曽我の傘祭りに行ってきました!①曽我物について [2016年06月02日(木)]

お久しぶりです!修士2年の青木です。
すっかりご無沙汰してしまいまして、歴文ブログを書かせていただくのもほぼ1年ぶりです。

さて、22日の日曜日に神奈川は小田原、下曽我で開催された「曽我の傘焼きまつり」に行ってきました。
今年で59回目を迎えるこのお祭りは、かながわのまつり五〇選に数えられ、
また伝統芸能である能や歌舞伎との関係も深い特別なものです。

簡単に説明すると・・・
日本三代仇討ちという、仇討ちの中でも特に有名なエピソードがあります。

・曽我兄弟の仇討ち
・伊賀越えの仇討ち
・赤穂浪士の仇討ち(忠臣蔵)

どれも能、歌舞伎、書物に作品が残るもので、そのうち1番目の「曽我兄弟の仇討ち」がこのお祭りの由来です。
鎌倉時代(1193年)、父の仇である工藤祐経を、曽我十郎(兄)、五郎(弟)の2人が追いかけ討ち取ったというのが簡単な流れですが、その道中、明かり代わりに傘を燃やしたことが伝えられ、祭りとして語り伝えられてきたそうです。(兄弟のお墓もこの地にあると伝えられています)
なので、回数こそ59回目となっていますが、実際数えてみるとその歴史は800年以上・・・気が遠くなりますね。

ああ

とはいえ、現代人が忠臣蔵で涙するように、仇討ち・・・というか、
命をかけて約束を果たすことに日本人は弱い、めっぽう弱いのです(青木もです)。

そのため書物「曽我物語」にまとめられてから、
能「小袖曽我」、幸若舞(こうわかまい)(信長が本能寺で舞ってるアレです)「和田宴」、
人形浄瑠璃「夜討曽我」、歌舞伎「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」・・・と、とにかくテーマに取り上げられて、戦前までなら知らない人はおそらくいないだろうってくらい人気のエピソードなんです。
(特に歌舞伎だと毎年お正月には曽我兄弟の話:曽我物を公演しないとダメ!なんてルールができるほど好まれてました・・・)

今の人も知らないうちに見ていたりする曽我物。
歌舞伎作品「助六由縁江戸桜」(市川海老蔵さんの十八番)
紫色のハチマキに大きな傘に赤い隈取りの目玉をギョロリな、あの助六さん。
実は曽我五郎・・・って設定があるんですよ。
あとは演劇・放送部の人が何回も舌を噛んだ「外郎売」もそうですね。
そんな風に隠し設定(?)みたいなのも探してみると面白いです。

うん、語りすぎましたね!
一端ここで終わります。
続きますよ!

画像出典:早稲田大学演劇博物館デジタル・アーカイブ・コレクション

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