歴史の学び方の「グローバル化」

こんにちは。西洋史の小野寺です。
久々の更新になります。

いつもはゼミの様子や自分の研究活動の一端について書いているのですが、今回は趣向を変えて、自分がやっている授業についてお伝えしようと思います。
今回ご紹介するのは、金曜に開講している「原典講読」です。

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この授業を受講するのは2年生が多く、3年から始まる演習に備えた「プレゼミ」のような意味合いがあります。
小野寺ゼミを取るとどんな様子になるのか、その雰囲気を知ってもらうということも、この授業の一つの目的かもしれません。

ですが最大の目標はもちろん、英語を正確に読めるようになる、ということです。
私は西洋史を担当していますので、外国語文献、とくに英語文献がきちんと読めるかどうかということが、自分にとって満足のいく卒業論文を書けるかどうかの大きな分岐点になります。
日本語文献を数多く読み込むことももちろん重要ですが、残念ながらそれだけでは情報量が圧倒的に不足しています。
自分が疑問に感じたことについて本当に知りたいと思うならば、やはり外国語文献は欠かせません。

構文を正確に理解すること。
正確な訳語を充てること。
自分の持っている背景知識と適切に結びつけること。

いずれも、2年生の間に身につけておくべき重要なことばかりです。

ですが、それが重要だということが頭ではわかっていても、英文をひたすら読み進めていくということばかりやっていると、次第にモチベーションが減退してくるのも事実。
英語が読めるようになったその先に、いったいどのような世界が待ち受けているのか。
それが実感できないと、なかなかやる気になれないという人は多いと思います。

そこでこの原典講読では、英語を読むだけでなく、「考える」という要素を大切にしています。
具体的に言うと、前期には『アンネの日記』をまずは(日本語で)読んだ上で、アメリカの小中学校用指導書『アンネ・フランクの日記を教える』(もちろん英語)を皆で読み進めながら、いったいどのようにアメリカでは『アンネの日記』を生徒たちに教えているのか、どのような課題を生徒に与えて考えさせているのかを、学生のみなさんと実際に体験するという形式で進めています。

そして後期には、まずは日本語で『ドイツ・フランス共通歴史教科書』を読み進めたあとに、アメリカではどのように世界史を教えているのか、一緒にアメリカの世界史教科書を(もちろん英語で)読み、そこで提示されている課題について一緒に考えています
今回はこの後期のアメリカの世界史教科書について、ご紹介したいと思います。

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この教科書の特徴として、各章の冒頭に「当時生きていたら、自分だったらどうしていただろう?」という問いかけが置かれているということがあります。
たとえば、フランス革命だとこんな感じです。

不正な政府を、あなただったらどのように変革しますか?

あなたは18世紀の終わり頃のフランスで暮らしています。あなたの両親は商人で、暮らしぶりはよいほうです。しかし税金を取られてしまうと、ほとんどお金は残りません。ほかの人々、とりわけ地方の農民の暮らしがあなたよりも悪いことを、あなたは知っています。一方貴族はぜいたくな暮らしをしていて、事実上税金をまったく払っていない状況です。

フランスの多くの人々は変化を熱望しています。しかし、どのようにすれば変革がもたらされるのか、よくわかりません。国民の代表が公平な税制と公平な法律を要求すべきだと考える人もいます。一方、暴力的な革命を支持する人々もいます。パリでは革命がいまにも勃発しそうです。怒った群衆がバスティーユ監獄を襲撃し、奪取しました。次に何が起こるのだろうと、あなたはあれこれ考えをめぐらせています。

設問1:あなたは「不正な政府」をどのように定義しますか?
設問2:もし暴力的革命に参加するとしたら、その条件は何ですか?

歴史を、過去におこった今とは関係のないものと考えるのではなく、今にも繋がっているもの、現代社会や自分の生き方のヒントを考えるためのものと捉える姿勢が、ここには見て取れます。次の設問も、そのようなものの一つです。

設問:立法議会(1791年)における政治党派と、今日のアメリカ政治におけるそれの共通点・相違点は何でしょう?

また、当時の人々の立場に立つことで、より生き生きと歴史について考えることができます。次の課題も、そうした趣旨のものです。

設問:第三身分の一員になったつもりで、なぜフランスの政治体制は変革する必要があるのか、短いスピーチ原稿を書きなさい。

また、歴史上の出来事は避けられないことだったのか、別の選択肢があったのかということを考えさせる設問もあります。

設問:フランスにおける政府の交替は避けられないことだったとあなたは思いますか?

もちろんここでは、「避けられた」「避けられなかった」という結論を言うだけではだめで、その根拠をしっかりと、歴史的事実に基づいて提示する必要があります。次の設問も、そうした歴史的事実に基づいた論理構成を求める、たいへんよい設問です。

設問:ナポレオンが時代を創ったのか、時代がナポレオンを創ったのか、あなたの意見を述べなさい。

あえて挑発的な議論を生徒に吹っかけることで、より深い思考を促す設問もあります。

設問:ナポレオンにはロシアに侵攻する以外の選択肢はなかった、という意見にあなたは同意しますか?同意するならなぜ、しないならなぜ同意しないのですか?

 

長々と、アメリカの世界史教科書の設問を紹介してきましたが、言いたかったことは、日本でやられている世界史教育とはかなり違うタイプの教育がアメリカでは行われているらしい、ということです。
アメリカの歴史に関する「ナショナル・スタンダード」は、次のように述べています。

「本当に歴史を理解するためには、学生が自分の手で歴史を語り、これを議論できるような機会を持つことが必要である。そのような語りや議論は、エッセーやディベート、論説といったさまざまなかたちをとりうる。さまざまな方法によって行うことができる。しかし学生が自分で過去もしくは現在の問題から刺激を受け、歴史的な記録を自ら読み進め、その問題の分析に健全な歴史的視点を持ち込むこと以上に、歴史的思考を強力に促す方法は存在しない」

近年、こうした教育方法を日本でも採用しようという動きが強まっています。
ですから、数年後には日本の世界史教育のあり方も、かなり異なったものになっていることが予想されます。

ですが重要なことは、グローバル化とは、知識を外国から学んだり、日本から外国へと情報発信することだけを意味しているのではない、ということです。

こういう教育を受けてきた人たちと、私たちはどのようにして交流し、渡り合っていくのか。
それに対して、私たちはどのような教育を進めていくべきなのか。
日本の歴史教育の長所と短所は何なのか(知識偏重の教育は本当にダメなのか)。

つまり問題となっているのは、考え方や意識のグローバル化です。
その点も含めてグローバル化すべきなのかすべきでないのかはさておき、そこまで考えなければいけない時代が来ていることは、間違いありません。