わからない授業

〈日文便り〉

授業風景の紹介っていうと、「わかりやすく、たのしく!みんなで参加して・・・」なんてのを紹介しがちなんですが、その期待を無視して、私自身が「大学の授業らしい」って思ってる授業をご紹介します。
上級学年向けの選択科目、「日本語学Ⅱ」から、「調査研究」。
必修でもなんでもなく、取りたいと思ったわずかな精鋭たちが、マニアックな話を聞きに集う場所です。
この授業に出ることを「ミサ行ってくる」って表現されてるのをこないだ耳にしました。
アクティブラーニング?
そんなもん1mmもありません。
担当教員が
「この授業だけは自分のフルスペックを出して好きにしゃべるぞ!」って宣言している科目で
「わかりやすく」からは程遠い。
「文法についてたのしそうに興奮してしゃべる教員を眺める会」
と位置付けてます。
わかるかわかんないかは二の次。
教員をとおして、世界の奥深さが伝わればいいと思ってます。
「わかり、できるようになる」っていうのだけが、大学の教育じゃないと思ってるんですよ。
わけわかんないこと、おそろしく深そうなこと、
でもそれをちょっと眺めるのって、わくわくしません?
今のご時世、いちいち「この授業でどのような力がつくのか、何ができるようになるのか明確にせよ」なーんて言われるんですが、
この授業で、できるようになること?
たぶん、ない。
「動詞の活用なんてものでも、本気で面白いと思ってる人間が世の中にいて、
そんなものでも本気出すととんでもない世界が広がってることを知る。
そしたら、活用なんてものに限らず、世界って、いろんなところに深淵が口をあけてるんじゃないか、って思えるようになる」
でいいや、って思ってます。
わかる、できる、だから楽しい、やる気になる、
・・・なんていうのは大学生になる前からそうじゃん。

大学生らしい勉強って、

わからないことの楽しさ、だと思ってるんです。
それを味わってほしい。

板書、こんな感じ。

今回は、動詞の活用において、已然形の成立についてでした。

かいつまんでまとめてみましょうか?

四段活用の已然形と二段活用の連用形が形態的に一致すること、
四段活用と二段活用をともにもつ動詞のうち、二段の側が連用形の例しかない事例から、
動詞の活用体系成立以前に、動詞連用形そのものが成立したそのときの在り方として連用形と已然形があったと見る。
そしてその、述語として発達する前の二つの連用形は、助動詞的な意味を分化する以前の、文述語としての在り方の2種として、切れる述語と続く述語という原初的な役割分担をした。
その、続く述語としての名残が、のちに已然形と呼ばれるようになる、第2の連用形であったのではないか…こんな話です。
受講生がどんな気分で聞いてるのか、実況してもらいました。
コチラ

*****
んなぁ~~~‥‥
左はギリ、右はムリ
もう入ってこない…ご存じではないよ
何も入ってこん
復活!!
復習のはずなんだけどな~~
良かった新しい話だあぶな~~
分かんないものが分かんないものにたとえられてるよー!!!!
あ、聞いたことあるよここ
うそうそ、なんそれ
何食べたらこんなん考えられるのまじで
已然がかわいそうじゃん!!
「こういう流れです」←は??
已然の話してる最中に「以前」って言わんで欲しい
むり~~~
顔しわくちゃです今
ん!!!大分ビビっときたのだ!!

うそうそ
今日、よりわかんないな、体調?
ちょい分かり。
ちょい分かったところ何だというんだね3歩進まず5歩下がる
焼け石に水
すご…たのし…でもむりだ~~~
*****

わかることよりも、わからない楽しさを。
人文系の学問って、
「わーい、できた!」
よりも
「あはは!わかんない!できない!すごい!」
のほうが、楽しいですよ、きっと。
(須永哲矢)