授業風景

学校図書館の取り組みについて [2021年07月22日(木)]

<授業風景>

図書館学課程では、司書と司書教諭の二つの資格が取得できます。
司書は一般的な図書館、司書教諭は学校図書館(図書室)の業務を担います。
司書教諭は教員免許と併せて履修しなければなりません。

先日、司書教諭科目「学習指導と学校図書館」で外部講師を招いての講義を行いました。
講師は、都立高校で社会科を教えていらっしゃる他、司書教諭もご担当なさっている伊東敬太先生です。

今回は、伊東先生が司書教諭を志したきっかけ、都立高ご着任後、司書教諭に任命されてからの様々な取り組みを御講演いただきました。
伊東先生の社会科教諭としての問題意識を図書館業務に結びつける姿勢や、生徒も楽しみながら貸し出し冊数を増やす工夫は素晴らしく、また、取り組みのひとつであるビブリオバトルでは、学校内にとどまらず、地域の公共図書館も参加するほどだったそうです。さすが文部科学大臣賞を二度受賞なさっている先生だと拝聴いたしました。

教職を志望する学生たちは、現場の先生のお話を直接お聞きすることで、教職に就いた後の、自分の未来像を描くことができたのではないでしょうか。


科目担当の西巻先生から伊東先生の御紹介


司書教諭を志したきっかけをお話なさる伊東先生


映像資料もふんだんに解説してくださいました。


最後に、「絵本専門士」でもある伊東先生の絵本の読み聞かせがありました。

(kw)

 

「日本語教育入門」TUJの日本語学習者と交流 [2021年07月16日(金)]

〈授業風景〉

こんにちは!TUJの日本語学習者と交流しました!
「日本語教育入門」の授業でのオンラインでのディスカッション(1回)と、
TUJでの対面授業(2回)の報告をします。

最初はドキドキだった(!?)参加者の感想をご紹介します。

<オンライン授業での交流>(6月21日 全員参加)

日本語に対する興味だけでなく、日本食、ゲーム、アニメなどの日本の文化も、学ぶきっかけになったと教えてくださり、とても嬉しかったです。
文化の価値の大きさを知ることができました。

●日本で働きたいという意欲もあり、日本語能力試験に合格したいという明確な目標ももっていたことも印象的でした。
これは継続的に言語を勉強するためには大切だと感じました。とても貴重な機会をいただけて、楽しく交流することができました。

母国語が影響したことがあるかという質問に対し、「いつもお世話になっています。」の使い方が難しいと言っていたことが印象的でした。
文法が最も難しいとも話されていましたが、私も英語を勉強するときに一番難しいと感じているのは文法なので、共通していると感じました。

日本に住んでいる中で一番大変だったことは、区役所の手続きと話されていました。
日本人でも大変な手続きだからこそ、外国人にわかりやすいように説明の紙を作ったり、外国人を助けるスタッフを配置したりと、工夫がもっと増えれば良いと思いました。

<授業訪問>(6月28日、7月5日 希望者)

今回、初めてテンプル大学を訪問しました。
最初は少し緊張しましたが、学生さんたちがとてもフレンドリーで、すぐに打ち解けることができました。

【アイスブレーキング:多い? 少ない? 私たちの共通点】

ランキングを当てるゲームでは、日本食一つをとっても、日本人の私が思いつかない意見がでました。
異なる価値観に触れながら、楽しく交流ができました。
話すときに、わかりにくそうなものに関しては、ジェスチャーを交えたりなどと意識はしましたが、
思っていたより学生さんたちの日本語が上手で、会話も盛り上がりました。

(数日後に)道で、あの時の方ですよね、ZOOMでお会いしましたなどと声をかけられました。びっくりしましたが、とてもうれしかったです!

【グループ活動の一部】

実際に日本語を学んでいる方々と楽しく交流することができてとても良い経験になりました。
参加して本当に良かったです。生まれた国が違っても話すことで自身の視野も広がりました。
七夕に関するクイズでは、七夕文化を見直す機会になりました。

<七夕の短冊づくりと飾り付け>

わたしたちの交流は今後も続きます!

