最近あることをきっかけに岡倉天心が英文で書いた『茶の本』 (原題はThe Book of Tea)の一部を読み直す気になりました。岡倉は「いつになったら西洋は東洋を理解するのか、あるいは理解しようとするのか。(略) インドの霊性は無知、中国の穏健さは愚鈍、日本人の愛国心は宿命論と嘲られた」と記して「大陸間で激しい言葉を浴びせ合うのはやめ、お互いが半球の半分ずつを手に入れることでより賢くはなくとも真剣になろうではないか。我々は異なる線の上を歩んで来たが、相互に補完することが望ましい。西洋は膨張するために安らぎを失った。東洋は攻撃に弱い調和を作り出した。西洋の人々は信じるだろうか―東洋がある点では西洋より優れていることを」と主張しました。厳然として揺るぎない東洋人の姿勢を天心に見ることができると思います。『茶の本』の刊行は1906年でした。因みに上記の引用箇所は私が和訳しました。
岡倉天心が生きたころから今日までに東洋と西洋の間の理解がどの程度深まったかは容易に判断しかねますが、岡倉の書いたとおりだとすると今の日本には西洋的な人が増えているのではないかと感じます。ない袖は振れないと言います。粗暴で意図が不明な言動に走り他者に抑圧を加える人は実際には持っていない力を誇示しようと躍起になっているのかも知れません。
私は26歳のときとある短期大学に専任講師として採用され40歳になるまでそちらにおりましたが、30歳そこそこのころ緩衝地帯という渾名を付けられていたようです。退職前の3年は全学に4人しかいない専攻主任のひとりでした。決して組織を運営する手腕に長けている訳ではないのに大過なく務められたのは、極力ほかの先生や職員の方のお気持ちを尊重して学生からも学ぼうとしたからではないでしょうか。国際化する社会でときに文化的衝撃の緩和が必要なように、小規模な人間関係においても和みの空間を作ろうとする者がいなくてはならないのだろうかなどと考えながら、直向きに努力する一方で周囲の方々とは穏やかに接して教えを受けるよう心掛けたいと願う昨今です。
岡倉天心が生きたころから今日までに東洋と西洋の間の理解がどの程度深まったかは容易に判断しかねますが、岡倉の書いたとおりだとすると今の日本には西洋的な人が増えているのではないかと感じます。ない袖は振れないと言います。粗暴で意図が不明な言動に走り他者に抑圧を加える人は実際には持っていない力を誇示しようと躍起になっているのかも知れません。
私は26歳のときとある短期大学に専任講師として採用され40歳になるまでそちらにおりましたが、30歳そこそこのころ緩衝地帯という渾名を付けられていたようです。退職前の3年は全学に4人しかいない専攻主任のひとりでした。決して組織を運営する手腕に長けている訳ではないのに大過なく務められたのは、極力ほかの先生や職員の方のお気持ちを尊重して学生からも学ぼうとしたからではないでしょうか。国際化する社会でときに文化的衝撃の緩和が必要なように、小規模な人間関係においても和みの空間を作ろうとする者がいなくてはならないのだろうかなどと考えながら、直向きに努力する一方で周囲の方々とは穏やかに接して教えを受けるよう心掛けたいと願う昨今です。
森本 真一