歴文三年の杉澤です。
5月9日から15日まで行われている江戸の三代祭りの一つ、神田祭にわたし達は5月12日の日曜日、神輿宮入のお手伝いをさせて頂きました。
大谷津先生のご紹介で、私たち歴文生五人は神田鍛冶町一丁目神輿の手古舞を担当しました。
2年ごとに行われる神田祭にて、鍛冶町一丁目神輿は令和初、新天皇初、先頭での宮入初、といった三つの初の特別な日となりました。
そんな特別な宮入に参加させて頂けてとても光栄でした。
祭りの格好になり、錫杖や弓張、高張を交代しながらやらせて頂きました。股引を着るのには苦戦したのもいい思い出です(笑)
足につけている藁は、「血止め」というもので足の血液のうっ滞を防ぎ、疲れにくくする効果がありますので昔から使われていたようです。
地下足袋でアスファルトの上を歩くのに初めは違和感を感じておりましたが、すっかり祭りの雰囲気に飲み込まれ、楽しみながら神田の街を歩きました。
一日中歩き、疲れも見える中16時頃鍛冶町一丁目神輿は宮入しました。
宮入を目前にし、鳥居の前が近くなるにつれて氏子さんたちの熱気が上がり、私の気分も高揚しました。
一つの神輿を共に担いたり、神輿の周りで手を叩き、掛け声をすることによって、連帯感が生まれており、私たちはよそ者であるのにそれごと包み込んでくれるような器の大きさを感じられました。
神輿を何度も出し入れしている場面が何度か見受けられました。これは、担ぎ方に関する美意識が関係しているそうです。
神輿は、掛け声に合わせて上下に練る動作をしながらも、左右にふらふらよろよろせず、まっすぐに進むのが美しいとされています。
何度も戻すのは、まだ美しく担げていない、というサインで、担ぎ手は戻されることにより、「なにくそ」とさらに美しく心を合わせて担ごうとするそうです。
私にとって神田祭は博物館での展示や、テレビやネットで見るものでした。なので、今回氏子さんたちと祭りに参加できるとは思ってもみませんでした。
氏子さんたちは皆さん自分たちは純粋な江戸っ子なんだ、といった心持ちが感じられました。
私が地元の神輿を担いだのは小学1年と4年の時です。中学からは電車で通学していたので、地元とは疎遠になりました。神田祭と神田明神の氏子さんたちのように自分の町を誇りに思えるような祭りがあることをとても羨ましく思った1日でした。
次回の神田祭には卒業しているため、歴文生としての参加はできませんが、神田の街を練り歩く神輿を見に行きたいと思いました!
大谷津先生、鍛冶町一丁目の皆様、貴重な体験をさせて頂きありがとうございました!
次回にも繋げられるよう、神田祭の魅力を後輩にも伝えていこうと思います。