(近藤彩)

オンラインで海外の大学と交流(1)北京郵電大学日本語学科 [2021年07月07日(水)]

こんにちは!日文の植松です。

6月は日本語文法論の授業で2回、海外の日本語教育機関とオンラインで交流を行いました。

その1回目の様子をお伝えします。

6月15日(火)に、日本語文法論(80名)のクラスと、北京郵電大学日本語学科3年生(18名)のクラスで【位相語】をテーマとした交流授業を行いました。

【位相語】とは、立場や環境によることばの違いのことを指します。

たとえば、ことばの男女差、若者言葉などの年齢差、方言などの地域差と言えば分かりやすいでしょうか。

 

今回の授業では位相語をテーマに双方に聞きたいことを質問の形で列挙し、学生からの質問リストをもとに先方の担当教員(熊先生、私が大学院生の時からの長年の友人)と一緒に授業計画をたてました。熊先生とはe-mailはもちろん、wechatを使って通話したりしながら計画を進めていきました。授業自体も楽しいのですが、この計画する時のワクワク感、なんとも言えません 😆   

 

今回は北京郵電大学の学生18名が3チームに分かれ、それぞれのチームが決めた位相語に関連するテーマをPPTを使ってプレゼンテーションし、質疑応答を行いました。

 

若者言葉では略語(「ごめんなさい」→「对不起(dui bu qi)」→ピンインの頭文字を取って「dbq」)やネット発祥の用語(「草」が中国でも、ネットにおける「笑い」の意味として使われている!)ことを知り、言語を超えたことばを取り巻く現象に興味を持った様子でした。

 

また、日本語では方言に対するイメージが以前とは変わりつつあることを取り上げ、それぞれの言語における方言についてどのように感じているか、また、方言話者は方言を真似されることについてどう感じるか等、若者が方言に対して感じていることを率直に伝え合いました。

完全に対面授業に戻っても、このオンライン授業交流は続けていきたいと思っています!

次回は、日文卒業生&インドネシアのアイルランガ大学との交流を報告します。

(植松容子)

 

書道実習 [2021年06月28日(月)]

<授業風景>

日本語日本文学科では、国語の教員免許以外に書道の教員免許も取得できます。
教職課程を履修する多くの学生は、国語と書道の両方の取得を目指して頑張っています。
書道実習はⅠ~Ⅴまでレベル別にカリキュラムが組まれ、その他に書法や書道史の講義もあり、非常に充実しています。大学に入るまで本格的に書道を経験してこない学生も、書道実習Ⅰから順に履修することで、力を付けることができます。

こちらは「書道実習Ⅴ」の授業です。
 

 

先生の指導を受けながら、臨書したり、あるいは自分で「五體字類」で調べて書いたり、自分の作品を書き上げています。
 

書に向かう時間は静かでも、授業の雰囲気は和気あいあい。作品と作品の合間にホッと見せてくれる笑顔が印象的でした。

書道実習は、教職履修者以外にも、選択科目としても履修できます。
教職を目指す方、字がうまくなりたい方、日本の伝統文化に触れたい方、ぜひ履修してください。

(KW)

演習 [2021年06月22日(火)]

〈授業風景〉

今回は、演習、いわゆるゼミでの授業内容についてご紹介します。
私は日本語教育の中でも特に「会話データ分析」が専門で、日本語母語話者と学習者の会話、いわゆる異文化間コミュニケーションの特徴を、実際に会話を収録して分析しています。

日文の学生は、3年生からゼミに所属し、「演習」の授業で卒論を書くために専門的な内容を学習していきます。
私のゼミでは、受講生は実際に会話データの収集も体験します。
会話の収録前は、ビデオカメラの前で普通に話すのは難しいのではないかという疑問も出てくるのですが、私のこれまでの経験では、最初はカメラを意識していても、会話がはずんでくると撮影されていることを忘れてしまいます。
実際、受講生に体験してもらうと、やはり、「えっ、もう時間?」と撮影終了に驚く様子が観察されます。

写真は女子大生の楽しそうな会話の様子ですが、みなさんにとって「楽しい会話」とは具体的にどのようなやりとりでしょうか。
会話データ分析では、実際に撮影した会話データを文字化して会話を視覚化し、会話の特徴を客観的に分析していきます。
「楽しい会話」の特徴がわかれば、日常生活の実際の会話にその特徴を活用していく可能性もあります。
授業では、日常生活の多様な会話の特徴を受講生と一緒に考えていきたいと思っています。

(大場美和子)

特別授業 昭和女子大学×フィレンツェ大学Exchange day―江戸川乱歩「白髪鬼」をめぐって [2021年06月08日(火)]

<授業風景>

フィレンツェ大学(イタリア)のディエゴ・クチネッリ先生との共催で、
COIL型授業を5月12日(水)にzoomで行った。
COILとはCollaborative Online International Learningの略であり、今回の日伊をつなぐオンライン授業は、従来の留学による国際化に加え、キャンパスの国際化を一層推進するグローバル教育の新たな取り組みである。

