授業風景

SWU×TUJ交流企画「狂言ワークショップ in online」を開催しました [2021年03月01日(月)]

<授業風景>

こんにちは。古典文学担当の山本です。

2月9日に開催した「狂言ワークショップ in online」についてご報告します。
この催しは、SWU(昭和女子大)とTUJ(テンプル大ジャパンキャンパス)との交流を目的として企画されたものです。昨年度に引き続き、和泉流狂言師の野口隆行氏を招いての狂言ワークショップを、対面とオンラインのハイブリッドで行いました。参加者は、SWUとTUJの学生25名(内、対面9名・オンライン16名)、教職員6名の31名でした。

前半は、SWUの学生2名が進行役で、SWUの学生が作成したクイズで、狂言の世界を紹介しました。
 

その後、まず「柿山伏」の前半の場面の実演、続いて狂言の喜怒哀楽の演技などを教えていただき、実際に体験しました。

ワークショップの最後には、「柿山伏」の場面で、参加者全員が柿主役となり、声をかけながら手拍子を打ち、それに合わせて山伏役の野口さんが木から落ちるところを演じてくださいました。どちらの参加者も共に楽しむことができる内容でした。実際に自ら声を出し、手足を動かすことで、狂言の演技についての理解が深められたのではないかと思います。

後半の狂言装束の着付け体験では、対面参加のTUJの学生さんがモデルとなりました。

各装束の解説を織り交ぜながら、手際よく着付けられる様に、参加者一同ただただ見入ってしまいました。
 

最後に「棒縛」で演じられる小舞(「暁」)を鑑賞して終了となりました。

参加した学生の感想を一部紹介します。

〈対面での参加学生から〉

◆私は今回、対面で参加し、笑いの演技も体験した。正直、この笑いはそれほど大変なものではないと思っていたのだが、なかなか息が続かず、狂言の演技の難しさを実感した。これを簡単そうに見せることで、幸せや楽しいという思いを伝えられるのだと考える。 実際に狂言師の方のお話や演技を間近で見ることで、生の狂言の素晴らしさを体感することができた。

◆今回の講座に参加して印象に残ったことがあります。それは、狂言というのは誰もが「楽しい」「面白い」と感じさせる日本の伝統芸能であるということです。最初は対面で参加した学生には緊張した雰囲気が漂っていましたが、狂言のクイズを行ったり、狂言師の野口さんが実際に演じている姿や道具を使って演じたりする姿を見て、徐々に笑顔が増え、楽しい時間になりました。

◆対面・オンライン双方向での開催は考えるべき点が多く、卒業前に貴重な経験をさせて頂きました。間近で同じ目線に立って頂くことで、踏みしめた時の振動や息遣いを五感で感じることができました。

〈オンラインでの参加学生から〉

◆ワークショップ全体を通して行われた野口隆行氏の演技では声の迫力はもちろん、教室が一瞬にして能楽堂の雰囲気になる様子を目の当たりにし、狂言を演じるうえでの力強さを感じた。今回のワークショップをきっかけに「能楽堂で実際に見てみたい」という気持ちがさらに強まった。

◆特に、実際に装束をつけるところが見られるというのはとても貴重な体験だったと思います。外からは見えないものも着ていて、実際には結構な重ね着をしていたというのは驚きでした。

◆今回のワークショップは狂言がどういうものなのか知る良い機会となった。装束の着方にも動きやすいように工夫がなされ、また感情を身体全体を使って表現していることが画面越しでも伝わってきて、とても面白かった。

◆狂言を身近に感じることができ、いろんな演目を見てみたいと思いました。画面を通してですが、狂言師の方の声を実際に聞き、小舞も見ることができて狂言に対しての興味が大変大きくなりました。

◆クイズ形式で解説と共に楽しみながら学ぶことにより、狂言についてさらに理解を深めることができた。

TUJの学生さんも感想を寄せてくださいました。

◆I didn’t know much about Kyogen so I really enjoyed the workshop. The staff and students was very friendly and the presentation was educational and entertaining.

◆I did decide to wear the kimono after all! Thank you very much, it was a wonderful experience for me. I would definitely like to attend more events in the future and would recommend to other TUJ students as well. Thank you again for this opportunity!

