Laura Emily Clark先生(クイーンズランド大学)特別講義 [2021年02月03日(水)]

<授業風景>

村上春樹など日本現代文学の研究者であるLaura Emily Clark(ローラ・エミリー・クラク)先生を招き、「日本文学Ⅱ(近代A)  中・短編小説を読む」(12月22日)内において特別授業を行った。
クイーンズランド大学人文科学学術院(オーストラリア)所属で、現在は昭和女子大学女性文化研究所の特別研究員でもあるクラク先生は、先述のように村上春樹作品などを対象に、ジェンダー表象の研究をされており、前期の同授業内でも、村田沙耶香「コンビニ人間」(「文学界」二〇一六・六)を講じている。

今回は、本谷有希子「哀しみのウェイトトレーニー」(初出は 「13の“アウトサイド”短篇集」(「群像」二〇一二・三)収載)を対象に、現代の〈ジェンダー〉〈身体〉〈婚姻関係〉をめぐって考察がなされた。
前期同様、受講生においても身近で、関心のあるテーマであり、強く興味を惹かれたようである。

クラク先生による基調講演後、受講生間で〈近現代の日本社会において、どのような身体が理想と見なされているか?〉〈作中に描かれている夫婦像は、「普通」か? 「奇妙」か?〉といったテーマでグループディスカッションが行われ、そこでも「グループワークで話し合ううちに見えてくるところも多く、楽しんで講義を受けることができた」「充実した話し合いができた」とあるように、活発な意見交換が為された。

授業後には興味深い声も多く聞かれた。一部を紹介したい。

本当の男女平等とは一体何なのか改めて考えさせられる内容になっていた。

一昔前と比べ、理想とする考えのイメージの幅は広がり、人それぞれの趣味趣向は異なっているという考え方が浸透しつつあるのではないか。つまり、少数の意見にも注目が為されるようになっているのではないか。

海外の価値観を通して日本文学を読むことでまた違った感じ方があることを改めて実感しました。自分で読んだだけではあまり違和感を抱けなかった箇所なので、クラーク先生の視点から講義していただけて非常に勉強になりました。

クラーク先生の授業は非常におもしろく、また新たな気づきが生まれるものになりました。私は物語を読んだ時、主人公の夫婦関係について奇妙だとは思いませんでした。主人公が気を使っていてかわいそうだとは思いましたが、そのような夫婦関係に特に疑問を抱かなかったのです。しかしジェンダーの観点から物語を見たとき、女性は男性に合わせるものであるという固定観念が働いていたことに気が付きました。ジェンダーの観点から物語を見られるようになったことから、この物語が書かれた意味、伝えたかったことが初めて見えたような気がします。

前回の授業とはまた別の視点から物語をとらえることができた。様々な資料や参考文献から研究結果などを参照し展開される講義は、本当に面白かった。また、日本と海外の方との感覚の差も少し浮き彫りになり、興味深かった。

クラーク先生のパワーポイントに「感情労働」というワードが出たときに、本作において結婚後の夫婦の親密性が損なわれているのは、「私」が労働しているからであり、「仕事」と「プライベート」で分けられるところが、「仕事」と「仕事」の組み合わせになってしまっているためと思った。本作の夫婦は、表面的には一般的な「普通」の形であるが、どちらか一方の自己が抑制されているような夫婦の関係性はやはり「奇妙」に思われた。

本作に、性別ごとの理想の身体が描かれているという視点は自分が読んだ時には持てなかった視点だったので面白かったです。人は誰しも普通とは何か、自分(自分らしさ)とは何かと常に考えながら生きていると思います。だからこそ、前期に扱った「コンビニ人間」と本作の主人公たちはある意味で周りに流されないかっこいい生き方をしているのだと思います。大抵の人は普通というものにのまれながら生活しています。だからこそ、私は両作品に惹かれて読んでしまうのだと思いました。

今回の授業でメトロセクシュアリティという言葉を初めて知った。これまでも様々な授業や本でジェンダーについて学んできたが、女性のことが中心であり、男性のジェンダーに関してあまり学んでこなかった。だが、女性の「女らしくなければならない」という抑圧を解決することは男性の「男らしくなければならない」という抑圧の解決にもつながることのように考えられた。

初めて悲しみのウェイトトレーニングを読んだとき、この話はウェイトトレーニングを通して、「私」が主体性を獲得する話だと思ったが授業を受けて、主体性を獲得する背景には女性らしい身体と一方での鍛え上げた女性らしくない身体というジェンダーの問題も関わっていることに気づいた。身体が変化していくわたしに向けられる客からの好奇心の目には、女性らしくなくなっていくことへの好奇の目であったのだと納得した。一方で、私は筋肉の目的を誰かに見せることではなく、自分のための筋肉としているが、それは厳密には違うのではないかと思った。私は女性らしくない身体を作り上げることで、夫との関係性にある女性らしい自分、ジェンダーの規範に従ったような自分を壊す目的があるのではないかとも考えた。

上記からも窺えるように、受講者が大いに刺激を受ける貴重な機会となった。今後もこのような場を積極的に設けていきたい。

(山田夏樹)