日本の大学での留学経験も豊富で、現在はフィレンツェ大学において日本文学を専門に研究されているディエゴ先生は、翻訳家の顔も持ち、日本文学のイタリア語版を多数出版されている。

今回は、その一つである江戸川乱歩「白髪鬼」(1931年:イタリアでの出版は2020年)を題材に、
昭和女子大学とフィレンツェ大学の学生との間で議論を行った。

具体的には、山田の担当する3、4年生対象の授業(日本文学Ⅱ(近代A) 中・短編小説を読む)の学生と、ディエゴ先生の担当する大学院の授業(イタリアで日本の文芸作品を翻訳する)の院生との交流であり、
5つに分けられた場面ごとのグループで意見を出し合った後、その内容について順に発表した。

授業の後半では、受講生同士で為された議論を受け、ディエゴ先生が「白髪鬼」の解説を行った。
作品の読解だけでなく、イタリアでの日本文学の受容状況や、ディエゴ先生が翻訳する際に心がけていることなど、話題は多岐にわたり、受講生同士の議論も含め、密度の濃い90分となった。
受講生も強く関心を惹かれたようであり、授業後には興味深い声も多く聞かれたため、一部を紹介したい。

両国の学生間での議論については、次のような感想が上がった。

イタリアの学生さんの意見には、聴覚的表現が多いという意見があり、内容だけでなく細かな表現まで注目していて、読みの深さに驚いた。

日本の学生は江戸川乱歩の文体に注目した人が多かったが、Dさんは人物を客観的に考察しており、双方の視点からとても面白い議論ができました。

イタリアの大学生と合同で授業を行うことはなかなかない機会だと思うので、とても貴重な体験ができました。まず、グループワークではフィレンツェ大学の学生さんの意見を元に話し合いましたが、前回の授業で私達があげた考えと共通する部分もあれば、なるほど! と思わされるような新鮮な考えもありました。

私は普段、このような場で学ぶ機会がほとんどないので、とても貴重な経験になりました。日本の文学は日本だけのものとして読んでいましたが、日本文化の一つとして、世界に広まっていっているのだなと実感しました。外国の方と今回のようにグループワークを通して意見交換をする機会はZOOMを使用したオンライン授業ならではのことであるし、オンライン授業であるからこそ実現することが出来たと思います。また、このような機会が授業内でも授業外でもあると面白いと思います。

 

ディエゴ先生による講義については、次のような感想が上がった。

翻訳する際に、翻訳する国の言語を学ぶだけではなく、その当時の自国の言語についても精通していないと正しく訳せない、また訳すときに小説になるようにニュアンスを確認しなくてはならないというお話が印象的だった。一作の本が海を渡るという事は、私が想像していたよりも多くの、目に見えない苦労があることに気が付いた。

ディエゴ先生の講義は大変興味深い内容であり、特に翻訳までのプロセスは私が想像していたものよりも何倍もの手間暇がかかっていること、沢山の時間をかけて作品をイタリアの人に届けているということに、とても感動しました。近代文学だけではなく、最近の作品も読まれていることにも驚きました。

ディエゴ先生が授業内でおっしゃっていた「一番初めに直訳をして、作品にある語を理解する」と言っていたところが印象に残りました。語というものは単純に「内容を伝えるためのパーツ」であるとともに「ある特定の雰囲気を感じさせるためのもの」であることも改めて認識しました。

翻訳はただ自言語に訳すだけではなく、原本が持つ雰囲気や作家の文体まで意識して取り組まなければならないと知り、想像以上に大変なものだと思った。ディエゴ先生のお話にあった、「乱歩が作った文の枠組みを意識して言葉を埋めていく」という方法が、独特の感覚で興味深く感じた。また、和歌や俳句も訳されているというお話があったが、五七五または五七五七七のリズムや、掛詞などはどのように表現されるのか気になった。

上記からも窺えるように、受講者が大いに刺激を受ける貴重な機会となった。
今後もこのような場を積極的に設けていきたい。

(山田夏樹)

サブカルチャー論B「粟津潔 デザインになにができるか」 [2021年02月10日(水)]

<授業風景>

先月は2週に渡ってサブカルチャー論B内で「サブカルチャー=民衆のカルチャー」と訳し昭和の時代、常に「民衆」に向き合ってきた唯一無二のグラフィックデザイナー粟津潔の仕事について講義を行いました。ゲスト講師に粟津潔のご子息粟津ケン氏を迎えて対談形式で授業を進めていきました。
今回はこちらの講義のコーディネート兼司会を務めた熊澤から授業の概要を紹介します。