今回は、コミュニケーションスピーカーをつなぎ、複数のPCを用いてのオンライン中継でしたが、一部で音声が聞こえなかったという感想もあり、今後こうした講座を実施する上で参考にしていきたいと思います。

今回は両校の交流といっても、なかなか難しいところがありましたが、対面参加の学生たちは、前半と後半の僅かな休憩時間に歓談する様子が見られました。

今回寄せられた感想で何より嬉しかったのは、実際の舞台を見に行きたいというものでした。
オンラインはどのような場所でもつながる便利さはありますが、生の迫力は伝えきれません。コロナ禍の中、古典芸能に限らず、舞台芸術を取り巻く現状は厳しいものですが、様々な感染対策をして上演されるようになってきました。今回のワークショップが能楽堂へ足を運ぶきっかけになればと思います。

(山本晶子)

 

サブカルチャー論B「粟津潔 デザインになにができるか」 [2021年02月10日(水)]

<授業風景>

先月は2週に渡ってサブカルチャー論B内で「サブカルチャー=民衆のカルチャー」と訳し昭和の時代、常に「民衆」に向き合ってきた唯一無二のグラフィックデザイナー粟津潔の仕事について講義を行いました。ゲスト講師に粟津潔のご子息粟津ケン氏を迎えて対談形式で授業を進めていきました。
今回はこちらの講義のコーディネート兼司会を務めた熊澤から授業の概要を紹介します。

まずは、2019年に金沢21世紀美術館で開催された「粟津潔 デザインになにができるか」について展示の概要を簡単に説明していただき併せて粟津潔の生い立ちについても触れました。(粟津ケン氏は本展覧会の監修を務めています)1歳で父親を亡くし、戦争を経験したのちに焼野原で路地にロウ石で絵を描くなどゼロからの出発とも言える少年時代を過ごします。その後は、当時の山手線に朝から晩まで乗車し人々の様子をデッサンしながら独学で絵画を学び、20代前半で映画ポスターを描く仕事を得られるようになったのでした。
25歳の頃には、デザイナーとしての初期作品「海を返せ」が1955年日宣美展グランプリを受賞し、その作品を起点に原水爆禁止運動や反戦活動など「民衆のための」デザインを継続していきます。

粟津潔はあらゆるジャンルを越境していきます。映画・舞台・音楽コンサートのポスターのデザインから始まり、「環境」もデザインの対象であることを言及し、更には万博開発計画や黒川紀章が中心となった集団「メタボリズム」への参加など建築デザインにも携わり「環境デザイン」を実践していきました。

あらゆるジャンルを越境していく姿勢は、このデザイナーが持つ強い好奇心が起因しています。
影響を受けたアーティストは、リトアニア生まれの画家ベン・シャーンを始めスペインのガウディ、バウハウスの時代を代表するパウル・クレーやカンディンスキー、北斎・英泉・芳年など江戸時代を代表する絵師と、あらゆる時代や国境を越えた人物たちです。

またブックデザインの仕事については、その本の内容を深く探求することで雑学になり、多くの影響を受け「ブックデザインはデザインの神様であり、ご本尊である」と粟津潔自身が語っています。詩集・小説・民話集・絵本などあらゆる種類の本の装丁を手がけ、「季刊FILM」や「デザイン批評」などでは編集にも携わりました。

同時代の人物との協働も多くありました。寺山修司とは詩集の装丁から始まり、映画・舞台のポスター更には映画の舞台美術デザイン、主催する劇団天井桟敷が所有する劇場「天井桟敷館」の建築デザインまで多くの仕事を共にしていきました。他には詩人・批評家の富岡多恵子、映画監督の勅使河原宏・篠田正浩まで様々な分野の才能との仕事を重ねていきます。

晩年は象形文字に魅せられ、毎朝書写を練習する日々を過ごし日本の文字文化に深く傾倒していきました。
80年代は絵画・版画も描き始めます。それまでに写真も多く撮り溜め、自ら映画監督を務めるなどあらゆる媒体と親しみながらその創作活動の幅を広げていきました。その広大な視野はデザインを通した宇宙とも言えます。

粟津潔の周りには常にことばの力が潜んでいました。それは人との会話から出てくるものであり、詩であり、映画のセリフであり、街頭のポスターのキャッチコピーと様々に形を変え現れました。最後に、粟津潔と同時代を生きた美術評論家の針生一郎氏が残した一言を粟津ケン氏が紹介して下さりました。

