こんにちは。西洋史の小野寺です。
春休み、みなさんはどんな日々を送っていましたか?
外国に行ってみたり、バイトをしてみたり、普段なかなか読めなかった本を読んだり、思い思いの日々を過ごしたことと思います。
みなさんが思い思いに羽を伸ばしているそんな時期に私は何をしていたかというと、数日間ドイツのベルリンに行っていました。
観光旅行、ではもちろんありません!
フンボルト大学で行われたある国際ワークショップに報告しに行ってきたのです。
今日はそんな、普段あまり皆さんにお見せすることのない、研究者としての「私」をご紹介しようと思います。
今回の国際ワークショップのテーマは「市民性と暴力」。
体罰、決闘試合、市民蜂起、ヴァイマル共和国期のユダヤ人に対する街頭での暴力など、市民社会と暴力の関係を問う報告が、日独の研究者によってされました。
私の報告タイトルは、「暴力について語ること、暴力について沈黙すること―野戦郵便にみる日独比較」。
第二次世界大戦中にドイツ兵と日本兵が書いた手紙を比較しながら、(1)軍隊内での私的な暴力(殴る・蹴る・びんた)が日本軍では横行している一方、あの「暴力的」なナチ体制下のドイツ軍ではあまりなかったこと、(2)戦争の生々しい暴力について日本兵は事細かに書く一方で、ドイツ兵はほとんど書かなかったこと、この二点はなぜなのか、ということについての報告でした。
今回はドイツ語での報告でしたが、私にとってもようやく3回目の経験。
とくに今回はそれなりに規模の大きい会議だったので非常に緊張しましたが、こうして「プチ・グローバル」を経験して改めてわかったことがいくつかあります。みなさんにも参考になることかもしれないので、3点ご紹介したいと思います。
(1)どんなにつたない、下手な外国語でも、「言いたいこと」がしっかりとあれば、相手は辛抱強く聞いてくれる。
謙遜でも何でもなく、私のしゃべるドイツ語はかなりひどいもので、一つの文章のなかに動詞が二個も三個も出てきたり、語順を間違えたり、かなりお恥ずかしいものなのですが、それでもこちらに明確なメッセージがあり、「これだけは何としても言いたい!」というものがあると、相手は必ず聞いてくれるものなのだなあということを、今回再確認しました。文法の間違いとか、言い間違いとか(もちろんしないにこしたことはないですけれど)、そういうことよりも、しっかりとした主張があることの方が、はるかに大事なのだと思います。ペラペラしゃべるけれど中身がない、というのが一番バカにされると、以前ある先生から聞いたことがあります。
(2)語学で一番大事なことは、「緊張しないこと」
かくいう私も、ドイツ語は結構勉強したはずなのです。
大学でも、語学学校のゲーテ・インスティテュートでも、留学先でも。そして今でもいろいろな形でドイツ語には接しているのに、なぜ・・・。
今回、自分がドイツ語がうまく話せない理由がよくわかりました。
緊張です(それがすべての理由ではないけれど)。
研究会が終わったあとは、日独の研究者での懇親会になりますが、リラックスすると正しいドイツ語が流ちょうにしゃべれることしゃべれること!
さきほどのつっかえつっかえのドイツ語は何だったのかというほど、スラスラと話せる自分にびっくりしてしまいました!
研究会の緊迫した場面で、「さあ、あれはどうなんだ?」とか詰め寄られてしまうと、脳みそが固まってしまい、やさしい単語も動詞も全く出てこなくなるもの。
しかしそういうプレッシャーから解放されると、脳みそが一気に「解凍」されるのです。
必死に語学を勉強することも大事だけれど、それ以上に大事なのはひょっとすると「リラックスする訓練」なのかもしれません。
(3)外国人が日本人に求めるのは、「日本についての情報」であること
私は日本人として西洋史、とくにドイツ近現代史を研究しています。
ですから、私の専門はドイツの歴史であって、日本史ではありません。
しかし残念ながら、それはドイツではなかなか通用しません。
「私はドイツ史が専門です」と言っても、結局相手は私のことを日本人として認識していますし、あちらが私から聞きたいのは日本についてです。だからこそ今回はそれに応えるかたちで、日本とドイツの比較をしてみたのです。
・・・と書いてきましたが、「日本文化プログラム」に参加した出雲さんが、素晴らしいことを書かれていますね。
「英語が出来る、というのはとても重要な事ですが、何よりも重要な事は、日本人が日本文化・歴史について知っているということです」。
今回ドイツで報告してみて、このことをしみじみと感じました。
「外国のことを知らなければ、日本と比較することもできないし、日本の特徴もわからない。だから外国史を勉強しよう!」
と普段は口うるさく言っている私ですが、その逆もまた真なり、なのです。
「日本のことをきちんと知らなければ、外国の人に自分のやっていることについてきちんと説明することができない!」と。
私は今回こうしてやや遠回りをして、以上のような観点にようやくたどり着いたわけですが、みなさんも是非さまざまな機会を通じて積極的に外国を訪れ、歴文で学んだり研究したことを、つたない外国語でいいので、ぜひ向こうの方々に伝えていって欲しいと思います!
懇親会でいただいた料理がおいしかった・・・。