まちがいさがし

<日文便り>
ファミレスとかでまちがいさがしがあると、やっちゃうクチです。
そして往々にして、全部見つけられなかったりします。

では、せっかくこのページをあけてくれたあなたに、まちがいさがし。
次の2つの絵の中に、間違いがたくさんあります。わかるかな?

・・・って、こうなっちゃうと探しようありませんよねー
逆にどこが一緒なんだって。

それでも全体の構図はそこそこ一緒?キャラクターもかぶってる?
とか、共通性の方を考えちゃったり。

結局、ものを考えることの原点って、「共通点」と「相違点」なんだと思ってます。
言語を研究してても、この用法とこの用法はどう違うか、と「違い」を考える場合、その前提には共通性があるわけで。似ても似つかないようなものは比べようもない。
むしろ、似ても似つかないようなものを眺めているときは共通性を探したくなる。

「まちがいさがし」っていうお題一つでも、無駄にいろんなこと考えた思い出があります。
「間違いが10個あります」って言われて、9個まで見つけたんだけど最後の1つがどうしても見つからない。
そんなときの必殺技、
「10個間違いがある、っていうのが間違い」。
でもでも、すでに見つかった間違いが9個あって、
10個目の間違いに「間違いが10個あること」、をカウントすると、それで結局間違いは10個あることになって、「10個間違いがある、っていうのが間違い」って言えなくなる…
あれ?あれ???

・・・と、いうわけで、あらためてこちら。
ひまつぶしにどーぞ。
次の2つの絵の中に、今度こそふつうに、間違いが10こあります。

それと。
将来、言語を研究するような道に進むような子だったからか、ちいさいときから「まちがいさがし」の「まちがい」って気になってました。

「まちがい」・・・正しくないこと。誤り。
右と左で、一方が「正しく」て、もう一方が「間違い」なの?って。
まあたしかに「こっちが元だろうな、こっちの差異、あきらかにヘンなことになってるし」って場合は多いんですが、右と左を見比べて差異をだすだけなのに一方を「間違い」っていうの、なんかかわいそうな気が・・・。
(同じことを気にする人がいるのか、「ちがい」って書いてるものも見かける。)

これがまた、今回こうやってまちがいさがし作ってみたんですが、自分で作ってみるとどうしても、一方が「正」、もう一方が「誤」って感覚が強まります。
ほんとに小さかった頃は、2枚とも手書きでつくって遊んで、意図してなかった手書きゆえの差異まで間違いに数えられたりしませんでした?
ちゃんとしたやつって、ちゃんとしたコピーで作りますよね、
今回これ、作ってみたときに
元の絵をつくって、その際、もう1枚の方で差し替えるパーツぶん描いておいて、
元の絵から、パーツ差し替えたり、消したり動かしたりで加工するんですよね。
そうするとどうしても、元の方が「正」、加工後の方が「誤」のような気が、してきます。これも、視点を変えるとちょっと見え方が変わったり、事情が分かったりすることの一端かなあ、って思ったり。まあ経緯はどうあれ、一方の絵を「まちがい」って思いたくはないですけどね。

・・・さて、みつかりました?
10こ。
「間違いが10個あるのがまちがい」は9個見つける前に使いましょう。
(ほんとに10こありますよ、たぶん)

(須永哲矢)