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2011年3月

  • 2011年3月28日

卒業のつどい

 3月27日(日)、風は冷たいがうららかな晴天。卒業式はなくなったが各学科で学位記を渡す。学生は袴や振り袖もほんの少しいるが、普段着、式服と様々な服装が混在。私も迷った末、黒のスーツに青のスカーフ。  10時45分から2時半ごろまで、短大専攻科食物科学専攻から始まって、初等教育学科、生活機構研究科の博士課程、福祉の修士課程、心理学科、福祉環境学科、歴史文化学科、生活環境学科、日本語日本文学科、現代 […]

  • 2011年3月22日

卒業式中止

 18日(金)、副学長や学生部長が卒業式の中止を求めてこられる。私は余震もかなり収まり、昭和女子大学は計画停電の地域に含まれていないし、交通は無理をしないで来られる人だけを対象に、地味に、しかし心をこめた卒業式をしたいという気持ちが強い。だからこそ延期したのだが、各大学が軒並みに中止を決め、中心的な先生方が反対しておられるのを押し切って決行するだけの強さがない自分が嫌になる。しかし、原発がどうなる […]

  • 2011年3月15日

卒業式の延期

 地震と津波の後もう4日経つが、福島の原子力発電所の事故が東京電力の供給力に深刻な影響を与え計画停電を行うことになった。決定が遅くまたころころ変わるので、交通機関が混乱し、社会生活は大幅に乱れている。参加予定だった今晩から今週のいろんな会合が中止、延期という知らせが続々届く。金子副学長は、在来線は運休だが新幹線が動いたので登校、学長秘書の菊地原さんはモノレールの駅まで自転車で1時間20分、それから […]

  • 2011年3月14日

東北地方太平洋沖地震

 3月11日(金)午後2時46分、あれ地震かなと軽く思っていたら、揺れが数分間も続き、ただ事ではない。私は揺れが収まった後、予定通り、センチュリー財団から美術品を寄贈されるのに対して感謝状を差し上げてから外へ出たが、学生、教職員もみな外に避難している。授業はない時期だったが学内に500人近くの学生、教職員がいたがみな無事でほっとする。ナースリー、子育て広場、一時保育もみな無事。世田谷キャンパスの建 […]

  • 2011年3月2日

国連婦人の地位委員会(CSW)

 6年ぶりに国連本部に来た。婦人の地位委員会に合わせたワークショップのためである。本部は建物が傷んで大修理が行われていて、会議も仮建設の Temporary North Lawn Buildingで行われている。何度も来ているが1995年、北京会議の行動綱領の審議が白熱していたこと、2003年差別撤廃条約の日本代表を務めたことを思い出す。  前の週はとても寒かったらしいが、春近しの日差しがまぶしい […]