今回は「受験生の方へ」ってことでお題をいただいたのですが、
受験生が、こうして受験大詰め、ってことは、同時に、今いる学校の卒業も近くなってるんですよね。
未来の始まりが近いということは、視点を変えれば今いるところとのお別れも近いわけで。
私は大学の教員で、最終学年、4年生のゼミも担当してるので、卒論指導の真っただ中です。これまた学生側と視点を変えて、卒業のための、大学生最後の戦いに付き合ってる身としては、この後自分は彼女たちを送り出して、3月になったら、みんながいなくなった同じ場所に自分だけ残る、そんなことを実感するのが、今から目に見えてます。
以前、当時のゼミ生が卒業する時、私のことを「ランプに残ることを選んだジーニー」って評してたっけ。
今年も、お別れするために、きょうもいっしょに卒論と戦う。一緒に。
学生と並んで、卒論と戦うと同時に、そもそも学生と向き合って学生自身とも戦う。全力でダメ出しをする。
師弟対決、さいごに研究分野で、思いっきり殴り合えたら幸せ。
「気が済む」、って書こうかと思ったけど「幸せ」止まりだな、正直、気は済まない。
卒業しちゃうと、残る身としては、毎年必ずさびしい。
大学のゼミは3年生から4年生の2年間。少しずつ、いろんなことを話すようになって、そうなったころにお別れが来る。
よく、大学の案内だと「仲間と語り合い…」なんてフレーズがあって、それはその通りなんだけど、それを超えて、今年の代もよかったな、そして、お別れが近いな、って思った日の事を。
11月、学園祭翌日の後片付け。
準備から本番を経てみんなへろへろで、展示の部屋を片付けて、5人でお昼に行ったときのこと。
5人でうどん注文して、全員ほぼ無言で、ずるずる、うどんすすりました。
みんな疲れてたからね。話さない。
みんなして何も話さずに、うどん食べてました。
話さなくても、気まずくない。
食べてる間、会話がなくても、当たり前のようにみんなでそこにいて、
気兼ねなくうどんをすする時間。
話し合う楽しさはもちろんなんですが、
それを超えた先にある、並んで黙って飯が食える時間。
いいな、いい時間だな、って思って。
そんなことを思ってました。
みんなには別に言わなかったけど。
最近ね、この大学の、女子大の、良さって何?
って問われて、
なかなかで言語化できないんですが、
最近何とか試みた言語化の一つは
自分でいやすいこと、
かな、って。
「無言で飯が食える仲」
っていうのは、私の中で一つの到達点です。
このみんなが卒業したら、今年もきっとさびしくなるな、って。
受験生の方へ。
未来に向かって、一歩ずつ進んでる時間は、
同時に、今いる場所で過ごす時間が1日ずつ終わっていくことでもあります。
なんて、知ってるよね。
「受験生」って括られたら、なんだか受験勉強だけしてるみたいだけど、1日1日、高校で生活してるんだもん。
大学っていう立場で、受験生へ、なんて書こうとすると、未来だけに目を向けがちなんだけど、
いろんなものは表裏なわけで。
みんなが今いる学校の先生は、友達は、今どんな気持ちでいるのかな、って。
みんな学校を巣立って、教員として一人学校に残るのは今年もきっとさびしい。
そして4月になったら、新しいみんなと会って、4年後にまた寂しくなることを承知で、性懲りもなく、めいっぱい楽しい時間を過ごす。めいっぱい楽しんだら、ちゃんとさびしくなる。
慣れないですよ。
毎年めちゃめちゃ楽しいし、めちゃめちゃさびしい。
先に進んで、巣立っていく者を送り出し続ける側からは、学校の空間が、そんな風に見えています。
(須永哲矢)