戦争と戦後 [2011年04月24日(日)]

こんにちは、松田忍です。

先週の増田先生ではないですが、日曜日ですが大学に来て研究室にこもって史料を読んでいます。

今日は真面目に研究の話を書きます。私が今興味を持っていることは戦後の政治と社会ということになります。近現代の戦争というのは、多くの人々が(命を含む)協力をすることによってのみ、遂行されるものです。ですから戦後には、その人たちに対する見返りや戦争で被った被害から復興するために大きく社会の仕組みが移り変わるのです。それは別に第二次世界大戦の後だけではなく、日露戦争や第一次世界大戦の後にだって。その変化自体がまず興味深いのです。

でも戦後を考える面白さはそこにとどまりません、変化するものがある一方で移り変わらずに戦時と戦後に続いていく構造もある。変わらないことと変わること。その両面をあわせて考えたいというのが私を研究にかりたてる、目下の原動力です。

みなさんが子どものときに地下鉄サリン事件という事件があったのをご存知ですか。都心の地下鉄内でサリンという毒ガスがまかれ、死傷者や、後遺症に苦しむ人が多数出た社会的にもたいへん大きな意味を持つ事件です。私はそのときまだ故郷の京都におりましたので、直接目撃することはなかったのですが、事件を目撃した人の証言を読んだことがあります。それは大通りを挟んで、地下鉄の出入り口がある側はまさしく「戦場の様な切迫した救命現場」となっていたのだそうですが、出入り口のない側については、いまだニュースを見ていない「サラリーマンたちが行きかう日常」が流れていた。「危機」と「日常」の対比がものすごく印象に残ったそうです。

もちろん「危機」の情報は速やかにニュースとなって人々に伝えられます。しかし「危機」が社会へと浸透し、「日常」になんらかの変化が生じてくるのにはかなりのタイムラグが存在すると思うのです。

日本人が大きな意味を与えている日付である1945年8月15日についても似たようなところがあると思うのです。

昨夜より正午には重用放送ありとの事で、全国民耳をそばだてて居た所、戦局不利陥いり天皇陛下自ら休戦の大詔をお下しになり、最早万事休する状態となった。電波状態悪るくよくきかれなかった。午後は又川らの小屋を戸を直して夕方まで。午後の報導にはっきり休戦の大詔を、又理由を、声明をきき、余りの事に家内全部が失望のどん底に落とされた様だった。夕方水廻りなした。

この文章は新潟県で農業を営んでいた西山光一という人が1945年8月15日に記した日記です。みなさんは「全国民耳をそばだてて」とか「失望のどん底に落とされて」の部分に興味が向くのかもしれませんが、私は濃い色で書いた「午後は川らの小屋を戸を直して夕方まで」とか「夕方水廻りなした」が大事だなと思うのです。国家的危機の一日であるにもかかわらず、「平和的」に続く日常。もちろん西山光一だけが一人で生活していたわけではありませんから、村の中での共同生活や村の中での政治の仕組みも当面は「平和的」に続いていく。アタリマエかもしれませんが。

国家目標を考えると、戦時期には「連合国に対する勝利」が目標であったものが、戦後期には「民主国家の建設」を目指すというように変化はするのですが、その目標を生活の中で受け止めて行く国民のくらしや村の政治の仕組みは実は続いている。同じ国民が同じような仕組みで、時期によって違う目標を受け止めて行くこと、あるいは撥ね返していくことが面白いなと思うわけです。

もうひとつ別の切り口で書きます。

みなさんは、戦争中には「生めよ殖やせよ」という掛け声で次世代を担う国民を産めという強制力が女性に働いたことを知っているかもしれません。戦後になると状況は一変し、植民地や戦地から引き揚げてくる日本人や、夫が帰還してきたことによって新しく誕生する赤ちゃんによって、日本国内の人口は爆発的に増えてしまいますから、むしろ「生むな殖やすな」が合言葉となります。では戦中と戦後で女性や出産に対する国家のスタンスが全く変わってしまうのかというとそんなことはない。続いているものもある。そのあたりを丁寧に解きほぐした本として、荻野美穂さんという研究者が書いた『「家族計画」への道―近代日本の生殖をめぐる政治』があります。本の帯を見てもわかりますが、とても大事な問題について触れた本です。

大学図書館の開架図書になっていますから、是非手に取ってみてください。