「芸術は芸術からは生まれない。芸術をこえた生活のたたかいの中からこそ生まれる」

近年のBLACK LIVES MATTER運動など再び「民衆の力」が世界中で注目される世の中になりました。本講義では少し前の時代の話ではありますが、デザイン界に大きなインパクトをもたらした粟津潔についてご子息の粟津ケン氏と共に「民衆とデザイン」について現在進行形で考えるまたとない機会に恵まれました。ZOOMを通してのオンライン講義でしたが、パソコンの画面上でもそのデザインは強烈な印象を持った様子で、学生からは「この講義を通して、デザインは人間の生き方を教えてくれるものと知った」「今後の日本を見つめなおす機会になった」と言った感想コメントも寄せられました。

「民衆」ということばが日常では久しく見られないあるいは感じられないこの時代に、いかにこの世の中をデザインするのかを新たな世代に問いこの講義を終えました。正しく「デザインになにができるか」なのです。

(熊澤)

授業風景「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」落語鑑賞 [2021年02月05日(金)]

「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」の後期授業では、アクセントやイントネーション、間(ま)などを講義しています。
1月の授業では、落語家の林家きく麿師匠を講師に招き、落語を2席と落語の所作などについて説明してもらいました。

落語家の話し方は、いろいろな工夫がされていることを受講者は感じたようです。
落語は、聞く人がその話を頭の中に描きながら、聞くともっと楽しめます。
コロナ禍で、閉塞的な生活ですが、落語を聞いて、少し気分も晴れたのなら、それも良かったと思います。

以下、学生の感想です。

日本で成立して、現在まで伝承されている伝統的な話芸である落語を、画面越しとはいえ生で見ることができてとても貴重な機会でした。凝った衣装や大がかりな舞台装置は無く、噺家さんの小道具使いと話しの技巧と、私たち聴衆の想像力で物語の世界が広がっていく、というとてもシンプルな構成なのに面白い落語は素晴らしいなと感じました。また、登場人物が複数居ても誰が喋っているかがわかるように体の向きや仕草が変わるのがすごいなと思いました。泥棒の話はテンポが良く、魚や酒をつまむシーンはほんとうに食べているみたいで、話術だけじゃ無く魅せる技術もすごいのだなと感じました。

オンラインでもくすくす笑ってしまう面白いお噺でした。身振り、手ぶり、目線や声のトーンはもちろん、扇子、手ぬぐいが多用な役目を果たすことで、きいているといつの間にやら噺の世界に入り込んでしまう感じがします。また、噺の舞台は江戸が多いとおっしゃっていましたが、不思議と自分の想像に描いている江戸の情景が思い浮かびます。本物の江戸は知らなくてもまるで自分が江戸にいるかのような感覚になるのも不思議で落語の魅力の一つではないかなと感じました。今回のお話の一つに「てんしき」という言葉がでてきました。オチがすごく面白かったためその初めてきいた「転失気」について授業後調べると、転失気とは、おならを医学用語であらわしたものであるということを知りました。その他にもいくつか代表的な古典落語をきいてみたいと思いました。

落語は駄洒落に似ていると「小さな小鳥がことりと落ちてきました」という小咄から思いました。蕎麦や餅を食べるシーンでは実際に食べてるのではないかと錯覚してしまうほど、蕎麦のすすり方や餅の伸び具合が再現されていて魅了されました。声のトーンを絶妙に変えて役がはっきりと分かるように何役も演じられていましたが、私は履修した「朗読」の授業で一人で何役も演じて読むことの難しさを体感していたので感動しました。新作落語をどのように作るかという質問に、例えば立ち食いそばに行ったら暴走族がいるシーンを思い浮かべるというお話を聞き、奇想天外な発想が落語を生んでいると思い、落語の面白さを感じると同時に、もっと色々な落語を聞いてみたいと思いました。

Laura Emily Clark先生(クイーンズランド大学)特別講義 [2021年02月03日(水)]

<授業風景>

村上春樹など日本現代文学の研究者であるLaura Emily Clark(ローラ・エミリー・クラク)先生を招き、「日本文学Ⅱ(近代A)  中・短編小説を読む」(12月22日)内において特別授業を行った。
クイーンズランド大学人文科学学術院(オーストラリア)所属で、現在は昭和女子大学女性文化研究所の特別研究員でもあるクラク先生は、先述のように村上春樹作品などを対象に、ジェンダー表象の研究をされており、前期の同授業内でも、村田沙耶香「コンビニ人間」(「文学界」二〇一六・六)を講じている。

