【歴文生による授業紹介シリーズ】日本服飾史 [2016年06月16日(木)]

こんにちは、歴文1年のG.Aです。

今回は安蔵裕子先生の日本服飾史についてご紹介いたします。

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この授業は、日本における装いの歴史を概観する授業です。服飾には人々の生き方、態度や心情が託されながら、様々な形や表現が生まれます。その時代的・社会的特質と変遷の様相を、美術・工芸・文献資料等を通してたどります!

上級生が優先ですが、何年生でも履修することができます。この授業を履修している生徒はとても多いですよ♪人気授業の一つです♪

先生が配布してくださる資料プリントとパワーポイントを主に使用していく講義型の授業です。たまに博物館資料などの実物を見ることも出来ます。

4月の初回授業では、研究館の1階にある光葉博物館に移動して、束帯や十二単(唐衣裳)の資料などを実際に見学し、宮中に伝承されてきた公家の装束について学びました。博物館入館料は無料です。

昭和女子大学には大変珍しい、めったに目にすることのできない日本の近代服制を物語る弁護士の法服が所蔵されています。このように貴重な服飾資料などを実際に見ることができるのが日本服飾史の特徴です!

もちろん、その服が誕生した歴史などを大変詳しく、そしてわかりやすく解説してくださいます!!

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↑この写真は、先ほど述べた法服の実物(昭和初年のもの)を拝見しながらの講義風景です。この服装と帽子は、旧憲法(明治22年発布)の下で制定され、明治26年から昭和22年まで、法廷内で着用するよう定められていたそうです。

この帽子は、衣服に比べるととても立体的で不思議な形をしています。そのデザインには、奈良時代のスタイルが見えてくるのです。今回の授業で、これらの資料が登場した理由をお話しすると・・・・、実はこれまで、飛鳥時代から奈良時代へと服の制度の変遷について学んできました。冠位十二階に始まる冠の色彩によって身分を表していた7世紀初頭の制度から、ついに男性の被り物が黒色でしかも漆が塗られたものとなった頃、さらに中国の唐のスタイルが採り入れられた8世紀へ、つまりテーマは奈良時代の服制―唐の様式―というところへ入ってきたからなのです。

帽子の上の部分の膨らみは、元来は、いわゆるちょんまげ?(結髪して持ち上げた)を包んでいた部分だったことを表しています。もともとは、正方形の布を使って髻を包むように上から覆って、縛って結んだ姿を、はじめから形作って様式化してきた被り物なのです。その形が文明開化して散切り頭になってからも引き継がれていたのです!よく見ると、後ろに垂れる細長い2本、そして横の部分の左右に飛び出ている2本のリボン状のものが、結んだ姿の名残としてデザインされていることが分かります。その表情が「魅力的ですね!」と先生。

この明治時代の法服の様式を黒川真頼氏が提案したことから、東京美術学校の制服と同様の奈良調、と解釈されてきたようですが、明治時代の法服の方は大袖で、脇下の部分がプリーツ状になっているのに対し、東京美術学校の制服は筒袖で、脇下は縫われてなくスリット状になっています。この構造の違いは実物資料によってはっきりと分かり、解釈違いがあったことを知りました。服制は、着用の場や格付けによって定められるものですから、当時の風俗史研究者が、両者を明らかに異なるデザインにしたのは当然だと思います。

先生は、被り物の外観は両者ともに唐に倣った奈良時代風であることから、それが衣服形態も同一視させるほど象徴的なものであったのかもしれない、と語っていらっしゃいました。

以上のように、服飾の構造、歴史的人物、研究上の解釈など、細かい点まで楽しく学ぶことができます。

実物を見たり博物館に行ったりして楽しく日本服飾史について学びたい方、是非この授業を履修してみてください!!とても楽しいですよ♡