まずは、2019年に金沢21世紀美術館で開催された「粟津潔 デザインになにができるか」について展示の概要を簡単に説明していただき併せて粟津潔の生い立ちについても触れました。(粟津ケン氏は本展覧会の監修を務めています)1歳で父親を亡くし、戦争を経験したのちに焼野原で路地にロウ石で絵を描くなどゼロからの出発とも言える少年時代を過ごします。その後は、当時の山手線に朝から晩まで乗車し人々の様子をデッサンしながら独学で絵画を学び、20代前半で映画ポスターを描く仕事を得られるようになったのでした。
25歳の頃には、デザイナーとしての初期作品「海を返せ」が1955年日宣美展グランプリを受賞し、その作品を起点に原水爆禁止運動や反戦活動など「民衆のための」デザインを継続していきます。

粟津潔はあらゆるジャンルを越境していきます。映画・舞台・音楽コンサートのポスターのデザインから始まり、「環境」もデザインの対象であることを言及し、更には万博開発計画や黒川紀章が中心となった集団「メタボリズム」への参加など建築デザインにも携わり「環境デザイン」を実践していきました。

あらゆるジャンルを越境していく姿勢は、このデザイナーが持つ強い好奇心が起因しています。
影響を受けたアーティストは、リトアニア生まれの画家ベン・シャーンを始めスペインのガウディ、バウハウスの時代を代表するパウル・クレーやカンディンスキー、北斎・英泉・芳年など江戸時代を代表する絵師と、あらゆる時代や国境を越えた人物たちです。

またブックデザインの仕事については、その本の内容を深く探求することで雑学になり、多くの影響を受け「ブックデザインはデザインの神様であり、ご本尊である」と粟津潔自身が語っています。詩集・小説・民話集・絵本などあらゆる種類の本の装丁を手がけ、「季刊FILM」や「デザイン批評」などでは編集にも携わりました。

同時代の人物との協働も多くありました。寺山修司とは詩集の装丁から始まり、映画・舞台のポスター更には映画の舞台美術デザイン、主催する劇団天井桟敷が所有する劇場「天井桟敷館」の建築デザインまで多くの仕事を共にしていきました。他には詩人・批評家の富岡多恵子、映画監督の勅使河原宏・篠田正浩まで様々な分野の才能との仕事を重ねていきます。

晩年は象形文字に魅せられ、毎朝書写を練習する日々を過ごし日本の文字文化に深く傾倒していきました。
80年代は絵画・版画も描き始めます。それまでに写真も多く撮り溜め、自ら映画監督を務めるなどあらゆる媒体と親しみながらその創作活動の幅を広げていきました。その広大な視野はデザインを通した宇宙とも言えます。

粟津潔の周りには常にことばの力が潜んでいました。それは人との会話から出てくるものであり、詩であり、映画のセリフであり、街頭のポスターのキャッチコピーと様々に形を変え現れました。最後に、粟津潔と同時代を生きた美術評論家の針生一郎氏が残した一言を粟津ケン氏が紹介して下さりました。

「芸術は芸術からは生まれない。芸術をこえた生活のたたかいの中からこそ生まれる」

近年のBLACK LIVES MATTER運動など再び「民衆の力」が世界中で注目される世の中になりました。本講義では少し前の時代の話ではありますが、デザイン界に大きなインパクトをもたらした粟津潔についてご子息の粟津ケン氏と共に「民衆とデザイン」について現在進行形で考えるまたとない機会に恵まれました。ZOOMを通してのオンライン講義でしたが、パソコンの画面上でもそのデザインは強烈な印象を持った様子で、学生からは「この講義を通して、デザインは人間の生き方を教えてくれるものと知った」「今後の日本を見つめなおす機会になった」と言った感想コメントも寄せられました。

「民衆」ということばが日常では久しく見られないあるいは感じられないこの時代に、いかにこの世の中をデザインするのかを新たな世代に問いこの講義を終えました。正しく「デザインになにができるか」なのです。

(熊澤)

授業風景「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」落語鑑賞 [2021年02月05日(金)]

「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」の後期授業では、アクセントやイントネーション、間(ま)などを講義しています。
1月の授業では、落語家の林家きく麿師匠を講師に招き、落語を2席と落語の所作などについて説明してもらいました。

