【学生記事】神田祭参加記②

こんにちは、歴史文化学科3年のm.mです。

今回のブログでは、m.mが体験した神田祭の手古舞について書いていきたいと思います。

 

まず初めに神田祭とは、京都の祇園祭、大阪の天神祭と並ぶ日本三大祭りのひとつです。

今年の神田祭は、令和元年の大祭ということもあり国内だけに限らず、国外からも多くの方が訪れ、活気あるお祭りとなりました。

それでは次に、私たちが神田祭で体験した手古舞についてご紹介したいと思います。

手古舞というのは、お神輿がお宮に入るまでの道のりを、先頭に立ち、導く役割をする人たちのことを言います。

元々は鳶職の方々が先導しており、彼らが持っていた「てこ」からこの名前がきたとされています。

 

 

突然ですが皆さん、手古舞を聞いて何か似ている言葉を思い出しませんか?

忙しくなると言う言葉です。

 

「もう、あれこれやらないといけなくて、てんてこ舞いだよ~」

 

どうでしょう?この言葉、言ったこと、聞いたこと、ありませんか?

実はこのてんてこ舞いのの語源は、一説によると手古舞なのです。この「手古舞」という言葉が変化して「てんてこ舞い」という言葉が生まれたのです。

意外にも身近に使われている単語なのですね。

 

ここからは、神田祭当日の私たちの流れについて書いていきたいと思います。

5月12日8時30分、私たちは神田南口から少し歩いたところにある鍛冶町の御酒所に集合しました。御酒所に来る途中、至る所に「神田明神御祭禮」と書かれた旗を発見!

集合し、着替えを済ませ、レセプションを行いましたら、神田明神目指し出発です。

 

 

11時半頃、近くの小学校まで来て休憩。

それとともに、多くの他の町会の御神輿も集合し、大きなレセプションを行いました。

12日は日差しも強く、暑かったため、これからの長い移動のためここでは水分を補給し、しっかりコンディションを整えます。

小学校を出発し、平成通り、靖国通りと練り歩きます。

歩いている途中に、ふと御神輿の掛け声に耳を傾けると、「わっしょい!」「せいやっ!」だけでなく「令和!」という掛け声も混ざっていることに気づき、改めて平成から令和になったのだな~と実感しました。

 

 

13時ごろ肉の万世に到着。

皆さん、汗びっしょりになりながらも、笑顔で満ち満ちています。

私たちが休憩していると、かわいいサングラスをかけ、法被を着たチワワちゃんに会いました。

飼い主さんの、チワワちゃんに対する愛が伝わりますね。

さて、水分補給、チワワちゃんの補給が終わりましたら、再び神田明神に向け出発!

 

 

神田祭の手古舞では、錫杖持ち、提灯持ち、高張り提灯持ちを体験したのですが、これらは、ただ持って歩けば良いというものではありません。

お神輿を考え、一定のリズムで歩かなければならないのです。

特に錫杖を持ち歩く時には、錫杖を鳴らす音を合わせないと格好が良くないので、始終となりに歩いている友人を注意して見ていました。

また、高張提灯は、しっかりとお腹で支え、両手で握っていなければよろけてしまうため大変でした。

 

 

その後、神田明神に着くまでに何度か休憩しながらも、16時30頃宮入。

ご覧の通り、神田明神の正面入り口は多くの人で溢れていました。

この時初めて知ったのですが、宮入の際に神田明神の正面から入ることができるのは、なんと、お神輿を担ぐ人、先導する人、といった関係者たちだけなのです。

そんな特別な瞬間に立ち会えたことは、私の忘れられない思い出になりました。

 

 

宮入後、だんだんと空の色は暗くなって行きましたが、辺りはビルの明かりや提灯の明かりに照らされていました。

そのような中を、錫杖を鳴らし先頭で歩くのはすがすがしかったです。

再びゆっくりと肉の万世、神田駅と通っていくと、朝の景色とはまた少し違う鍛冶町の御酒所に到着。

御酒所には、宮入から帰ってきた方のためにフライドポテトや空揚げ、お茶などが用意されていました。

力を使った後の食事は、より一層美味しく感じました。

帰りがけには、弁松のお弁当を頂きました。

お家でおいしく頂きました。

ありがとうございました。

 

 

今回、宮入に手古舞として参加させて頂き、氏子町会の方々、外国人の方、といった様々な方と交流することができました。

交流していく中で改めてお祭りというのは多くの方が関わりより良いお祭りをつくり上げていくのだなと思いました。

私は滅多に多くの人の前に出る機会がないため、手古舞も初めは緊張し、動きがぎこちなかったのですが、お祭りの雰囲気のおかげで、だんだんと移り変わる景色を楽しめるまでになりました。

特別な場で、特別な衣装を着て、特別なことをするのは、今も昔も多くの人に力を与えてくれるのではないでしょうか。

この令和初の神田祭にこのような体験ができ、本当に良かったです。

脈々と受け継がれる神田祭に是非また参加したいと思いました。

大谷津先生、鳥居様をはじめ、鍛冶町氏子町会の皆様、改めてこのような貴重な機会を頂き、ありがとうございました。