今回は、本谷有希子「哀しみのウェイトトレーニー」(初出は 「13の“アウトサイド”短篇集」(「群像」二〇一二・三)収載)を対象に、現代の〈ジェンダー〉〈身体〉〈婚姻関係〉をめぐって考察がなされた。
前期同様、受講生においても身近で、関心のあるテーマであり、強く興味を惹かれたようである。

クラク先生による基調講演後、受講生間で〈近現代の日本社会において、どのような身体が理想と見なされているか?〉〈作中に描かれている夫婦像は、「普通」か? 「奇妙」か?〉といったテーマでグループディスカッションが行われ、そこでも「グループワークで話し合ううちに見えてくるところも多く、楽しんで講義を受けることができた」「充実した話し合いができた」とあるように、活発な意見交換が為された。

授業後には興味深い声も多く聞かれた。一部を紹介したい。

本当の男女平等とは一体何なのか改めて考えさせられる内容になっていた。

一昔前と比べ、理想とする考えのイメージの幅は広がり、人それぞれの趣味趣向は異なっているという考え方が浸透しつつあるのではないか。つまり、少数の意見にも注目が為されるようになっているのではないか。

海外の価値観を通して日本文学を読むことでまた違った感じ方があることを改めて実感しました。自分で読んだだけではあまり違和感を抱けなかった箇所なので、クラーク先生の視点から講義していただけて非常に勉強になりました。

クラーク先生の授業は非常におもしろく、また新たな気づきが生まれるものになりました。私は物語を読んだ時、主人公の夫婦関係について奇妙だとは思いませんでした。主人公が気を使っていてかわいそうだとは思いましたが、そのような夫婦関係に特に疑問を抱かなかったのです。しかしジェンダーの観点から物語を見たとき、女性は男性に合わせるものであるという固定観念が働いていたことに気が付きました。ジェンダーの観点から物語を見られるようになったことから、この物語が書かれた意味、伝えたかったことが初めて見えたような気がします。

前回の授業とはまた別の視点から物語をとらえることができた。様々な資料や参考文献から研究結果などを参照し展開される講義は、本当に面白かった。また、日本と海外の方との感覚の差も少し浮き彫りになり、興味深かった。

クラーク先生のパワーポイントに「感情労働」というワードが出たときに、本作において結婚後の夫婦の親密性が損なわれているのは、「私」が労働しているからであり、「仕事」と「プライベート」で分けられるところが、「仕事」と「仕事」の組み合わせになってしまっているためと思った。本作の夫婦は、表面的には一般的な「普通」の形であるが、どちらか一方の自己が抑制されているような夫婦の関係性はやはり「奇妙」に思われた。

本作に、性別ごとの理想の身体が描かれているという視点は自分が読んだ時には持てなかった視点だったので面白かったです。人は誰しも普通とは何か、自分(自分らしさ)とは何かと常に考えながら生きていると思います。だからこそ、前期に扱った「コンビニ人間」と本作の主人公たちはある意味で周りに流されないかっこいい生き方をしているのだと思います。大抵の人は普通というものにのまれながら生活しています。だからこそ、私は両作品に惹かれて読んでしまうのだと思いました。

今回の授業でメトロセクシュアリティという言葉を初めて知った。これまでも様々な授業や本でジェンダーについて学んできたが、女性のことが中心であり、男性のジェンダーに関してあまり学んでこなかった。だが、女性の「女らしくなければならない」という抑圧を解決することは男性の「男らしくなければならない」という抑圧の解決にもつながることのように考えられた。

初めて悲しみのウェイトトレーニングを読んだとき、この話はウェイトトレーニングを通して、「私」が主体性を獲得する話だと思ったが授業を受けて、主体性を獲得する背景には女性らしい身体と一方での鍛え上げた女性らしくない身体というジェンダーの問題も関わっていることに気づいた。身体が変化していくわたしに向けられる客からの好奇心の目には、女性らしくなくなっていくことへの好奇の目であったのだと納得した。一方で、私は筋肉の目的を誰かに見せることではなく、自分のための筋肉としているが、それは厳密には違うのではないかと思った。私は女性らしくない身体を作り上げることで、夫との関係性にある女性らしい自分、ジェンダーの規範に従ったような自分を壊す目的があるのではないかとも考えた。

