「平和」をテーマに俳句を詠むものです。
昨年度には、私も詠み手として参加しました。
今年度は、前駐日ウクライナ特命全権大使であり、TUJの特別招聘教授兼特別顧問学長補佐のコルスンスキー先生も参加され、私はその通訳として句会に加わりました。

通訳という務めは、私にとって挑戦でした。
私は、嗜みとして英語に触れてきたに過ぎません。
ただ、英語に触れるほどに感じることがあります。
それは、その奥に、文法や語彙のきまり以上の、文化的な“癖”のようなものがあるということ——言ってしまえば、言語には“非互換性”があるということです。
文学を志向すればなお、各言語の機微が、簡単には置き換え難い深さを持っているものだと実感するのです。

句会前、コルスンスキー先生に俳句についての印象を伺うと、次のような言葉が返ってきました。

「俳句についてはもちろん知っている。五七五という制約のなかで試行する文学だ。だからこそ、翻訳するのはより難しいだろうと理解している」

俳句の認知度はさることながら、俳句という文学の在り方について、コルスンスキー先生がそのように捉えていらっしゃったことに、私は驚きつつ、大きな共感を覚えました。
コルスンスキー先生が仰ったことは、まさに先ほど私が述べた“非互換性”です。

一方で、先生は同時に、日本の文学や文化がウクライナでよく親しまれていることも強調されました。
俳句や寿司、相撲(昨今、安青錦さんも大変活躍されていますね)など、コルスンスキー先生ご自身が馴染み、理解する日本文化の形を、日本人の私に教えてくださいました。
そのことが、ひどく感銘深く感じられました。

さて、句会では学生たちの詠んだ句を鑑賞します。
学生たちそれぞれが、それぞれの「平和」を詠んでいました。とりわけ私が印象深いのは、各句の描く「平和」がさまざまな情景でありながら、そのどれもが自然や日常であるという点で共通していたことです。

コルスンスキー先生も、学生たちが詠んだ句ひとつひとつを興味深く鑑賞されていました。
特選に選ばれた句を紹介します。

送り火や玄関先に影並ぶ(SWU学生)

思いはせ故郷へつなぐ秋の海(TUJ学生)

紅葉風川面を染めて月映す(TUJ学生)

いずれの句にも、そこに宿る静謐が、読み手にじわじわと広がっていく感覚があります。
コルスンスキー先生もまた、「情景が簡単に浮かぶ、美しい風景だ」と、選句の理由を述べ、もっともよいと感じた一句として、「紅葉風」の句を選ばれました。
学生たちめいめいの「平和」を鑑賞しながら、「平和」が特別な理念ではなく、日々の一コマに滲む情緒そのものであるということを、深く感じさせられた時間でした。

文学を専攻しているとしばしば、「文学はなんの役に立つのか」という問いに立ち会うことがあります。
たとえば、文学は、衣食住のように、最低限生きていく上で不可欠ではないでしょう。文学がなくても、人は生きていけます。
あるいは、効率化の進む現代において、文学は生産性がないといわれているかもしれません。経済的利益や技術的進歩に直結しないからです。
しかし私は確信しています。文学は「必要」です。
今回もそのことを感じる機会でした。

「Haiku for Peace」プロジェクトを代表する、黛先生の編著『ウクライナ、地下壕から届いた俳句 The Wings of a Butterfly』(二〇二三・八)にて、
ウクライナの少女・ウラジスラバさんが地下壕で俳句を詠んだように、
そして今回の句会においても、国籍を異にする学生たちで「平和」を詠んだように、
文学は国境を超える。
昨年度の参加経験に加え、今年度の通訳という務めに際して、より強く、そのことを実感しました。

ウクライナは現在、ロシアからの侵攻を受けて4年目、いまだ戦争が続いています。私たちは、ウクライナからほど遠い日本という国に暮らし、ウクライナの戦火を、遺憾ながらも事実としてしか知りません。
ですが、ウラジスラバさんやウクライナの人々が経験する哀しみや絶望、そしてその怒りに触れることはできます。
文学には、その媒介を担うという意義がある。そして、私たちは平和を希求する心を詠むことができる。
これが文学の力であり、「必要」である理由なのではないでしょうか。
「Haiku for Peace」を経て、そんな思いを固くしました。

言語の“非互換性”にぶつかりながらも、その困難に勝るほどの、言葉を編むという人間活動それ自体の尊さを思えばこそ、文学という媒介を通して、私たちはこの社会を生き抜いていけるのではないか——そう感じています。

相川  仁有子