古代エジプトの勉強をしている吉成です。就職関係の委員をやっているので、最近考えていることを少し述べたいと思います。
大学時代の恩師がある時「自分は好きなことをずっと続けられ、それを職業にすることが出来て、幸せだ。」とおっしゃられたことがあった。私も大学時代から勉強を始めたエジプト学とずっと関わって来て、大学の教員になって、授業では古代エジプトの文字や歴史を語っているわけだから、きっと幸せ者なのだろう。大学で歴史や文化の勉強をしたいと考えている皆さんは、きっとずっと勉強を続ければ、その知識を生かす仕事に就ける筈だと信じて受験しているのではないかと思う。でも現実はなかなか厳しく、研究者をして生きるためには大学院で学問的訓練を受け、必死で勉強を続けることが条件となる。でも大学院を修了したからと言って皆が教員や研究を日常的に続けられる職業、例えば博物館学芸員や研究施設の研究員になれるとは限らない。そうした職業に欠員が生じ、募集がかかることはまれなことだからである。私も現在の職に就けたのは偶然が重なったおかげだと思っている。大学院時代の仲間でも教職に就けた者は少数で多くが生活のために一般企業などに職を求める状況になっていたと思う。昭和女子大学の歴史文化学科でも毎年の卒業生の9割が一見、大学時代の勉強とは無関係の一般企業に就職している。大学時代の勉強が無駄になった、あるいは役に立たなかったということなのだろうか。その辺を少し考えてみたい。
知識ということにこだわるとそういう見方になるのだろう。つまり大学時代に覚えた歴史上の事件の経過や人間関係についての知識がそのまま生きる様な場を考えたら、研究職か教職しか思い浮かばないであろう。大学で学ぶのは知識だけではないという認識が必要だ。歴史は人間が作ったものだから歴史を知ることは人間に対する知恵、洞察力を獲得することと考えてみたらどうだろう。学問的訓練から冷静な客観的な物の見方が身につき、単なる好き嫌いの感情だけで軽率に行動しない習慣が獲得されると考えよう。そうした力を社会で充分に生かそうと思えば、研究職のような自分のペースだけでやって行ける様な職業より、人々の間で十分な観察と洞察を駆使し自分の長所を生かしてまわりの人達に快適な気持ちを持たせることができる職業の方がやりがいがあると考えられよう。一般企業に就職することを否定的にイメージすることはない。どこに行っても歴史文化の勉強で得たものは生き、強みになると考えて、自分の人生を前向きにとらえ、大切に生きて行こうではないですか。