すべりどめ [2016年04月25日(月)]

エジプト学を専門にしている吉成です。

以前、オープンキャンパスで手伝いの学生さん達と話した時に「すべりどめ」という言葉の使い方が違うことに気がつきました。われわれが受験生の時代には、「受験の際、目的の学校を失敗した時の用意に、別の学校を受験しておくこと(新明解国語辞典第三版)」ということで、その場合の別の大学とはかなりの確率で合格できる大学という意識で受験したと思います。その結果すべりどめの大学に入学したときには、ここは自分の居るべきところではない、という様な意識になったと思います。ところが、今の学生さん達の「すべりどめ」は自分の偏差値に合った大学、自分の現実の実力に最も合った大学ということで、本命は自分の偏差値の2ランクアップの大学という認識ということだと教えられました。

こうした認識が生まれた原因としては、18才人口の減少、受験者数が募集人数とほぼ同じで、高望みしなければ誰もが大学に入学できるという状況になっていることがあるのでしょう。

こうなるとわれわれの感覚では、すべりどめが自分に最も合った大学ということの様に思えて、何とも不思議な気分になりました。ということは、昭和女子大学をすべりどめで受験した生徒さん達は、うちの大学に最もふさわしい実力の持ち主達であるということになるのでしょう。その人達の意識が別の本命の大学に向いているとしたら、こんなにつまらないことは無いと感じます。

私は常々、大学入試はミュージカルのオーディションの様なものと考えて来ました。そのアーティストがこの演目にマッチしているかどうかを判断するのがオーディションならば、昭和の学風・教育方針・雰囲気に合う受験生を取り込むのが入試ということではないか、昭和女子大に来る学生はそういう条件に合った感性や感覚を持った人達であって欲しいというのが私の考え方です。

学生さん達が望むもの、大学から提供できるもの、それがピッタリと合えば、お互いハッピーな気分で4年間を過ごすことができると思います。偏差値だけで大学を選ぶのではなく、自分の感性を大切にして、それが最大限に生かせる大学を選んでもらいたいと思います。

昭和女子大は真面目な大学だと思います。そういう方向で努力ができる人にはふさわしい場が提供されていると思います。自分を信じ、最大限の努力ができる人を待っています。