川平朝清【前編】生まれ育った台湾で沖縄美術と出合う

光葉博物館 沖縄復帰50年企画展
「自然・くらし・心 沖縄の民具と工芸 ―川平朝清コレクションを中心に―」
/2022年5月15日(日)・昭和女子大学

昭和女子大学光葉博物館にて2022年4月2日〜6月26日に展示された「春の収蔵資料展 沖縄復帰50年記念『自然・くらし・心 沖縄の民具と工芸 ―川平朝清コレクションを中心に―』」の関連イベントとしてトークイベントを実施。同大名誉理事・名誉教授である川平朝清氏の幼少期から青年期、そして戦後にかけてのエピソードを通して、ふるさと沖縄について、同大学理事長・総長・坂東眞理子氏と対談を行いました。

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【川平朝清氏プロフィール】
昭和女子大学名誉理事・名誉教授。元アナウンサー、放送局経営者。通訳や音楽の分野で琉球王朝に仕えた川平家の末裔。

1927年、日本統治下の台湾台中市で生まれ、旧七年制台北高等学校を卒業後、1946年に沖縄に引き揚げる。博物館でのアメリカ軍の将兵の通訳などを経て、長兄の朝申が琉球放送(RBC)の前身である琉球の声放送を1949年に設立した際に同局の初代アナウンサーに就任。1953年から3年間、ミシガン州立大学大学院に留学。1957年帰国、RBC報道制作局長となり、1967年、NHK沖縄放送局の前身となる沖縄放送協会を設立し初代会長に就任する。1972年の沖縄本土復帰にともなう沖縄放送協会解散を機に、家族で東京へ転居しNHKに入局。1992年にNHK・放送文化基金を退職後、昭和女子大学英文科教授、副学長、副理事長、監事を経て、2011年に名誉理事、名誉教授を歴任。沖縄関連の専門家としても活躍。妻はアメリカ人の川平ワンダリー(故人)、長男はラジオパーソナリティのジョン・カビラ(川平慈温)、次男謙慈は在米実業家、三男はスポーツキャスター・ナレーターの川平慈英。