仏教文化史を担当している関口静雄です。わたしの日曜日は骨董市。富岡八幡・靖国神社・新宿花園神社がお決まりで、足を延ばして新井薬師や高幡不動にも出かけます。場所がら花園や靖国では女子大生や女子高生の姿をよく見かけます。
先だって200円で手に入れた平泉の中尊寺が出した藕絲子育(ぐうしこそだて)観世音菩薩のお札です。大隈重信の母三井子〈みいこ〉が77歳のとき、藕絲子育観音を中尊寺に奉納したので、それを記念して出されたお札です。
息子重信の42歳の厄除け祈願に、三井子は上野不忍池をはじめ諸所の蓮池から蓮茎を集め、近親や侍女とともに藕絲(蓮糸)を取り出して紡ぎ、京都西陣で織らせて蓮布とし、これに子育観音を描いたものを、皇室はじめ著名な神社仏閣に奉納しました。10年ほどの歳月がかかりました。中尊寺に奉納したのは明治15年(1842)のことで、重信44歳、東京専門学校(早稲田大学)を開校した年でした。
母親の愛情をたっぷり受けて育った子は迷いのない人生を送る人が多いといわれますが、重信もその一人だったに相違ありません。
骨董市に出かけてみませんか。
先だって200円で手に入れた平泉の中尊寺が出した藕絲子育(ぐうしこそだて)観世音菩薩のお札です。大隈重信の母三井子〈みいこ〉が77歳のとき、藕絲子育観音を中尊寺に奉納したので、それを記念して出されたお札です。
息子重信の42歳の厄除け祈願に、三井子は上野不忍池をはじめ諸所の蓮池から蓮茎を集め、近親や侍女とともに藕絲(蓮糸)を取り出して紡ぎ、京都西陣で織らせて蓮布とし、これに子育観音を描いたものを、皇室はじめ著名な神社仏閣に奉納しました。10年ほどの歳月がかかりました。中尊寺に奉納したのは明治15年(1842)のことで、重信44歳、東京専門学校(早稲田大学)を開校した年でした。
母親の愛情をたっぷり受けて育った子は迷いのない人生を送る人が多いといわれますが、重信もその一人だったに相違ありません。
骨董市に出かけてみませんか。