上記からも窺えるように、受講者が大いに刺激を受ける貴重な機会となった。今後もこのような場を積極的に設けていきたい。

(山田夏樹)

授業風景「サブカルチャー論B」北京郵電大学日本語科の学生と交流 [2020年12月24日(木)]

<授業風景>

こんにちは。日文の植松です。
今年から新しく開設された「サブカルチャー論B」の授業の1コマを紹介します。

サブカルチャー論Bは、アニメ・マンガを中心とするサブカルチャーを、近代文学・古典文学・日本語学・日本語教育の4名の教員がそれぞれの見地から読み解いていく科目です。
私の専門は日本語教育なので、日本語教育の中でサブカルチャーがどのように扱われるのか、海外の日本語学習者が日本のサブカルチャーをどのように見ているかを取り上げました。
私が担当した初回の授業では、北京郵電大学の日本語科3年生18名と担当教員にクラスのZoomに入室してもらい、授業交流を行いました。

海外で日本語を学ぶ同世代の学生が日本文化のどのような面に興味を持っているのか、リアルな声を聞くことができました。海外との交流に興味がある学生はもちろん、これまでそのような機会がなかった学生にとっても良い刺激となったようで、もっとじっくりと意見を聞いてみたかった!という声が多数聞かれました。中国の学生にとっても、日本語を使ってアカデミックな内容について意見交換ができる貴重な機会となったようです。来年度は、海外の複数の日本語教育機関と授業をつなぐことができたらいいなと考えています。

(植松容子)

「動画授業」と「私」 [2020年10月20日(火)]

〈授業風景〉

2020年4月、アナログな私が、なんと「動画による授業」を開始。「えっ、youtube?」と私を知る学生・仲間・友人からは、驚きの悲鳴。かつて大学時代、情報処理の教授曰はく「わからない、という学生の一番ヘビーな状況は、君をみていたら、わかる!」。また、あるとき、新たな職場で、初めてのPCを前に、ぼーっとしている私に、同僚が一言「何か、かなしいことがあったの?」「PCが動かないんです!」電源位置がわからず固まる私に、みんな愕然。そんなアナログ人間が、「動画授業」を開始すると決めたのですから、それからの物語はご想像どおり、てんやわんや、しっちゃかめっちゃか、ザ・カオス。ですが、《Heaven helps those who help themselves.》(天は自ら助くる者を助く)高校時代に英語で暗記した、あのことわざ通り、救世主(Mr.yururi)が登場し、動画作成のイロハを伝授くださったのです。教わった「loom」機能をつかうと、「すごいっ!」パワポの一部に顔をのぞかせる、TVでよく見るあの「ワイプ」で私が登場できる!願ったり叶ったりの「動画授業」つくりが、「師匠」の助けによりスタートしたのです。

教職科目に加え、国語科教育法、創作論とバラエティに富んだ授業を担当する故に、毎回のトピック探しに、四苦八苦。授業の入りは、ウォーミングアップ、そこから、だんだんカラダをあたためて、今日のメインワークに突入、そして、リフレクションタイム。対面授業とプロセスは変わらずですが、動画故に、より面白く、ワクワク、夢中になれる「素材」探しが「動画授業」つくりの肝となったのです。「自転車操業」という言葉どおり、毎日、「知る」「想う」「創る」「動く」4ステップを繰り返しながらの「動画授業つくり」の日々です。

そんな動画を視聴した学生たちのコメントを少しご紹介しましょう。「先生が、私のために語ってくれているようで、思わず、聞かれると返事をしたりで、対面授業をうけているより、もっと、先生と密に話をしているような気がします」「グループワークができないのは、ちょっと、さびしいけれど、具体的に、手を動かし、頭を動かし、言葉を発して、動画の先生と対話をしてるので、違和感はありません。わからないところ、もう一度聞きたいところを、何度も繰り返してみられることは、動画の良さだなあって思います」「直接先生に質問したり、相談したりできないのは、さびしいけれど、ちゃんと考えてあれこれ聞きたいことを文章にする中で、自分の頭の中が整理されていくような気がします。毎回、質問にちゃんと先生がこたえてくださるし、ミッションにも、いろいろなコメントをくださるので、次はもっとこれを調べて挑戦してみようと、学ぶことがとっても楽しくなってきました」

