100年前の卒業論文指導 [2011年04月23日(土)]

みなさまこんにちは。松田忍です。

楽しくも、悩み多き学生生活。4年間の学生生活のなかでもつねに頭の片隅にあり、多くの学生が揃って頭を悩ませるものといえば「就職活動」と「卒業論文」でしょうか。今日は昔の大学の先生や学生さんに悩み事を相談してみましょうか。ご登場願うのは国会図書館「近代デジタルライブラリー」です。

とはいえ「就職活動(シューカツ)」ということばは、比較的新しいことばですから、残念ながら「近代デジタルライブラリー」は応えてはくれないのです。ですので、「卒業論文」で検索してみます。

9件ヒットしました。大分高等商業学校編『大分高等商業学校一覧』(1923-26年)に挙げられた卒業論文題目も興味深いのですが、今日は南北社編『赤門生活』(南北社、1913年)をひも解いてみましょうか。

ふむふむと読み進めて行くと、次のような文章に行きあたります。

ある先生の話に〔よると〕「論文というものはテーゼンである、エッセーではない、故に人の説なんか並べたてていたって、それでは決して論文として通用しない、のりと鋏で作ったものでは決して一文の価をも持ち得ない、それにはレズルタートが必要で、決して向う見ずの、行きあたりばったりの論文なんか書いてはいけない、結果がどうの、そのさきがどうのと筋がたってなくては何にもならない」

いやあ、なんとも感慨深い一文です。大学教員というのは100年間同じことを言い続け、大学生たちは100年間同じことを言われ続けてきたのですねぇ。もしかしたら4年生のみなさんも指導にあたられている先生に同じようなこと言われてませんか?さらに読み進めましょう。

入学してから三年目の九月には、みんな論題をたずさへて主任教授の許に相談に行く。先生の方では…もしよいとなればそれでいいし、もし悪いとすると、こうしたらよかろう、ああしたらよかろうといって、深切に注意してくれる。この相談によって多大に得るところがある。論文の書き方から、そのリテラチューアをきき取ることも出来る。ものによっては。

そうでしょう、そうでしょう。いつの時代も教員は親切なんです………え?…「ものによっては」??

時折には先生も知らないことがあって、先生にだまされることも少くない。何の本と何の本をおよみなさいと教えられて、それをよんでも一向なんにもならないことがある。

これには大笑いです。しかしながら、よくあることだ、と大笑いしていてはまずいですので、内情を説明しておきます。

論文相談というのは一種の濃密なコミュニケーションの側面があると思うのです。質問者の側でも最初のうちはまだ何を書きたいかが明確になっていないですし、相談される側にとっても、質問者が本当はなにを求めているのかが分かっていない。そういう中で「これ読んでみたら?」「あれ読んでみたら?」とアドバイスしつつ、質問者の側ではそのアドバイスを受けて、その本を実際に読んだり読まなかったりしてみつつ、相談を繰り返しながらだんだんとお互いの波長が合っていく。お互いのことが理解できてくるうちに、論文が出来上がってくるのではないかと思います。

だから最初のうちは「だまされた!!」と思うことがあるかもしれないですが、それであきらめてしまうのではなく、何度もいろいろな言い方で相談してみて下さい。あるいは自分が面白いと思った論文や史料の中で、魅力を感じたポイントに丸をつけて、あらかじめ先生に渡して置くのも手ですよね。

最後、次の一文は大事ですよ!

誰だって論題がきまるときには、そのアウトライン、コンテントだけは胸にうかんで来るのだから、それをどう論じてどう行こうといふことだけはよく解って居る。で、プランといふものはどんなに立って居ても、攻究や調査のためではそんなに役に立つものじゃないんだ。

つまり、研究したいテーマや研究の目標が決まっているだけでは論文は書けないということです。

みなさんもうまく書けない状態が続くと、「実は選んだテーマが悪かったのではないか」と悩んで迷ってしまいがちだと思いますが、実際のところ、卒業論文については「テーマが悪くて書けない」というのは少ないのではないかと思います。それよりも、文字を扱う学問であれば文字に、モノを扱う学問であればモノにこだわっていく姿勢が大事であり、それに加えて3年生の時から先生が語り続けていらしたであろう、その学問独特の世界の捉え方をもう一度感覚として思いだすこと。そして粘り続けること。それが卒業論文への近道だと思います。

日本史の場合であれば、テーマに沿って実際に読んでみた史料に引きずられて、テーマ自体が変化していくことはあってしかるべきですし、むしろ望ましいと思いますが、史料を読みこまないままにテーマを変えてしまうのは、どこかもったいない気がします。

とにかく文章を書き始めるまでの準備作業にとことん時間をかけましょう。どんな資料(史料)でどんなことを書くかが決まってしまえば、あとは文章に出来るはず。準備期間が短いくせに、書く時間だけが長いのが偉いのであれば、

象の鼻が一番えらいものになる。

と『赤門生活』にも書いてあります。

それでは今日はここでお開きにします。歴文の学生たちよ、頑張るのだ!

※引用にあたって適宜現代仮名遣いに改めました。