浜松通訊(1)~戦争の記憶~

日本美術史担当の植松勇介です。

小生、静岡県浜松市に住んでいます。昭和女子大学には関東在住の学生が多いため、静岡県や浜松市は縁遠い土地ではないでしょうか。折にふれ、静岡県西部地域の歴史・文化を紹介していきたいと思います。

中日新聞東海本社版 2013年2月14日朝刊30面(掲載了承済)

太平洋戦争末期の昭和20年(1945)7月29日、遠州灘に集結した米英軍の戦艦・巡洋艦から浜松に向けて艦砲射撃が行われました。軍関連の施設や工場が集中していた浜松はそれまでに20回以上の空襲を受けていましたが、艦砲射撃によって市街地の大半が焦土と化しました。

新聞記事にある不発弾はこの時撃ち込まれたものと考えられています。記事によると、不発弾が発見されたのはJR東海浜松工場の敷地内で、自衛隊が海岸へ輸送して爆破処理するようです。輸送ルート周辺では住民約一万人に避難要請が出ており、新幹線も止まります。

不発弾処理はそう珍しいニュースではありません。皆さんも時折耳にしているはず。平和な日本にあって地下から現れる不発弾は否応なく戦争の記憶を呼び起こします。