「知る」「想う」「創る」「動く」4ステップ「動画授業つくり」を続ける中、今、私は日々こんなことを思っているのです。「つねに、学生の立場で考えよう」「授業をデザインする力をつけよう」「新たなものにハッと気づく、そんな感性を磨き続けよう」と。

(S・A)

日向の高千穂に思いを馳せて [2020年07月14日(火)]

〈授業風景〉

今年は日本書紀編纂1300年にあたります。
古事記学会は神話のゆかりの地宮崎県で大会を開催する予定でした。
新型コロナウイルス禍により、どの学会も活動が大きく制限され、
記念の学会もやむを得ず延期となりました。

前期は授業がオンラインで実施され、受講している学生さんたちに共有資料を提示しながら、
講義の内容が伝わっているのか不安に駆られつつ、神話に興味をもってくれるとよいなあと
思いながら国生みから日向神話まで読み進めています。

学会出張の折に、今年こそ天孫降臨の舞台、高千穂に登ろうと楽しみにしていました。
2012年のゼミ旅行で宮崎・鹿児島県に出かけた折、
霧島連山の入場規制により登ることが出来なかったのです。
残念ながら今回も目的を果たすことは出来ませんでした。
2012年の写真を見ると、高千穂には少し雲がかかっています。

「天の八重のたな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、・・・
竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降り坐しき。」と記されるのは、
古代人の神話的想像力のなせる記述かもしれません。けれども、神話の故地に立ち、
その風景の中に身を置くと神話の時空に誘われるような気がします。
  

地元では小学生が遠足に高千穂に登ると聞きました。
卒業したゼミ生の顔を思い浮かべながら、 コロナ禍が終息したら2時間半をかけて、
高千穂に登るぞと決意を新たにしました。 授業で神話を講ずる旅はまだしばらく続きます。

(KR)

授業風景「中古文学ゼミ」源氏絵貼交屏風 [2020年03月11日(水)]

〈授業風景〉

令和最初の年末に、図書館で大型古典作品として購入された六曲一双の「源氏絵貼交屏風」を観覧し、王朝の雅な世界に魅せられました。屏風には豪華な金地に小型源氏絵(約15×13cm)四枚と五枚を交互に配して、六曲一双で、ちょうど『源氏物語』五十四帖から各一図、金銀泥彩色画面の源氏絵五十四枚が貼られています。
このような小画面源氏絵屏風は多くの場合、物語の順序を追って貼り付けられるが、本図書館の屏風は、物語の順に配される場合とそうでない場合があります。例えば、右隻第一扇はまさに「桐壷」「帚木」「空蝉」「夕顔」と並べられていますが、第二扇も「若紫」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」「葵」の順につづくはずですが、「若紫」と「紅葉賀」の間に「末摘花」の代りに、「玉鬘」衣配りの場面が挿入されています。また、第四扇には「匂兵部卿」「紅梅」「竹河」、いわゆる「匂宮」三帖が挟まれており、第五扇と第六扇には殆ど宇治十帖で占められているなど、興味深い場面配置を見せています。
五十四帖にも及ぶ長大な物語のなかから、画家がどの場面を選び、文字による情景描写がどのように視覚化されたのか、画面構成と人物描写はもちろん、屏風における場面配置の意図にも画家の様々な思いが込められているはずです。その思いを読み解くのが中古文学ゼミ最大の楽しみとなっています。
(S.H)

中古文学ゼミでは、各自源氏絵を一場面取り上げ、描かれているものを読み解く研究を行っています。まず場面に該当する原文を探し出して精読し、その上で源氏絵の解釈に移ります。源氏絵に描かれているものは本文で語られていることと全て一致するわけではありません。本文に描写があるのに絵に描かれていないもの、という問題がゼミ内で多数ありました。結論から言うと、絵師がわざと描かなかったという解釈に至ったのですが、なぜ描かなかったかを考える時間はとても充実していました。当時の人々にとっては場面を見ればわかることや、暗示させるもののみが描かれていたことに気付いた時、あらためて源氏物語の情趣と源氏絵の奥深さを実感しました。(T.I)

絵を通しての研究は、本文から研究していくよりもその場面においての重要な事柄が見えやすいところがあり、研究をしていて大変面白く感じました。また、同じ場面を描いた源氏絵と比べてみると、人物の配置が左右逆にするなど構図が違うものや、描かれている花の種類が異なったりするところからは、描き手の源氏物語に対する解釈の違いなどが読み取れるところも大変興味深く感じました。大学の図書館で、実際に私達の課題であった屏風絵も見ることができたのは、大変貴重な機会であったと共に、絵の貼り方、貼られている順番について考えることができ、より深い学びへと繋がりました。(H.N)