落語家の話し方は、いろいろな工夫がされていることを受講者は感じたようです。
落語は、聞く人がその話を頭の中に描きながら、聞くともっと楽しめます。
コロナ禍で、閉塞的な生活ですが、落語を聞いて、少し気分も晴れたのなら、それも良かったと思います。

以下、学生の感想です。

日本で成立して、現在まで伝承されている伝統的な話芸である落語を、画面越しとはいえ生で見ることができてとても貴重な機会でした。凝った衣装や大がかりな舞台装置は無く、噺家さんの小道具使いと話しの技巧と、私たち聴衆の想像力で物語の世界が広がっていく、というとてもシンプルな構成なのに面白い落語は素晴らしいなと感じました。また、登場人物が複数居ても誰が喋っているかがわかるように体の向きや仕草が変わるのがすごいなと思いました。泥棒の話はテンポが良く、魚や酒をつまむシーンはほんとうに食べているみたいで、話術だけじゃ無く魅せる技術もすごいのだなと感じました。

オンラインでもくすくす笑ってしまう面白いお噺でした。身振り、手ぶり、目線や声のトーンはもちろん、扇子、手ぬぐいが多用な役目を果たすことで、きいているといつの間にやら噺の世界に入り込んでしまう感じがします。また、噺の舞台は江戸が多いとおっしゃっていましたが、不思議と自分の想像に描いている江戸の情景が思い浮かびます。本物の江戸は知らなくてもまるで自分が江戸にいるかのような感覚になるのも不思議で落語の魅力の一つではないかなと感じました。今回のお話の一つに「てんしき」という言葉がでてきました。オチがすごく面白かったためその初めてきいた「転失気」について授業後調べると、転失気とは、おならを医学用語であらわしたものであるということを知りました。その他にもいくつか代表的な古典落語をきいてみたいと思いました。

落語は駄洒落に似ていると「小さな小鳥がことりと落ちてきました」という小咄から思いました。蕎麦や餅を食べるシーンでは実際に食べてるのではないかと錯覚してしまうほど、蕎麦のすすり方や餅の伸び具合が再現されていて魅了されました。声のトーンを絶妙に変えて役がはっきりと分かるように何役も演じられていましたが、私は履修した「朗読」の授業で一人で何役も演じて読むことの難しさを体感していたので感動しました。新作落語をどのように作るかという質問に、例えば立ち食いそばに行ったら暴走族がいるシーンを思い浮かべるというお話を聞き、奇想天外な発想が落語を生んでいると思い、落語の面白さを感じると同時に、もっと色々な落語を聞いてみたいと思いました。

Laura Emily Clark先生(クイーンズランド大学)特別講義 [2021年02月03日(水)]

<授業風景>

村上春樹など日本現代文学の研究者であるLaura Emily Clark(ローラ・エミリー・クラク)先生を招き、「日本文学Ⅱ(近代A)  中・短編小説を読む」(12月22日)内において特別授業を行った。
クイーンズランド大学人文科学学術院(オーストラリア)所属で、現在は昭和女子大学女性文化研究所の特別研究員でもあるクラク先生は、先述のように村上春樹作品などを対象に、ジェンダー表象の研究をされており、前期の同授業内でも、村田沙耶香「コンビニ人間」(「文学界」二〇一六・六)を講じている。

今回は、本谷有希子「哀しみのウェイトトレーニー」(初出は 「13の“アウトサイド”短篇集」(「群像」二〇一二・三)収載)を対象に、現代の〈ジェンダー〉〈身体〉〈婚姻関係〉をめぐって考察がなされた。
前期同様、受講生においても身近で、関心のあるテーマであり、強く興味を惹かれたようである。

クラク先生による基調講演後、受講生間で〈近現代の日本社会において、どのような身体が理想と見なされているか?〉〈作中に描かれている夫婦像は、「普通」か? 「奇妙」か?〉といったテーマでグループディスカッションが行われ、そこでも「グループワークで話し合ううちに見えてくるところも多く、楽しんで講義を受けることができた」「充実した話し合いができた」とあるように、活発な意見交換が為された。

授業後には興味深い声も多く聞かれた。一部を紹介したい。

本当の男女平等とは一体何なのか改めて考えさせられる内容になっていた。

一昔前と比べ、理想とする考えのイメージの幅は広がり、人それぞれの趣味趣向は異なっているという考え方が浸透しつつあるのではないか。つまり、少数の意見にも注目が為されるようになっているのではないか。

