「文学と美術」(日本文学Ⅰ・近代B)という授業

〈授業風景〉

この授業では、明治以降の近代文学と美術(おもに絵画)との深いつながりを
確認しながら、文学史と美術史の両方の基礎知識が身につくようにしたい、
と思っています。

文学は文字と言葉、美術絵画は色と線、それぞれ表現の素材は違いますが、
芸術ジャンルの中では「姉妹芸術」と言われて、お互いに刺激を与え合い、
優れた作品の数々を産み出してきました。

 

夏目漱石を例に取りましょう。
みなさんは「坊っちゃん」(明治39年4月)を読んだことがありますか?
この作品の登場人物は、主人公をはじめ、本名がほとんど記されず、
「あだ名」によって物語られる特異な小説なのですが、そのうちの
「マドンナ」と呼ばれる「背の高い美人」の令嬢が、ひとつの色を点じています。
始めのほうの第五章に、坊っちゃんが釣りに誘われ、舟に乗ると、
美術教師の野だいこが、教頭の赤シャツに向かって、沖合の島の景情が
ターナー(イギリスの有名な風景画家)の絵に似ているから「ターナー島」と
名づけよう、と言ったあとで「あの岩の上にどうです、ラフハエルのマドンナの絵
を置いちゃ。いい画が出来ますぜ」と言うのに、赤シャツは「マドンナの話は
よそうじゃないかホヽヽヽ」と笑う場面があります。

坊っちゃんは、「ターナー」も「ラフハエル」も知りませんので、何のことか
わからないのですが、赤シャツは、うらなり(英語教師)の婚約者である令嬢の
マドンナを横取りしようとたくらんでいて、それをにおわせる伏線になっています。
この「ラフハエルのマドンナ」はイタリアルネサンスの巨匠ラファエロの
「システィーナの聖母」(Madonna Sistina 1513‐14制作)のこと。

 

 

美術教師の野だいこはもちろんのこと、帝大出の赤シャツも、「聖母=マリア」を
描いたもののうちで最高傑作と言われるこの絵を知っていますから、二人の間に
暗黙の了解が成立するわけです。
この名画は18世紀なかばにザクセン選帝侯アウグスト3世がこれを購入し、
ドイツのドレスデンに陳列されて、この国の美術界に大きな影響を与えました。
漱石はおそらく画集を見て知っていたのでしょうが、じつは「坊っちゃん」発表の
11年前に、この絵を現地で観て感激していた作家がいました。
ドイツに留学中の森鴎外です。
23歳の鴎外が、ドレスデンのギャラリーで聖母像の実物を見て、
日記にそう書いたのは、留学2年目の明治18年(1885)の5月13日。
鴎外は当時実物を観ることのできた数少ない日本人の一人でした。

つまり、夏目漱石と森鴎外、二人の文豪が「ラフハエルのマドンナ」という
一枚の絵を介して、絆をもつことになるわけです。
この文豪どうしの結びつきが、二人の本業の「文学」ではなく、
「絵画」であるところに、わたしはとりわけ強く心を惹かれます。

こうして、文学作品の中に散りばめられた美術作品を拾いあげながら、
両方の作品を鑑賞し、理解を深めてゆくのがこの「文学と美術」の授業なのです。

最初に「文学史と美術史の両方の基礎知識が身につくように」と言いましたが、
そんな堅苦しいことよりも、美術を「見る愉(たの)しさ」「眼の歓(よろこ)び」を自分のものに
してほしい。
そうすれば、文学を「読む愉しみ」も、きっと倍増するにちがいないからです。

(吉田昌志)