日文新春落語会~林家きく麿師匠をお迎えして~ [2020年02月05日(水)]

〈授業風景〉

日文の開講科目「日本語学入門A・B」の授業で
落語家の林家きく麿師匠をお迎えし、「日文新春落語会」が開催されました。

これまでに落語を聞いたことがあるという学生はたくさんいたものの
実際に寄席に出かけたことがあるという人はほとんどいません。

今回は、TUJの学生の参加もあり、「初天神」「時そば」の二席を共に楽しみました。

教室につくられた即席高座を目の前に
皆、きく麿師匠の語りに知らず知らずのうちに引き込まれていきました!

以下、参加した学生の感想です。

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*私たちの反応を見て素早く対応して話してくださったのがすごいと思いました。教室中が一体となって笑い、夢中になって聞いていた様子が印象に残っています。また機会があったら自分でチケットを取って行ってみたいです。

*間の取り方や、人物のキャラクター付け、そばのすすり方、、、以前聞いた「時そば」と大分違う点があり感心しました。様々な人の同じ演目を集めて違いを分析などしてみたら、師匠の教えなどがわかって楽しそうだと思いました。

*聞く人に笑ってもらう、すなわち面白く話をするということは私たちが想像している以上に難しいことだと知りました。何気なく聞いていて複数の登場人物が出てきても、違和感なく話の展開についていくのに多くの工夫がされているのだと感じました。落語はもちろん、他の古典芸能でも間は重要であり、間は日々の鍛錬や経験によって身につくものだということを感じました。これを機に古典芸能の奥深さに触れる機会を増やそうと思いました。

*「時そば」は昔何度も見たものだったのですが、久しぶりに見てオチがわかっていてもやっぱり面白いものだなと感じました。子ども心ながらに、なんで2人目の人はもっと遅い時間にしなかったんだろうと思ったりもしていましたが、そういう少し抜けた人間味のある登場人物や「初天神」の子どものようなちょっとずる賢い人がいるから面白いのかなと思いました。

*きく麿師匠は、自分が見えない語りがよい語りであり背景と同化するのがよいと話していましたが、私は一つ目の話はすぐに親子が、二つ目は蕎麦屋と男性が思い浮かんだので、きく麿さんの良い語りが見えてきけたので大満足でした。

*質問の時間に、きく麿師匠がおっしゃっていた「笑わせようとすると自分が出てきてしまう」というのが印象に残りました。私が大好きな漫才、コントにも当てはまる部分があると思い、深い世界だと思いました。

*世間話のようなお話が始まると、話の節々で笑いが起き、お笑いのような「笑わせてやろう」と身構える笑い話とは違い、リラックスして聞くことができました。世間話から物語に入っていく入りが流れるようで、噺家さんの影がすーっと薄くなっていくのを体感して不思議な気分になりました。

*「初天神」で、親よりも子供の声が高く、無邪気で、細かなところまで伝わってきてすごいと思いました。子供が飴玉を口の中で転がしている様子や、親が団子の密をなめている様子は本当に目の前に本物があるのではないかと錯覚してしまうほど、言葉の調子や体の一部を使用した表現が上手でした。

*一人でたくさんの役をこなすうえで、誰がしゃべっているのかを客にわかってもらうための様々な技巧が見えました。例えば幼い子が話してるときは指を組んでもじもじしながら舌足らずで話すなど、話している人は同じでも、話し方、体の動きを変えるだけで全く印象が違って見えることに驚きました。

*私は落語を難しいものだと思い込み、毛嫌いしていたのですが、ストーリーが面白く、つい真剣に聞いてしまいました。食べず嫌いのものが本当に単なる食べず嫌いだったときと同じ感覚です。落語について説明をしていたのに突然ストーリーが始まっている現象、切り替えの早さに驚き、聞いている側は油断できないと思いました。人を自分の話に吸い寄せる力が私にもあればいいのにと思ってしまいました。

*今回の落語はどちらも内容は江戸時代あたりの出来事を描いており、出てくる基本的な言葉や口調に時代がにじみ出ていたと同時に、明らかに現代の言葉でアレンジされている部分も存在していて面白いなと思いました。

