サハ共和国訪問記

 8月11日(日)から16日(金)まで初めてロシアのサハ共和国に、昨年、能を公演された桜間さんの夫人と涌永さんと訪問した。
 それまで知らない国だったが、昨年10月昭和女子大学を副首相のガビシェワさんが訪問され熱心にご招待されたので行ったが予想以上に魅力的な国だった。
 11日(日)の朝アエロフロートでハバロフスクへ。満席でひどい機内食だった。乗継のためホテルに滞在するが、空港へ出迎えてくれた代表部の方はとてもまじめで親切なのだが、日本語も英語も通じず、私たちはロシア語を読めず、話せず、夕食のオーダーさえままならず「言語」の大切さを痛感。夜10時過ぎまで明るく、ホテルのそばを少し散歩する。高級スーパーの品ぞろえは豊富。午前1時にホテルを出て3時30分の飛行機に乗り、5時にヤクーツクに着く。日本語が通じる対外関係省のキムさんと通訳のジーナさんが迎えに来てくれてほっとする。郊外の森の中のゲストハウスへ。モスクワからの農業大臣ご夫妻と私たちだけが宿泊。

 11時にゲストハウスを出てヤクーツクの中心街のレーニン広場に面した大統領府で副首相に面会。国営テレビや新聞の取材。お昼は副首相の招宴。馬乳酒、コケモモのジュース、肉入りのサラダ、スープ、牛肉ステーキとかなりのボリューム。そのあと、ダイアモンド博物館を見学し、真新しい国立医療センターへ。医療費は無料で最新の医療を施すそうだ。そのあと女性国会議員の幹部と会見。夕食は日本サハ友好協会会長の中央銀行頭取、副頭取と夕食。日本に1993年から2000年まで駐在され、日本語がとてもお上手。キムさんが口琴を演奏してくれる。草原の風のような音律。世界中に演奏者がいるそうである。9時40分ごろ帰る。

 13日(火)は1日レナ川をクルーズして世界自然遺産に指定されている石柱群を見に行く。100トンほどの豪華な船で立派な食堂、個室もある。5時間ほど川をさかのぼり、上陸したところでシャーマンが火を焚いて無事を祈ってくれる。そのあと1時間余り歩いて頂上へ。すばらしい眺望。かつては海の底だったそうで三葉虫の化石なども出るらしい。船のディナーでトナカイのステーキが出る。いろいろおしゃべりしていると副首相は1981年、28歳の時ソ連代表として『青年の船』に参加されたそうである。私は1973年の『青年の船』に管理部として乗り込んでいるので奇遇に驚く。夜10時ごろに帰る。
 14日(水)は日本風の朝食。まず高等音楽院を訪問。7歳から17歳までの才能ある青少年を集めて英才教育をしているそうである。少年たちは親元を離れてかわいい家に7~8人が住み、音楽と学業に励む。モスクワから著名な音楽家が指導に訪れるそうだ。卒業生の素晴らしいピアノ演奏とクラリネット演奏。それから昨年完成したばかりの市内の保育所へ。すばらしい施設だが1日5食を提供し、親の負担は1日105ルーブル(約300円)だそうである。

 ヤクーツク市長を表敬訪問し、そのあと副市長と昼食。午後は文化大臣と懇談。ユニークな芸術家肌の大臣。勝木さんという日本人の教授も同席。記録DVD 用のインタビュー。それから北方文化研究所へ。民族衣装の若い研究生たちが歌と口琴で歓迎してくれる。
次はギムナジウムへ。サハの民族文化を伝える教育をしているそうで子供たちも民族衣装や音楽で歓迎。そのあと車で1時間ほどの郊外の聖地で伝統的な歓迎の式典。各界の女性リーダーが34人参加。伝統の手作業などを伝える人が多い。その中の主だった人たちと夕食。祭りのときは10万人以上集まるそうである。10時半ごろ帰る。
 15日(木)は朝10時に教育研究所へ行き日本の女性リーダーの育成について講演。日本語からロシア語、サハ語と2重通訳と聞いていたのだがジーナさんが一人で通訳してくれる。30分余り質疑応答。教育費は無料だが教員の待遇は低く問題らしい。お昼は北方連邦大学の学長と農業大学の学長。そのあと大学のイノベーション研究所とマンモス研究所、医療センターを見学。若い研究者が意欲的に説明してくれる。

お土産を買った後、ツンドラ博物館へ。永久凍土の中に作られた氷の殿堂で厳重な防寒着を2重に着込んでも寒い。そのあと対外関係省主催のお別れ夕食会で副首相も来てくださる。10時半ごろに帰り、パッキング。いろいろな資料や本や記念品をいただいたのだが、スーツケースに収まりきらない。12時過ぎにゲストハウスを出て空港へ。2時10分発、6時25分ウラジオストック着。イリアさんという人が迎えに来てくれホテルに。午後、市内を見物。シベリア鉄道の起点。革命までは自由港だったということで美しい町並みが残っているが、橋の建設で市長が賄賂をとって逃亡しているとか。アルメニア・レストランで夕食をとり空港へ。出発間際に飛行機のトラブルが発見され2時間近く遅れるが21時半無事に成田に到着。
 最初はどうなるかと心配したが皆さん親切で手厚く歓迎してくださり、テレビや新聞も好意的に報道してくださった。日本の8倍の国土に100万人に満たない人口。ダイヤ、金、銀、石油と資源は豊富。親日的なこの国のことをあまりにも知らなかった自分を恥じるとともにできるだけの協力をしなければと思った旅だった。連日天候に恵まれ最高気温は20度前半、夜は12~13度と、酷暑の日本と別世界。