海外の価値観を通して日本文学を読むことでまた違った感じ方があることを改めて実感しました。自分で読んだだけではあまり違和感を抱けなかった箇所なので、クラーク先生の視点から講義していただけて非常に勉強になりました。

クラーク先生の授業は非常におもしろく、また新たな気づきが生まれるものになりました。私は物語を読んだ時、主人公の夫婦関係について奇妙だとは思いませんでした。主人公が気を使っていてかわいそうだとは思いましたが、そのような夫婦関係に特に疑問を抱かなかったのです。しかしジェンダーの観点から物語を見たとき、女性は男性に合わせるものであるという固定観念が働いていたことに気が付きました。ジェンダーの観点から物語を見られるようになったことから、この物語が書かれた意味、伝えたかったことが初めて見えたような気がします。

前回の授業とはまた別の視点から物語をとらえることができた。様々な資料や参考文献から研究結果などを参照し展開される講義は、本当に面白かった。また、日本と海外の方との感覚の差も少し浮き彫りになり、興味深かった。

クラーク先生のパワーポイントに「感情労働」というワードが出たときに、本作において結婚後の夫婦の親密性が損なわれているのは、「私」が労働しているからであり、「仕事」と「プライベート」で分けられるところが、「仕事」と「仕事」の組み合わせになってしまっているためと思った。本作の夫婦は、表面的には一般的な「普通」の形であるが、どちらか一方の自己が抑制されているような夫婦の関係性はやはり「奇妙」に思われた。

本作に、性別ごとの理想の身体が描かれているという視点は自分が読んだ時には持てなかった視点だったので面白かったです。人は誰しも普通とは何か、自分(自分らしさ)とは何かと常に考えながら生きていると思います。だからこそ、前期に扱った「コンビニ人間」と本作の主人公たちはある意味で周りに流されないかっこいい生き方をしているのだと思います。大抵の人は普通というものにのまれながら生活しています。だからこそ、私は両作品に惹かれて読んでしまうのだと思いました。

今回の授業でメトロセクシュアリティという言葉を初めて知った。これまでも様々な授業や本でジェンダーについて学んできたが、女性のことが中心であり、男性のジェンダーに関してあまり学んでこなかった。だが、女性の「女らしくなければならない」という抑圧を解決することは男性の「男らしくなければならない」という抑圧の解決にもつながることのように考えられた。

初めて悲しみのウェイトトレーニングを読んだとき、この話はウェイトトレーニングを通して、「私」が主体性を獲得する話だと思ったが授業を受けて、主体性を獲得する背景には女性らしい身体と一方での鍛え上げた女性らしくない身体というジェンダーの問題も関わっていることに気づいた。身体が変化していくわたしに向けられる客からの好奇心の目には、女性らしくなくなっていくことへの好奇の目であったのだと納得した。一方で、私は筋肉の目的を誰かに見せることではなく、自分のための筋肉としているが、それは厳密には違うのではないかと思った。私は女性らしくない身体を作り上げることで、夫との関係性にある女性らしい自分、ジェンダーの規範に従ったような自分を壊す目的があるのではないかとも考えた。

上記からも窺えるように、受講者が大いに刺激を受ける貴重な機会となった。今後もこのような場を積極的に設けていきたい。

(山田夏樹)

授業風景「サブカルチャー論B」北京郵電大学日本語科の学生と交流 [2020年12月24日(木)]

<授業風景>

こんにちは。日文の植松です。
今年から新しく開設された「サブカルチャー論B」の授業の1コマを紹介します。

サブカルチャー論Bは、アニメ・マンガを中心とするサブカルチャーを、近代文学・古典文学・日本語学・日本語教育の4名の教員がそれぞれの見地から読み解いていく科目です。
私の専門は日本語教育なので、日本語教育の中でサブカルチャーがどのように扱われるのか、海外の日本語学習者が日本のサブカルチャーをどのように見ているかを取り上げました。
私が担当した初回の授業では、北京郵電大学の日本語科3年生18名と担当教員にクラスのZoomに入室してもらい、授業交流を行いました。

海外で日本語を学ぶ同世代の学生が日本文化のどのような面に興味を持っているのか、リアルな声を聞くことができました。海外との交流に興味がある学生はもちろん、これまでそのような機会がなかった学生にとっても良い刺激となったようで、もっとじっくりと意見を聞いてみたかった!という声が多数聞かれました。中国の学生にとっても、日本語を使ってアカデミックな内容について意見交換ができる貴重な機会となったようです。来年度は、海外の複数の日本語教育機関と授業をつなぐことができたらいいなと考えています。

(植松容子)