〈日文便り〉
こんにちは、日文の山田夏樹です。
前期授業が終わり、採点などの時期になっております。
卒業論文を執筆しているゼミの4年生たちの進度はそれぞれで、こちらとしてはヤキモキするところもあるのですが、みな好きな作家、作品を対象にして書いているため、その点では良かったなと思っているところです。
以前のブログにも書いたのですが(好きなもの(藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄)を論じる、語る│昭和女子大学 人間文化学部 日本語日本文学科 日文便り (swu.ac.jp))、一生に一本となる卒論のテーマには、自分にとって大事な、興味のあるものに向き合うものになって欲しいなと思います。
ときおり、「これだと書きやすそうだから」という理由で選ぼうとするする姿を目にすることがあります。
その場合は、ねんのため、「本当にそんな理由で良いの?」といったことを言います。
もちろん、最終的には本人の意志で決めて欲しいと思いますが、「書きやすそう」だから、という決め方には、少々傲慢なものを感じます。
また、「作家、作品に特に思い入れがないから、その分思い切って論じられそう(ズバズバ切れそう)」という考えにも、やはり少々傲慢なものを感じてしまいます。
本当に、その作家、作品は論じやすいのか、ズバズバ切り刻みやすいものなのか。
その程度の対象のようにしか、捉えられていない自身の問題なのではないか。
このような疑念を抱いてしまいます。
せっかくの機会ですので、よく考えてテーマに取り組めると良いな、切に思います。
ちなみに上記の以前のブログでは、藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄をテーマとした講演(2022年)について記していますが、本年の10月12日にも、同じ富山県(両氏の出身)の、ある会場で、私の卒論のテーマであった藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄について講演をする予定です。これはとてもありがたいことです。
単位や通過儀礼のためだけではなく、その後の人生でも、向き合い、読み続けたいと感じられる作家や作品に出会えることは、人生に彩りを与えてくれると思います。
ぜひ、これからも様々な物語に触れて、楽しむ気持ちを忘れずに頂きたいと強く願います。
(山田夏樹)