教職員送別会が開かれました

2月18日卒論発表会のあと、今年度で退職なさる教職員の送別会を開きました。学生のみなさんと残る教職員から「ありがとう」の大きな拍手が送られましたよ。当日の模様をお伝えいたします。
まずは学科長の木下先生から、お辞めになる江中里子先生と石井寛子助手に向けて、感謝のことばが述べられました。

【木下先生】みなさん驚くかも知れませんが、江中先生は34年間もこの大学で教えてらしたんですよ。私が入った時にはすでにいらして、大先輩でした。縁あって歴文にいらっしゃることになり、フランス文化をご担当いただくことになりました。不思議なもので江中先生はある時から年を取らなくなりました(一同笑)。ただ、それでも順繰りに順番はやってくるものでありまして、この度ご定年ということになりました。
学生のみなさまと馴染みの深い助手の石井さんは10年間お勤めいただきました。(歴文出身の)石井さんは学生時代からたいへん目立つ学生さんでして、学寮でもクラス委員として大活躍なさっていた姿を思い出します。助手になられてからも、なんでもできる人でありまして、ラテン気質で短気な私とは違って(一同笑)、いつも冷静に物事を対処する、スーパーな人でありました。
それではお二方にご挨拶をお願いいたします。
【江中先生】34年前、最初は、フランス語教育をやってくださいといわれて、この大学に参りました。昨年お辞めになった山本博也先生とご一緒のときでした。私がこの大学に来た時には、英語は必修、あとはドイツ語とフランス語しかありませんでした。4年制大学のほうには4つしか学科がなかったんですよ。昭和に入ってからは、どうやったらフランス語教育を根づかせることができるか一生懸命考え、6年経ったときに外国語科を作っていただき、そちらで長らく語学教育をやっておりました。それが11年前に学科編制がかわり、縁あって歴史文化学科に来て、フランス文化を担当することになりました。私はフランス文学専攻といっても最右翼で、もともと言語学よりの修辞学などをやって参りましたので、歴文にくると決まった時には「文化ってなんだ~?」というこ とで、本を山ほど集めて読んで、準備したことを覚えています。昭和での最後の11年を歴史文化学科で過ごせたことはとても幸せでした。ありがとうございました。ではみなさま、ちょっとお先に天国のほうへ、階段を登らせていただきます(一同笑)。
【石井助手】先生方からおほめの言葉をいただきまして、たいへん恐縮しております。10年間働いてみて色々ありましたが、人とのつながりということをよく考えました。同級生とのつながり、先生方とのつながり、助手のみなさんとのつながり、そして学生のみなさんとのつながり、人脈が大きく広がった10年間でありました。学生のみなさん、一緒に学んだ仲間というのは長く、それこそ一生続いていくつながりですので、大事にしていってくださいね!
そして花束贈呈!
学生や卒業生のみなさんには、江中先生にフランス語をビシバシと鍛えられた方、かなりいらっしゃるんじゃないでしょうか。私からいたしますと、「女性がまっすぐに生きる道」というものをドライな口調で学生に語りつつ、自ら体現なさっている、とてもカッコいい先生です。
埴輪エプロンがトレードマークの石井さんには、助手さんとしてはもちろんですが、考古学の大先輩として発掘調査などでお世話になった歴文生や卒業生も多いんじゃないかな。木下先生もおっしゃっていますが、学科でなにか仕事をするときに、石井さんがバックアップに入って下さったときの安心感は格別のものがありまして、私も着任以来とてもお世話になりました。
江中先生も、石井さんも、まだまだおつきあいさせていただきたくと思っておりますが、ひとまずの区切りとして、長い間本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします。
(松田忍)