*扇子一つが箸になったりおいしい水あめになったり、見ていて錯覚を起こしそうになりました。小さな子がお父さんに一生懸命おねだりをする姿が、落語家さんを通して浮かんできました。子が父に話しかけるとき、父が子に話しかけるとき、父が店主に話しかけるときで顔の方向が決まっていたり、扇子をところどころ活用したりと、じっくり見ると気づくことが多くありました。そばをすする咀嚼音は上手すぎて苦手なくらいでした。噺の後にうかがったように、弟子、師匠という関係を大事にしているこの芸能はすごく面白くて、これからも残されていくべきものであると強く感じました。

*落語家を目指してから一体何杯のそばを食べたのだろうか。落語を見終わった後、ただただそばをすする動作のリアリティに驚かされました。一体舌をどう動かしたらまるで口の中にそばがあるかのようにすすることができるのか気になり、正面の席に座れなかったことを後悔しました。

*落語会のあと、「初天神」の台本をネットで検索して読んでみました。落語を聞いた時は面白かったのに、台本を読んだだけでは面白味を感じませんでした。そんなことからも噺家さんはすごいと感じました。

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落語のあとも、TUJの学生も含めたくさんの学生からきく麿師匠への質問が飛び交い、
皆が落語に魅了された大変充実した時間になりました。

林家きく麿師匠、ありがとうございました!

(IR)

授業風景「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」柳家小せん師匠をお迎えして [2020年01月16日(木)]

〈授業風景〉

日文の開講科目「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」に
特別講師として落語家の柳家小せん師匠をお招きしました。

まず初めに、落語ならではの日本語の表現や
道具や所作について説明を受けます。

その後、実際に
演目「御神酒徳利(おみきどっくり)」をききました。
(この日はいつもの教室が即席の高座に早変わり!!!)

以下、学生達の感想です。

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落語のすごいなと思うところは、一切聞いたことのない、登場人物の説明もない話でも、聞いているうちにすぐ理解できるところだと思いました。目線の使い分けや仕草が本当に細かくて、聞くだけでなく見ているのもこんなに面白いんだと思いました。くすっと笑えるところが多くて、気づいたら夢中になっていました!話すスピードが絶妙で、文章量がある分、ある程度早く喋っているのに、間がしっかりあるから聞きやすかったり、抑揚があるので一語一語聞こえるものだなぁと思いました。

扇子をはしに見立ててそばを食べる仕草は拝見したことがありましたが、扇子と手ぬぐいを両方使って手紙を書く仕草や扇子でたばこを表現しているのは初めて見たのでとても興味深かったです。衣装などは同じであるのに、言葉遣いや体の角度、動かし方で老若男女や職人、侍などを演じ分けていて感動しました。

話の切れ目がないのに、誰が話しているのか、今どのような状況なのかを説明しているのかの区別がわかりやすく、すらすらと頭に入ってきたことに感動した。性別だけでなく、身分の違いまで分かった。お客さんとの共同作業といわれるように、風景・情景などを想像しながら聞くことができ、絵本を読んでいるかのようだった。途中、会話の場面で相手が相づちしているかのように話していて、聞いている自分の中で会話を作っているかのようでした。

噺家さんは一人なのに、たくさんの登場人物を演じ分けていて、それが見ていながら不思議と伝わってきて目の前に何人もの人がいるようでした。また、扇子と手ぬぐいを使った仕草がとても興味深く、特にそろばんをはじくシーンは持っているものと聞こえる音がそろばんにしか思えませんでした。テンポの良い掛け合いも好きだけど、その中に時折ある“ポーズ”の部分でぐっと引き込まれる感じがしました。話し方、伝え方、そして日本語の面白さをたくさん見せていただいた貴重な時間でした。

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学生たちは実際に間近で落語をきき、
話し方だけでなく、表情や仕草、音の効果や間の取り方などの大切さを肌で感じ、
一気にお話の世界に引き込まれていたようでした。

そして、他の落語もききに行ってみたい!という学生の声も多く聞こえました。
寄席というと何となく敷居が高いイメージがありますが、
今はカジュアルに楽しめる場所も色々あるようですので、
これをきっかけに思い切って足を運んでみるのもいいかもしれません。

柳家小せん師匠、貴重な経験をありがとうございました!

(IR)